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『マイ・バック・ページ』を見て読んで/ちゃんと泣ける/鳥肌ソング!?

2020年8月29日

例年以上に何もない夏が終わろうとしている。と言ってもまだまだ暑いので、エアコンの効いた家の中で本を読むか映画を見るに限る。

映画『マイ・バック・ページ』(2011年)を見た。

先日読んだ『本と映画と「70年」を語ろう』の著者の一人、川本三郎氏の同名の自伝的著書を映画化したものだ。

主人公の沢田(モデルは川本氏/妻夫木聡・演)は新人新聞記者として学生運動の取材を通じ、梅山と名乗るひとりの青年(松山ケンイチ・演)と出会う。梅山は学生仲間と一緒に「赤報軍」を立ち上げ武装化する計画を抱いていた。

梅山の危うさを感じながらも独占取材を申し出る沢田。が、それが「朝霞自衛官殺害事件」への関与、逮捕、免職につながっていくというお話。

先に読んだ本『本と映画とー』でもこの事件について川本氏は語っているのだが、その本の印象と少し違って、映画からは「革命家かぶれの愚者に騙されしまった」という沢田の後悔が強く感じられた。

時代を映すような「どこにも居場所がない」沢田の宙ぶらりんな思いが丁寧に描かれているけれど、それ以上に松山ケンイチが醸し出す梅山の胡散臭さが際立っていた。この事件の首謀者とでっち上げられ、長く潜伏することになる「過激派の教祖」と言われた人物を山内圭哉が演じているのも見どころ。

で、ホントのところどうだったんだろう。映画では描き切れなかった部分を知りたいと思い、原作『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』(映画化を機に再版されたもの)を読み始めた。

映画にも登場する印象的なシーンで、当時「週刊朝日」のカバーガールをしていた少女モデル保倉幸恵(映画では倉田眞子/忽那汐里・演)と一緒に映画『ファイブ・イージー・ピーセス』(1970年)を見るエピソードがある。男が泣くことはカッコ悪いという時代に、幸恵は「ちゃんと泣ける男の人が好き」というのだ。

映画(『マイ・バック・ページ』)では描かれていないが、この保倉幸恵はその後、若くして自殺している。映画のラストは、この「ちゃんと泣ける男の人が好き」という幸恵の思いに応えたのかもしれない。


今では映画やドラマでなくても、男の人が泣くのは珍しいことではなくなった。

昨日(8月28日)に持病の悪化を理由に辞任を表明した安倍首相も涙こそ流さなかったものの、声を詰まらせるシーンがあった。一国の首相として伝えなければならないことは言葉にすべきだけれど、ひとりの人間として「言葉にならない思い」も山ほどあるのだろうな、と思った。

で、その少し前にTVで見たベッキー。
すっかりお元気そうで何よりなんだけれど、自分のことを「涙腺が弱い」という。感動しやすいとかそういうことなのかなと思ったら、そうではなく、構ってもらえないとか、わかってもらえないとか、自分どおりにならないことに対しすぐ泣いてしまうのだと。

それは「涙腺が弱い」というのとはなんか違う気がするのだけれど……。


ついでにもうひとつ「なんか違う気が」を書いておこう。

TVでの感動的な歌唱に対し、「鳥肌が立ちました!」というコメントがネットに寄せられる。これはまぁいいとして、それをTV(朝の情報番組)が「そんな”鳥肌ソング”をもう一度ご覧ください」と紹介するのだがー。

本来「鳥肌が立つ」は、「身の毛もよだつ」「ゾッとする」という意味の慣用句。今は「感動する」という意味でも使われるようになっているけれど、それを慣用句というスタイルもぶっ壊して”鳥肌ソング”というのには唖然。

「言葉は生き物」とは言うけれど、ちょっと酷すぎるな、と思った。

自分でも気をつけよう。「草はやしたり」「お茶吹いたり」「共感させいただいたり」しないようにしよう。


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