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80回目 ”The Fishing-Boat Picture" by Alan Sillitoe を読む。「この短編は最高」なる Note 投稿に「再読」を促され。

この短編は次のサイトに公開されています。PDF file をダウンロードできます。全編合計で10ページです。
https://shortstorymagictricks.com/2020/01/07/the-fishing-boat-picture-by-alan-sillitoe/
《注》このサイトの記事のやや後段部分にこの短編へのリンクが掲載されています。


葛城さまの投稿、氏がアラン・シリトーの「漁船の絵」を勧められている記事に巡りあったことに端を発して、茶色に変色している原書と和訳本「The Loneliness of the Long Distance Runner 長距離走者の孤独」を私の書棚から見つけ出してきました。大人たちの社会にどう入り込んでいくのか逡巡していた頃の自分を追体験するような気持で読み返してみることにしたのです。とりあえず今回はその中の一つ「The Fishing-Boat Picture 漁船の絵」だけですが。

葛城様の Post はこちら: https://note.com/embed/notes/n3a47d8f1dbf4


この物語の時代・場所は、第二次大戦がいよいよ始まるという頃から1960 年以前、英国はシリトーの出身地 Nottingham の近辺です。ビクトリア朝時代の繁栄と存在感を色濃く引き継いでいたであろう英国。勝利したとはいえアメリカの経済力に依存せざるを得ないまでにこの大戦の惨禍を引きずっていたであろう時代と言うべきでしょう。

英国の名だたる階級社会、その労働者階級の女と男、その 20-40 才に渡る期間の暮らしが語り明かされます。親もその親も同じ労働者であったことでしょう。上流・中流の人たちと話す機会などは無いような暮らしであったろうと想像します。

語り手の男は辞書を引いて言葉・単語を探すことを敢えて拒否する、ヘソを曲げています。シリトーの小説に典型的な人たち、学校の時以来、勉強をして上流に近づこうとする連中を嫌悪している人たちの一人です。その癖に、この男は気が弱いもので、嫌いなはずのインテリをまねて「この物語」を語ろうとしているのです。その結果、出来上がった物語もしみったれています。しかし彼彼女たちは、それを「英国の労働階級の誇り」にして生きています。少なくとも日本のバブル景気の時代が英国の経済的繁栄をしのぐ時代が到来する前はそうだったのだろうと思います。

この短編、シリトーの小説において典型的な「悪行の常習者」の役をこの男の妻が務めます。

この世の常なのでしょうが、社会の弱者は身近にいる別の弱者を餌食にしてその日暮らしを一生つづける羽目になる、そういう社会観こそシリトーの作品の通奏低音です。 バーナード・マラマッドの作品に鳴り響く貧乏節と一対を成すものの様に思えます。


1. 学の無い語り手は易しい単語しか使えません。辞書を使わないと宣言する、ヘソを曲げています。

労働階級の人たちの心情を、上流の人々への常在的嫌悪感だと捉える「シリトー節」です。この短編の冒頭に置かれた段落は次の通りです。

[原文 1-1] I’ve been a postman for twenty-eight years. Take that first sentence: because it’s written in a simple way may make the fact of my having been a postman for so long seem important, but I realize that such a fact has no significance whatsoever. After all, it’s not my fault that it may seem as if it has to some people just because I wrote it down plain; I wouldn’t know how to do it any other way. If I started using long and complicated words that I’d searched for in the dictionary I’d use them too many times, the same ones over and over again, with only a few sentences—if that—between each one; so I’d rather not make what I’m going to write look foolish by using dictionary words. It so happened that I married my wife as soon as I got a permanent job, and the first good one I landed was with the Post Office (before that I’d been errand boy and mash-lad).
[和訳 1-1] 私は郵便配達員を、今日までで28年間続けていることになります。この最初の一文ですが単純明瞭な文であることから、読み手によってはこの文が述べている事実、私が長い年数に渡り郵便配達員をしている事実が大切な意味を持っているものと受け取るかもしれません。しかし、話している当人である私はこの事実に何の意味があるとも思ってはいません。誰かがこの事実が大切な意味を持っていると受け取ったとしても、それは私の責任ではありません。私は平明に事実を書いたものでそれ以外にどう書けば良かったというのでしょう。もしも私が、アルファベットの数は多いわ、ややこしいわといった単語を幾つもつなぎ合わせて文を作るなどということを始めたものなら、すなわち辞書を引きまくってそのような単語のスペルを調べ出していたものなら、二つ三つの文ごとに長ったらしい単語を入れることになってしまうことでしょう。そうなればそのような単語の使い過ぎという事態になるのです。辞書を使ってバカ丸出しの文章を書くような羽目になるのは避けたいのです。私は安定した職に就いたと同時にこの妻と結ばれることになりました。この時の安定した職場とは郵便局でした。(この職の前は使い走り仕事や食堂の下働きでした。)

Lines between line 1 and line 13 on page 66, Alan Sillitoe,
"The Loneliness of the Long-Distance Runner"; a Signet Book

上に引用した後につづく段落は次の文で始まります。上段と一対で対比して読むとおかしさがあふれ出します。

[原文 1-2] It's also twenty-eight years since I got married. That statement is very important no matter how you write it or in what way you look at it.
[和訳 1-2] 私が結婚してからも28年になります。この事実はどのような文で書こうが、人がどう受け取ろうが、大変に重要です。

Lines between line 14 and line 16 on page 66, the same book
  • [原文 1-2] に現れた I got married という事実が、 Postman の職にあった事実と比較され、結婚していたことは重要だが、この職にあったことは意味がないと言っています。この短編の主題として結婚を取り上げるが、職・仕事は話題にしないと読者に伝えるための一文であると気づくと、後が面白いのです。ーーー この先の文章を読む時の注意の払い方が定まり、シリトーがこっそりと、肩透かしを食わせるように隠した、話のポイントに気づき易くなります。

  • 労働者にとって汗をかいてその対価を貰う、それで仕事は完結します。仕事と自分の暮らしを切り分けているのです。これは英国社会の一面だと思います。

  • こんな物語を文章にしようとする労働者であってすら、辞書を引くことをいさぎよしとしていません。労働者階級の魂なのかと思います。マラマッドの貧乏節に比肩する「しみったれ根性」です。

  • 短編を読み終えた今、私は、この魂を、この短編の結末のシーン、労働者階級の一人である人間が死ぬことになる場面に結び付けて考えようとしています。この検討に参考になるのが坂田星子さまの投稿記事です。氏の記事 「アランシリトー『長距離走者の孤独』」へのリンクはこちらです。
    https://note.com/momoiku/n/nd955c5b88ebf?sub_rt=share_pw


2. 原書を読まずして楽しめるのか、こんな味?

[丸谷訳の一行 2-1] 《短編の語り手がもらすことば(地の文)》
若くて、まだ顔がきれいで、情熱的で、身体のたるみだした三十女だが、怒りだしたら執念ぶかいのなんのって、とてもかわせるもんじゃない。

新潮社版「長距離走者の孤独」 112 頁 7-8 行

[原文 2-1] She was young and still fair-faced, a passionate loose-limbed thirty-odd that wouldn't let me sidestep either her obstinacy or anger.
[和訳 2-1] 彼女は若くて今なお生き生きした表情の顔を持つ、情熱的で柔らかい身体の 30 を過ぎたばかりの女性です。そんな彼女のしつこさや怒りとなると私はそれをかわすどころか、浴びるほど味わいたくもなるのです。

Lines between line 19 and line 21 on page 68, the same book

この一例のごとくこの小説には言葉の端々に本音を覗かせたのか、それとも邪推し過ぎなのかと読者の心を揺さぶる仕掛けが連続して現れます。もう一つ、別の箇所を引用します。

[丸谷訳の四行 2-2] 《語り手がもらす地の文》 あいつがかけおちしたペンキ屋というのは、テラスの向こうにある家に住んでいたのだ。ペンキ屋はそれまで二、三か月、失業保険で食っていたのだが、急に、二十マイルばかり離れた町で職についた、という噂をあとで聞いた。近所の連中は、一年ぐらい前から二人があやしかったという話を、俺に聞かせたくてたまらない様子だったーーもちろん、かけおちが終わってからだ。

新潮社版「長距離走者の孤独」 114 頁 16 行から 次頁 1 行

[原文 2-2] The housepainter she went with had lived in a house on his own, across the terrace. He'd been on the dole for a few months and suddenly got a job at a place twenty miles away I was later told. The neighbours seemed almost eager to let me know--after they'd gone, naturally--that they'd been knocking-on together for about a year.
[和訳 2-2] ペンキ塗り職人、彼女がくっついて出て行った男は単身であの家にずっと以前から住んでいたのでした。私の家と同じ一画に並ぶ労働者向けの住宅です。出て行った直前の2・3週間は失業手当で暮らしていたところ、20 マイル程先の地に仕事が見つかり引っ越したのだと後になって隣人が教えてくれました。隣人たちは私に教えたかったのはやまやまながら、教えることなく、現場を目にするたびに自分たち同士で指さし示して教え合っていたのでした。それも丸一年にも及ぶ長い期間に渡ってというのでした。

Lines between line 30 and line 36 on page 69, the same book

丸谷訳では lived in a house on his own「単身で住んでいた」旨の部分の翻訳が錯誤で抜け落ちています。語り手は単身の男が近くに住んでいたのに知らなかったことを「特別の思いでこの文を書いているな」と原文を読んでいる読者は気づくのです。そしてその先で隣人たちがハラハラしながら日々を過ごしていたという記述を見て楽しむのです。

丸谷訳を読んでいる人は、物語の書き手が、書き綴りながら自身でこの臨場感を肌に感じているシーンだなどと思いつくものでしょうか?

*****

幸い原文もインターネット・サイトに公開されていて、プリント・アウトも可能です。原文を読まれることをお勧めします。

学校での勉強嫌いを誇りにするような男の文章ですから、この短編には難しい単語はでてきません。その代わり、慣用句・コロキュアルな、すなわち特定の意味を持つ「単語の組み合わせ・動詞と副詞・前置詞」が頻発します。英語はこれによってその意味の拡散を防ぎ、当該文章の「意味を限定する」ことになる言語なのです。これを念頭に[原文 1-1]に示した箇所を読むと表向きの宣言の裏に、シリトーの「本音か読者に向けたなぞかけ」が仕掛けられているような気がしてきます。


3. コロキュアルな表現、シリトーの文章の楽しみ

直前の段落 2 の末尾で少し触れたので、少し重複します。今一度、考えて見たいのです。お付き合いください。

短編冒頭にある長いスペルの単語を辞書で確認することを忌避する宣言がありましたが、それを文字通りの「やせがまん」では済ませないのがシリトーの文章です。コロキュアルな表現がうまく使われる文章には「長いスペルの単語では生み出せない躍動感」があるのです。

この短編は表と裏の含意を楽しむ文章にすることを念頭に書かれた作品です。私の手元にある版「a signet book, sixth printing」のカバーを開いた最初の頁にあるキャッチ広告文は次の通りです。いみじくもこのような特性を指摘しているのです。

[原文 3] It is hard to explain that reading these stories is not a lugubrious experience: that one laughs out loud: and that if pity ever starts to take over you are at pains not to let his tough Nottinghamshire characters catch you indulging in it. Their lives are built on pride and this book of short stories is a monumental to them.
[和訳 3] ここに収載された幾つもの短編ですが、読み手をしんみりとさせたり深刻な気持ちに追いやったりしないのです。ただしどうしてそうなのか、説明が難しいのです。どうして読み手は大笑いしてしまうのか、読み手が登場人物に感情移入し始めると、その途端に読み手はこの登場人物・ノッティンハム地方の人物たちに、そんな自分を見られたくない、彼らからは逃げないと、と苦闘し始めるのです。彼ら登場人物の暮らしは誇りに支えられています。この短編集はこの地方の人々の記念碑のようなものなのです。

Harper's (ハードカバーで出版された
A.A.Knopf社版に掲載されたキャッチ・コピー)


4. Study Notes の無償公開

コロキュアルな表現に該当する言い回しのすべて(目標ですので漏れはあるかもしれませんが。)を私の Study Notes には取り上げました。お役に立てれば幸いです。A-5サイズの用紙に両面印刷して左端をステープラで閉じることを前提に調製しています。

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