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雑念なしのオリンピックを/イメトレの限界/『ダメをみがく』を読む

2021年7月27日

コロナ禍のオリンピック中。直前で関係者が辞任、解任するゴタゴタのあった開会式も無事終わり競技が始まった。

TVは予想通り、日本選手のメダル獲得を感動増し増しで伝え、ネットには「開催に反対していたのに応援すんのか!」とか、「オリンピックどころじゃねぇよ!」とか、「あの開会式のショボさはなんだ!」といったキッツイご意見が。私自身も「コロナで、無観客で、酷暑で、やっても盛り上がるの?」 と思っていた。

が、始まったら始まったでやっぱり面白い。時間の許す限り生中継を見てしまう。

けれども「やっぱ日本すげぇ!」とか、感動の秘話とか、選手の家族や恩師のコメントとかはいらない。悪いけど興ざめしてしまう。もちろん批判や懐疑的な意見もいらない。余計な情報は極力見ない。

試合や競技を楽しんで終わり。それでいいじゃないか。


そんなオリンピックを見ていてふと思った。自分はいつから自分の思うように身体を動かせなくなったのか。

ちょっと前に誰もいない公園の鉄棒で逆上がりをしてみた。いや、正確に言えば、しようとしたけどできなかったのだ。

両手で鉄棒を握り、勢いをつけて足を振り上げようとした。が、どこからともなく「やめてー!」「やめておけ!」という叫び声が。ほかでもない。内なる声だった。腕、脚、腰、背中、お腹すべての筋肉と贅肉が良からぬことが起きると察したかのように動きを止めた。これらを動かそうと指令を与える脳が「えっ?ちょっと想像つかないんですけど」という状態だったのだ。

そこでイメージトレーニングをしてみた。お転婆でサルのようにジャングルジムや鉄棒と親しんだ子どもの頃を思い出した。逆上がりなど余裕でできたあの頃を思い起こした。

しっかり鉄棒を握り、勢いよく足を振り上げる。身体が華麗に舞うー。が、どうしても「できない」「あぶない」「怖い」という邪念というか本心が邪魔をするのだ。

自分の思うように身体が動かなくなるなんて、現役のオリンピック選手のみなさんは想像つかないでしょう。が、私はもう一歩先を行っているようです。自分が思ってもいない動きをするようになる。

12:45 朝着替えたTシャツが後ろ前だと、いま気づきました。


『ダメをみがく  ”女子”の呪いを解く方法』を読む。
作家津村記久子氏とコラムニスト深澤真紀氏の対談形式の本書。社会や自分自身がかけてしまっている「女だからー」という縛り。これを解き放とう、男女の差をなくそう、という類の本だけど、そっち方面の人(#MeTooのあの人とか#KuTooのあの人とか)って、何かとアグレッシブすぎて気圧されてしまう。これはそんなダメな私にピッタリの本だった。

仕事も生活も「適性」と「工夫」と「風向き」でなんとか「しのいで」いけばいい。なんだかんだと言ってくる人に対しても、「人は人、自分は自分」でいい。それは家族に対してもそうだと。子もおらず、もう親もいない身だし、なぜかわからないけれどあれこれ言われにくいタイプなので、結構マイペースにやってきたけれど、そんな私でもまだまだダメをみがく余地はあるな、と思った。

津村さんも言ってますが、”ダメを許してもらったり、認めてもらう必要もないですし、徒党を組んでダメじゃないってことにしてもらおうとする必要もない。自分の中だけで「ダメやなー。でもおもろいからええか」って保存して、たまに蓋を開けてひとりで発散するくらいでいいと思います。” です。


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