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じぶんに手紙を書く(3月ぶん)

3月は年度末の多忙さから身も心も死にきっており、そもそも何かを書こうという気持ちがほとんど起きなかった。それでも、ときどきカードに文章を書いて本棚に私設したポストに投函することはできたらしい。開封してみると中には12枚ほど。1枚いちまい読んでみると、もう書いたことをあまり覚えていない。《じぶんに手紙を書く》というコンセプトでやっているが、3月のじぶんはもう謎めいた他者になっていた。以下、気に入ったもの5撰。

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アップルパイの午後 午後には地球が滅ぶという。さいしょの観測は10年前。大きな彗星と言われたそれは近づくにつれ円盤UFOとされ、もっと接近してみて実はアップルパイだと分かった。おいしそうで済む話ではない。なにしろ直径数千キロメートルにもなる巨大なパイである。核爆弾の何百億倍のエネルギーだとか。各国の科学者らが手を尽くしたがもう衝突は避けられない。お金持ちと抽選に当たった人たちは宇宙に逃げ、残った人たちはきょう滅ぶ。午後3時。空が暗くなり、アップルパイが墜ちてくる。大気圏で焼かれシナモンとリンゴの香りが地球いっぱいに広がる。

影のレンタル 夜なかの公園に影のレンタル屋が来ている。そうか、きょうは新月だったか。旦那、いい影ありますよ。照明灯の下でじしんも影のような男が手揉みをする。ジャングルジムの骨組みはいっけんスカスカだが、地面の影を見るとたくさんの商品がぶら下げてあった。水鳥、でぶ猫、麦わら帽子の少年、オートバイ、だるまストーヴ。鰭のあるのはイルカらしい。今夜はとっておきがありますぜ。店主が空中で手を動かすと、その影がブランコの影に引っ掛けてあった品を取った。なんでも天使から剥いだ影だとか。眉唾だが、たしかに翼は生えていた。次の新月まで試してみるか。

今宵マカロンを殲滅すべし ねえ、ママ。どうして人間たちはイジワルするの? しいっ、静かに。怯えきったマカロンの親子が夜の路地裏に身を潜めている。色はミントグリーンとイエロー。あたしたちが脆くて甘い菓子だからよ。棍棒をもった影が町じゅうをうろついていた。四丁目まで逃げれば。洋菓子店(パティスリー)があった筈だ。そこまで行けば、と母親は思う。ねえ、ママ? 見ちゃダメ! アスファルトの上でピンク色の同胞が粉々になっていた。あんなふうに夜な夜な罪のないマカロンたちが砕かれているのだ。人間たちの笑い声が近づいてくる。

たそがれに醤油差し 使い捨てにされる俺たちにも希望くらいあっていいだろ? 空っぽの醤油差しがポコポコと喋る。魚のかたちの容器は公園の砂場で砂つぶだらけになっていた。仲間がうわさで聞いたんだ。いいか、ぜったい内緒だぜ。町はずれに醤油の川があるって。そこにいけば俺たちもう一度やり直せるって。いや、あの川は。と、言いかけて止める。でも、どうしてぼくにそれを? あんたも空っぽのようだからさ。夕日が沈みかけ、影がうすく伸びる。それじゃ、そろそろ俺は行くよ。醤油差しがフワリと浮かびあがる。見ると、空にはかれの仲間たちが集まってきていた。プラスチックの鱗をキラキラさせて。泳ぐ魚の群れを淡口の夜が追いかける。

型抜きのおっちゃん なんや坊主、サボりか。おっちゃんはサボりやないで、ちゃーんと働いとる。型抜きってあるやろ、ほら縁日とかの。なんや、今時のガキは型抜きも知らんのかい。菓子削って型を抜くんや、兎とか飛行機とかな。おもろいで。今度、祭り来てみい、おっちゃんおるから。チッ。なんやおまえ、ほんまシケた面しとんの。しゃーない、どえらい秘密教えたるわ。ここだけの話やで。お月さんあるやろ、そうや空のお月さんや。あれな、じつは毎晩おっちゃんが型抜きしてん。暦と図鑑みて、針で削ってんねん。すごいやろ、あんなん出来るんおっちゃんくらいやで。ん、きょうは満月? ガキの癖してよう知っとんの。そしたら、おっちゃんもきょうはサボりやな。



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