カーネル・サンダース 【読書感想文】


*こちらの文章はおよそ08/10頃に書いたものがベースとなっております。

*ヘッダーはお借りした画像です。

今年も夏は暑い。2020年08月04日、33歳の夏はもしかしたら生まれた瞬間よりも沢山の人からお祝いのメッセージやプレゼントを頂戴したかもしれない。アマゾンで欲しいものから欲しいものへ数珠つなぎでリストに入れた本を有難いことにプレゼントとして頂いた。

その中で小学生が読む系偉人伝の本もいただき、こちらは夏休みの課題図書となった。


読書感想文ってどうやって書くんだっけ。そもそもどんな話だったかあらすじやエピソードを抜粋するんだっけ?

何も思い出せないまま読書感想文スタートです。

カーネル・サンダース

ぼんやりと、晩年になって事業を成功させた人だとは知っていたし、そもそも名前を聞いたらヨダレを垂らしながらフライドチキンを思い浮かべるほどには知った名前だが、どのような人生を歩んでいたのかは知らなかった。

フライドチキンの肉の部位は答えられてもカーネル・サンダースのことは何も知らなかった。なお、好きな部位はウィングです。

カーネル・サンダースことハーランド・デーヴィッド・サンダース(以下、サンダース)は1890年09月09日生まれの弟と妹と3人兄弟の長男。お父さんが早くに亡くなりお母さんが外に働きに出るため、弟たちの面倒を見ることを任されるようになったのは若干5歳。5歳児が未知の生き物すぎて思わずググった。

『5歳児 できること』

歩く速度が大人とほぼ変わらなくなる
ブランコの立ちこぎができる
スキップが上手にできる
平均台などの細い場所をバランスを取りながら渡れる
向かい合ってボールを蹴る・投げることができる
ジャングルジムを上まで登ることができる

引用元:https://hoiku-shigoto.com/report/archives/13641/

1番上に出てきた検索結果の引用で申し訳ないが、大人と同じペースでようやく歩けるようになったばかりだし、スキップが上手にできることと弟妹2人の面倒を見れるのは別ベクトルすぎる。そうするしかなかったとはいえ、おおらかな時代だ。

料理上手なお母さんから習得したパン作りを7歳にして披露、兄弟や留守にしていた母親を驚かせる。これはなんとなく理解できる気がする。今考えれば私の母親も大概だが、おとなしいことだけが取り柄の2歳児である私に針を持たせて縫物の真似事をさせていたらしい。もちろん、目を離すどころか手取り足取りだとは信じたい。7歳ならギリ、パンも作れるかもしれない。

色々あって、のちに母は再婚、サンダースは新しいお父さんと馴染めず13歳にして母の元を離れ、働きながら生きていく。

そんなサンダースは18歳で結婚、29歳までに3人の子供にも恵まれた。30代半ばまで様々な職を転々とし続けた。今これを書いてる私は33歳です。2018年9月に転職、現在の職場は3年目突入です。

仕事には熱心だったしアイデアを形にするパワーがあったが自分が正しくないと思うことをさせられるのは苦手で衝突をすることが珍しくなかったようだった。ちなみに私は和を以て貴しとなすタイプです。

運命を変えたのは、ガソリンスタンドの店長として働き始めた37歳のこと。働き者のサンダースが経営するお店では窓拭きにタイヤの空気圧確認、エンジン点検など給油だけに限らず多彩なきめ細かいサービスをすることで評判になり人気のガソリンスタンドとなった。そして長距離トラック運転手のオアシスとなるべくテーブル1つだけのレストランを併設していた。

その後、フランチャイズの足がかりとなるどこで食べても同じ味という経営方針で、席数や店舗を増やしたり、フライドチキンにフォーカスを当てたメニュー構成に変更したり、圧力鍋導入による生産効率アップやホテル業への挑戦なども行なった。

事業は拡大しつつ順風満帆であったが、いくつかのトラブルや、ホテルを全焼する火事によってその財産などを失なってしまい、同じ頃に離婚(本の中では妻に離婚を切り出されていた)、公私ともに落ち込むことになる。トラブルといえば私の最近のトラブルといえば肌トラブル。皮膚科に行きました。

しかし、あらたな伴侶との再婚や信頼する人物への経営権の譲渡、本格的フランチャイズ事業の成功、晩年は自らを広告塔として世界中のケンタッキーを訪問したり、さまざまなボランティアや慈善活動に注力した。

クリスマスには孤児院の子供たちにお手製のフライドチキンを振る舞うという描写があり、7歳の頃に弟妹のためにパン作りに奮闘した時と同じく、歳を取っても誰かのために作るという事を続けていた。私は去年のクリスマスは何していたかなと思いツイログで12月25日に飛んでみたら、くそダサセーターを着て出社したらしいです。比較すると完全にどうしようもない阿呆かよ。

そして、1980年クリスマス目前の12月16日に息を引き取る。御年90歳。やはりフライドチキンは体にいいのかもしれない。

総括するとカーネルサンダースは逆境にめげず、人びとの幸せな顔を見る為に、たくさんの努力を惜しまずに生き抜いたということがわかりました。

また、37歳以降は飲食店経営1本のように思えますが、レストラン付きガソリンスタンド、ホテル、大型レストランなど常に異なる業態の店舗運営などや業務をしていたので、サンダースと言う人は本当に死ぬまでいろんな仕事をし続けた人であり、1つのことだけをコツコツとやるタイプでは無いことが伺えます。圧力鍋を用いた商品開発、フランチャイズを増やすために実演営業をしたり、晩年はKFCに属しつつの広報活動。

また、あきらかに向こう見ずで無鉄砲ですが自分のことを信じていて、目の前のものに飛び乗る精神力は自分には無いところなので大いに見習うべき点だと感じました。

これは完全なる余談ですが、小学生の頃まで私は小児喘息を患っており医者によくかかっていたのですがそこの小児科開業医のおじいちゃん先生がカーネルサンダースにそっくりだった。メガネに白いおひげを蓄えて、白いドクターコートを着ているガタイのいいおじいちゃん先生。子供がお医者さんを見てカーネルサンダースを彷彿とするほどにアイコン化した衣装と広告戦略は秀逸だったんだと今になると理解します。

全てを読み終え、そんなことを思い浮かべつつもこの児童書には、苦楽を共にしたサンダースの実の弟妹の話がサンダースが家を出た以降一度も出てこないのでだいぶ気になっていた。冗長になるための割愛なのかそれとも疎遠になってしまったのか考えてしまう。

初めてサンダース1人でパンを焼いた7歳のあの日、子供の足では3時間ほどの道のりを5歳の弟と協力して2歳の妹を交互におんぶし、母が働く工場へパンを届けに行った仲睦まじい弟妹はどこへ行ってしまったのだろう。元気でやってるのだろうか。

また、ある頃を境に前妻と子供達の影が一切見えなくなる。それまではフライドチキンの味見役に登場する娘や、その夫と共に店を2店舗任せてる様子(その後売り払った)などビジネス面に関与してるからこそ描かれているのだとは思うが、加速的にフランチャイズ化が進み、1個人のレベルでは管理しきれなくなった結果として経営権の譲渡も娘たちではなく純粋に経営力に優れた他人に売却している。

自身は売却した後も広報として会社に属して、老いてなお世界中を飛び回った。

果たして、カーネルサンダースの一生とはどんなものなんだろうといくつかの新たな疑問が生まれたので今生でもう少し多角的に調べてみよう、そう思いました。また、あらすじに合いの手のように自分語りをぶち込むことを読書感想文とは言わないと思うので勉強しなおしたいです。

おわり

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