「老人と海」を初めて読んだらめっちゃ面白かった

 ストーリーがほとんどなかった。
 老人が2日がかりで大魚を釣ったのに岸にかえるまでにサメに食べられちゃったよ、って話。それだけなのにすごく面白かった。

 元気な老人が大格闘をしてる話なのかと思ってたら、しょっぱなから老人はボケとった。網をとっくに売ってしまったことも覚えてないし、混ぜご飯なんか作ってないから「残り物」が存在しないこともわかってない。まぁまぁの認知。

 そんな老人が大魚を釣るだけのお話。84日間一匹も釣れなかった老人が、85日目に大格闘の末にカジキに勝った話。丸2日以上かかってるから「大格闘」って言うんだろうけど、でもその間ずっと老人は「待ち」の体勢だった。若いころにアームレスリングの1試合に一晩かけて勝ったことを思い出したり、疲れてやってきた小鳥に声をかけたりしながら、ずっと網にかかっている魚が動き出すのを待っていた。唐突に大声で一人でいることを嘆いたりして、いや嘆いてはいないのかな。ただ「あの子がいたらなあ」と大声で何度も何度も何度もつぶやくだけ。不漁が続いた40日目に「じいさんの船に乗るのは止めな」と親に言われて他所の船にいった少年の不在を嘆く、怒鳴り声のひとり言。
 日常でのじいさんはボケている老人だけど、釣りをしているときのじいさんは「経験のある熟練した漁師」だから判断がすべて正しい。針がはずれないように動かないでいること、引っ張られないように網を身体に巻き付けること、負けないように食べること。老人はその「今」を生きていて、掴んでいる網の先にいる魚のことしか考えてなくて、本当に余分なものがすべて削がれていてとてもシンプルな人となりになっていた。世間を拒絶することもなく若かりし日々を懐かしむこともなく、体力がなくなって倒れそうになりながら網の先にいる魚のことだけを考えていた。釣りについて私はなにもわからないけど、でも読みながら握っている綱がスルスルと引っ張られるのを感じた。私の手からスルスルと綱がほどけていった。

 格闘している魚のことを「兄弟」とか言い出したのが正しい判断なのか幻覚なのか意識の混濁なのかわからないけど、星や月のことは「捕まえる必要がない」と考えることができたのだから正しく判断していたのかな。
 ところで親しみを持った他人のことを「ブラザー」とか言い出すのってまさかこの本が発端? それはない? ずっと前からある表現?? その魚、カジキのことを「兄弟」と呼ぶってことは自分も同じぐらいの脳みそしかないってことだけど、それも踏まえての言葉なのかな。それとも何も考えずに言っていたのなら、それこそ「じいさんの脳みそ魚並み」ってことでまさに兄弟なんだけど。ちなみに今「ブラザー」といえば虎杖悠仁。

 そして鮫。戦いに勝ったカジキが大きすぎて船に乗せられないから船にくくりつけていたら血の匂いに気づいたサメがやってきた。血の匂いでやって来るって、まさにJAWS。アメリカ人にとって海とサメは切り離せないもんなんだね。海の「恵み」と「喪失・死」は背中合わせの表裏一体なのか。

 少年と老人の関係が気になる。やたらと優しすぎる少年。 まだ少年なら、もっと小さい頃にすごく世話になっていたとしてもそんなことを忘れて新しい世界を求めていくのが子供だし、恩も優しさも忘れて飛び立っていくのか子供の役目なのに。どうしてその「過去」の象徴の老人といっしょにいるの? いや、今回は「こんな大きな獲物をとってきた人はいない」から「現役」の「王者」で「過去の象徴」ではないんだけど、でももう終わりだよ彼は。銛も網もすべてを失ったし、周りのみんなに分け与えてもらってももう扱えないよ。彼が仕留めた最後の獲物だったよ、全部食べられたけど。お腹の膨れない「誇り」だけを携えて帰ってきて、もう何も残っていないのに。
 あ、だから少年は泣いたの?
老人が帰ってきたことを皆に伝えにいったときに、嬉しくて泣いていたけど、それだけじゃなかったのかな。
「運なら僕が持っていくからまた一緒に漁に出よう」
こんなに優しい言葉ある? こんなに優しい言葉はもうないはずなのに老人は「行こう」って言わないの。なんだろうなー、カッコいいなぁー。すげぇなぁあああ。

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