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映画『市民ケーン』を注意深く見てみた

批評を独学している私による、ほぼ私のための超解説です。できるだけ噛み砕いたものを置いていきますので、興味のある方はどうぞ。

ここまでの勉強(映画や本の「感想文」で終わらせないために/批評には「型」がある 「読み」と「書き」の切り口)で、批評をする上で絶対不可欠なことは「対象をよく見ること」とわかりました。本でいうところの「精読」です。

映画の場合は何と言うのか適当な言葉が浮かびませんが、「細部まで注意深く見る」という見方のことでしょう。

今回は映画を注意深く見る方法とポイントまとめておきます。


映画『市民ケーン』のどこをどう読むか

映画評論家ドナルド・リチー氏による映画批評本『Viewing Film 映画のどこをどう読むか』は、10本の名作映画を題材に、どこに注目し、それをどのように解釈するかをわかりやすく解説したもの。とにかく視点も批評としての表現も素晴らしい名著です。


その10本の中から、映画『市民ケーン』(1941年)を批評を読んで再見してみました。

映画『市民ケーン』

新聞王ケーンが残した「薔薇のつぼみ」という言葉の謎を追うミステリーの本作。以前見たことがあるので、その「謎」の正体は知っているし、記憶や証言を基にした過去を絡めた構成ということも知っている。さらに当時は斬新と言われた深い被写界深度(パンフォーカス・ディープフォーカス)などの撮影技術が見どころであることも知っている。そんな『市民ケーン』をリチー氏の批評はこの映画のもつ「皮肉」にフォーカスしています。

「証言」の使い方、「時間」の使い方(大きな省略や遡行)、冒頭とラストのイメージの使い方などに「皮肉」をもたらす効果があると評しています。そして、人間の悲劇性だけでなく「人間の実体とはなにか」という大きなテーマをこの映画から読み取っているのです。

さあ、注意深く見ることで、リチー氏の批評眼にどれだけ迫れるでしょうかー。

映画『市民ケーン』を再見した感想

以前見た時にも「”薔薇のつぼみ”の話はどうなっとんねん! 」と思ったのですが、今回、わざとそうしているという意図が読み取れた気がします。

重ねて語られる証言は謎解きのパーツではなく、証言の元となる人の記憶の不確かさと、その不確かなもののうえに「人(自分)」があるという、映画全体のイメージも深まった気がします。

ケーンの人間性を想像させる意図的なショット(ローアングル、対角線の奥から歩み寄ってくる、合わせ鏡に映る無数のケーンなど)も確認できました。

そして何より、過去最高に面白かった『市民ケーン』でした。(初見はリバイバルの映画館で爆睡しました)

オーソン・ウェルズすごっ、というか、ほかの映画も見て思ったのですが、この人ちょっとムカツク(笑)

注意深く見ると見えてくる「ストーリー以外」の映画の要素

初見時はどうしてもストーリーに没頭してしまい、よほどの粗がない限り細かい部分は気になりません。私はそういう映画の見方自体、好きです。主人公や登場人物に感情移入したり、文句を言ってみたり、恐怖シーンに驚いたり、どんでん返しに「そーきたかーっ!」と唸ったり、そうやって映画を楽しんでいます。

が、あらためて「注意深く見る」と、ストーリー以外にも映画には重要な要素があることがわかるようになりました。

演出:監督がどういう意図で舞台設定やキャスティングをしているか
撮影技法:ロングショットやクローズアップなどカメラワークとその効果
演技:映画としてのリアリティとは
編集:シーンのつなぎ方に見る映画の印象
その他、美術・衣装・音楽など

今後はこれらについても詳しく独学していく予定です。

批評のトレーニングには名作を見たほうがいい理由

映画『東京物語』

最後に名作を見る意義についても触れておきましょう。

名作映画ほどたくさん「批評」されている。これに尽きると思います。

ただの感想や好き嫌い、抽象的な絶賛やこき下ろしではなく、細部をとらえ「このように解釈した」という評者の理由が書かれた「批評」は、作品を理解する上での大きな力になります。名作映画ほどこうした良い批評が多く、いろんな発見と解釈がなされています。さらに時代による読まれ方の違いも興味深いものです。

今回取り上げた『市民ケーン』の他、リチー氏の本では小津安二郎の『東京物語』、ミケランジェロ・アントニオーニの『情事』、スタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』などが取り上げられています。映画と合わせてぜひ。


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