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①初めまして/騒音寺その1

初めまして、よしなに。
京都の大学生、中村です。

数ある事象が、中村というフィルターで漉され、どのように変容したのか、そうしたものものが陳列される予定です。

暇潰しのため、物珍しさのため、用法用量遵守でお読みになってください。


さて、本日初回のお話は、四条は富小路を下ったところにあるライブハウス磔磔(たくたく)にて、騒音寺なるバンドのライブを観たお話だ。

誘ってくれた友人の話によると、どうにもかの岸田繁は騒音寺のライブを観て、ロックコミューンへの加入を決めたとか決めなかったとか。

1994結成、来年には結成30周年!ともかく、いい年したおじさんたちがやっているバンド。

と、たかを括っておりました、私。

カッケェ!

何だこのバンドは!

頭を振れるか(狂れるか)否かが音楽かそうでないかというのが私の持論だが、頭振り狂りのモンキーダンシングマンとなっていた。

楽器隊の音源レベルのパフォーマンスはもちろん、何よりもボーカルのナベさん。29歳京都大学出身(ほんまは、を突っ込むのはロックなのか)の溢れるパッション。「ロックとは反体制」と語るが、それを地で行く姿勢。

圧倒的ライブパフォーマンス、それに尽きる。ただただ格好良かった。

ここで本題、なぜ格好良いと感じたのか。

自称29歳京都大学出身、にあえて触れてしまうが、やはり「年の功」を率直に感じてしまったのが大きいと考えられる。

おそらく多くのバンドマンたちが、30歳手前で逃れられない現実に直面し、夢破れていく。そんな構図がバンドマンに対する普遍的なイメージがあると、こんなものを読んでいる奇特な方々も、まぁ、ね。と思うところがあるだろう。

30周年目前のバンドマン、逆算すればおそらく50代、ともすれば60歳近くも有り得る。そんなフロントマンが、「ロックは反体制」を地で行くパンド。格好良いに決まっているのだ。

この際バンドの哲学なんかは何でも良い。「ロックはモテるため」とかで良い。バンドでなくても良い。絶対に人の目を見て話すとか、煙草はハイライトしか吸わないとか、ウイスキーはこの銘柄が1番であるだとか。何でも良い。

ただ、「拘る」ということを「続ける」ということ。一本筋の通った、極太な信条の元に為されるそれは、やっぱり格好良いのだ。

もっと言ってしまえば、「拘らないこと」に「拘る」も、続けさえしてしまえば格好良く映るものである。徹底して何かに依存しない、執着しない姿勢を貫き通す、こう書くと、何故か格好良く目に映り込んでくる。

何かを続けるということは難しい。何が難しいかといえば、単に継続していくことがシンプルに難しいというニュアンスの話もあるが、変化は怖いが付き纏うことが大きなものとしてあると考えられる。

あの時ああしておけば、今は違ったかもしれない。といったようなたられば論。私たちは常にそうした思考も持ち合わせている。だからこそ物事に注意深く向き合えるとも言える。

しかし、それでも続ける。たられば論もある。それでも続ける。周りの奴らは30手前でリタイアしていった。それでも続ける。29年間やってきた。これからも続ける。

想像を絶する、と形容するには生温い。己のロック像への傾倒、執着、絶対的自負。一種の宗教のようにも思われる。信仰。

そんなフロントマンが頭を振らして(狂らして)くれるバンド、騒音寺。

本当にいい出会いだった。最高の時間だった。誘ってくれた友人に感謝と敬愛を。

そんな格好良いバンドを受けて、思われたことは次章に。続きはCMの後。

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