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自打球を避けよう

 自打球とは、野球の用語。
ざっくり言えば、打った打者自身の身体に当たる打球のこと。

プロ野球を見ていると、苦痛に歪む打者の反応からその痛さが伝わってくるだろう。
またこれにより数週間の負傷離脱もあり得る等、そのシーズンにも影響が出ることもあるので決して侮ることはできない。

 この「自分が打った球でケガをする」という点から、自打球を普段の対話や雑談の場面で置き換えて考えることがある。

 例えば、それまでの会話の流れや内容から考えて、答えたところで自分が損をするだけの相手からの質問や、決して得をしないことが明らかな問いかけなどについては、「これ(手を出しても)自打球だな」と思って個人的にスルーすることがある。

 その場の感覚的なものなので、質問内容の明確な線引きは難しいが以下のようなものが考えられる。

・持論を展開するためのフリにしたいがためだけの、こちらの答えには興味がないことが見え見えの質問
・マウントを取りたいがためにわざと行う、こちらが答えづらい質問
・↑と同様の理由から、一般的には知られていない(知る必要がない)マニアックな質問 など

共通しているのは、質問する相手側は初めからこちらの意見に興味がない、または軽んじているという点。
そしてその一方で、相手側は自分の意見を言うことに全集中しているという点だといえる。

 こうした質問や問いかけにはまじめに答える必要はない。
後に嫌な気分をするのは答えた自分自身である。
かたやファウルによりストライクカウントを稼ぐことができるピッチャー同様、相手がなんかいい気分になるだけである。



 昔、司法書士試験合格者の同期にトミーさん(アダ名)という人がいた。
当時自分が開業した直後に会う機会があり、そのときに開業したことを伝えたところ、彼から言われた言葉は「月収いくら?」だった。

 同期だろうがもちろん答えるわけがないドン引きの質問だったが、「開業したばかりなのでこれからです」とはぐらかすように答えた。
そんな感じの会話が続き、最終的に彼から言われた言葉は「開業なんて自分がやるとしたら、何もすることがなくなった老後に、趣味や片手間程度だな」だった。(当時トミーさんは勤務司法書士)

 そのとき、彼は結局これが言いたかったんだなということがわかったと同時に、月収含めあのとき真面目に答えなくてよかったなと思った。(答えるわけないが)
その日、彼の連絡先をスマホから消したことは言うまでもない。


 大切なのはシーズンを通して、有意義な時間を過ごすことである。
ケガするとわかっている球に、無理して手を出す必要はない。
こちらが打ちやすい球を放ってくれるちゃんとしたピッチャーは他にいるはずなので、そうした人たちとのフリーバッティングの時間を大切にした方がより充実した生活を過ごすことができるんじゃないかなあと考える日々。。。

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