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お~いお茶の俳句が難解だったけど意味がわかるとすごく素敵だった

新緑はきっと偶数かもしれぬ

お~いお茶の新俳句大賞として上記の句が選ばれていた。
この句にどういう意味が込められているか、皆さんは分かるだろうか。

僕は初見では全く理解できなかった。
「新緑」と「偶数」の関連性が無さ過ぎて、ランダム単語メーカーで2単語を引っ張ってきただけなんじゃないかとすら思ってしまう。

だが、どうやらお~いお茶の俳句賞の選定では、その句を詠んだ背景も伝えないといけないそうだ。
ということはこの句にも何かしらの深い意味が込められている可能性が高い。

というわけで考えてみよう。


僕がまず連想したのは、木の葉っぱの枚数は本来偶数なのではないかということだ。

小学校の時に細胞分裂の仕組みを習い、生物は本来的に偶数個の細胞を持っていそうだということをなんとなく理解している。
また、人間の腕や脚、目など基本的な構造も細胞分裂によって発生し、多くが左右対称で偶数個存在していることも知っている。
そこから連想すると、もしかすると木の葉の枚数も、元々は偶数枚なのではないかという仮説が生まれる。

そして、「新緑」とは、晩春から初夏にかけて、新しく芽吹いた青々とした葉を形容する言葉である。
そんな新しい葉っぱは、まだ1枚も散っていない完全な状態、つまり偶数枚の葉を持っているのではないか。
それほど生命力に満ちている木々の「新緑」を、この句では「偶数」と表現しているのだろう。

「きっと」と「かもしれぬ」という推量の言葉を二重に使ったのは、そんな完全な状態であってほしいという希望も込められているかもしれない。


当初は全く意味の分からなかった句だが、ちゃんと考えてみるとすごく素敵な意味の繋がりが見えてきた。

この解釈が正しいかはぶっちゃけわからないし、僕は理科が苦手なので上記の解釈が正しいとも思っていない。
だが、僕にはこう解釈できたし、それをすごく素敵だと感じているので、それでいいのではないだろうか。


こんな風に考えれば考えるほどいろんな意味や背景が見えてきた。
俳句は教科書に載ってるものくらいしか触れてこなかったので、こんなに味わい深く、そして素敵なものだとは知らなかった。

17文字でこれだけの情報量。おそるべし。
この句でも、なぜ「きっと」を選んだのか、などまだまだ考察の余地がある。
ただ、それを書くには余白が足りないので、皆様への今後の課題としたい。

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