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『コラムニストになりたかった』 中野翠 「自分の場所」が見えてきた

肩書は「コラムニスト」にしようーと決めたのは、たぶん1970年代後半か80年代に入ってからだったと思う。当時としては順当に「エッセイスト」と名乗るところを、あえてコラムニストにしたのには、わけがある。私が書くもの、書きたいものは、少しばかり時評的だったり批評的だったりする。エッセイストと名乗るにはシミジミ感は薄く、エレガントにも欠ける。それで、ちょっと遠慮して(?)あえてコラムニストと名乗ることにしたのだった。

『コラムニストになりたかった』より

「あとがき」にもこう書かれているように、中野翠さんの書くものは、ちょっと時評的で批評的。
そこが好きで私は長年、中野さんの書くものを愛読しています。が、「どういう思いで書くことに向き合っているのか」といったようなことが書かれたものを読んだことはない。中野さんはそういう類のことをこれまであえて書いてこなかったのです。

本書『コラムニストになりたかった』は、そんな中野さんが1969年にアルバイトで出版業界に入ってから今日までの、ざっと50年を綴ったものです。

コラムニストになるまで

大学を卒業後、読売新聞社でのアルバイトを経て主婦の友社に就職した中野さん。1970年に平凡出版(当時)から創刊された雑誌『アンアン』に強い衝撃を受け、OL生活も2年が過ぎようとした頃に「冒険がしたい」と仕事を辞めて海外へー。3ヶ月で帰国しフリーライターとなります。

ファッションや映画にハマる一方、1970年代前半まで盛んだった学生闘争や三島由紀夫の自決などを目の当たりにしながら、1974年に中野さんの師となる三宅菊子さんと出会います。

三宅さんは『アンアン』創刊当初からの、フリーランスの主力ライターで、独得の「アンアン文体」を生み出したひとでもあった。

『コラムニストになりたかった』より

どんなライターになりたいか

その後、さまざまな仕事を引き受けた中野さん。基本的には依頼はすべて引き受けたといいますが、「生き方」方面の話にはあまり興味がなく、苦手だったと振り返ります。

どういうタイプのライターになりたいとか、何が私の「売り」なのかとか、私がほんとうに書きたいものってどんなものなのかとか……そういうことを漠然と考えていたけれど、実は苦手なもの、興味の薄いもの、頑張っても面白くできないものーというのがどうしてもあって、だんだんと自然に「自分の場所」というのが限定され、見えてくるのだった。

『コラムニストになりたかった』より

1980年代に入り、初めての単行本『ウテナさん祝電です』を出版。当時大ベストセラーとなった林真理子さんの『ルンルンを買っておうちに帰ろう』に次ぐエッセイ集にー、という編集者の目論見があったようですが、本はそれほど売れず。

中野さんは、ここがライターとしての自分を見つめ直すきっかけになり、「恋愛→結婚→出産→家庭」という女の王道に関心が薄いことがハッキリとわかった、と。

ただ、ハッキリとわかったことは、私は私自身のことについて書くのは苦手だけれど、観た映画や読んだ本、耳にした巷の話などについて書くことには喜びを感じる。おのずから批評性を帯びた文章になるわけだが……専門的知識は乏しいので、気楽で、読みやすさを優先した文章のほうがいい。読者は女の人に限定せず、男の人にも読んでもらえるような文章……というようなことを考えるようになっていた。

『コラムニストになりたかった』より

『サンデー毎日』のコラムがスタート

そして1985年、現在も続く『サンデー毎日』のコラムがスタートします。

前述のように人生の感慨や日々の暮らしをシミジミと綴るのではなく、好きな映画やTVを友だちとおしゃべりするような調子で書く。それを”自称800文字ライター”というように、もっとも書きやすいと思う800文字くらいの短い話題を2つ3つ並べて2ページ分にー、というスタイルを確立します。

1985年に『サンデー毎日』の連載エッセーがスタートした頃から、私はライターとしての自分のスタイルについて、一つのイメージ(願望)を持っていた。ひとことで言うと、できるだけ正体不明のライターでいたい。男とも女ともつかない文章を心がけ、プライベートな事柄は極力控え、世の中やエンターテインメントについての文章を中心に書こう。

『コラムニストになりたかった』より

感想 自分の場所が見えてきた

この本を読んでなにより嬉しかったのは、自分が抱えてきた「書くことへの悩み」と同じようなことを中野さんも考えていたとわかったこと。

私も「生き方」方面の話は苦手。お悩みや人生のナンダカンダは映画や本を絡ませて、極力ジットリしないように書きたいと思っています。

男とも女ともつかない文章をー、もそのとおり。以前、書いたものを読んで「男性だと思っていました」と謝られたときはむしろ嬉しかったほど。”ほっこり”(←この言葉すら嫌悪!)したくも、させたくもない。かと言ってキレればいいというものでもなく、そのさじ加減が難しい、なんてことを考えたりー。

考えてみれば20数年も中野さんの書くものを読んでいる私は、あえて書かれてはいない中野さんの「書くことへ思い」をくみ取って、吸収して、悩みすら「同化」していたのかも。そして私もようやく「自分の場所」が見えてきた気がしています。

コラムニスト中野翠を生み出した時代や文化、人物についても存分に書かれている本書『コラムニストになりたかった』

自身の半生を振り返りながらも、ちっともシミジミしていない端的な文章はやっぱりカッコイイ!
私の「師」のクロニクルをぜひ。



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