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母ではない母を思う母の日

2024年5月11日

たまたま目にしたこの話題。

東京駅内の商業施設が出した「母の日」向けの広告が「違和感を覚える方もいた」として撤去。

どんな広告かと思ったら、ピンクの切符を模したデザインでハートマークや「Jr.親孝行線」「ずっと小児」という文字が描かれている。

撤去の判断に至った"違和感"がどういうものなのかはわからないけれど、「ずっと小児」ってどういう意味なんだろ? わからん。「子ども」じゃなくて「小児」、わからん、わかりにくすぎる。


というわけで、明日5月12日は母の日です。

です、と言いながら私は若い頃に母を亡くして、それからずいぶん経つし、自分自身も「母」ではないのですっかりご無沙汰のイベント。

数行前に広告に対して「わかりにくい」とボヤいたのを棚に上げ、このあとものすごくわかりにくいことを言います。お許しを。

ここ数年、亡母が「思慕 敬愛」の枠からはみ出てくるようになった。

自分自身が母が亡くなった年齢に近づいてきたからかもしれない。昭和がリバイバルブームなこともあってか、昔の映像や話題を目に耳にすることが多くなった。そんなときにいつも「この頃お母さんは〇歳か」と思い、自分が生まれるずっとずっと前の母を想像する。

生前には昔の話はほとんどしなかった母。物心ついた頃には父はいなかった。なぜいないのかを私は子どもながらに「聞いてはいけないこと」と感じとっていた。

職歴も学歴も知らない。どこで父と知り合ったのか。なぜ離婚したのかも知らない。母について知らないことだらけだ。

なのに、生きていたころにはそんなことは考えもしなかった。子どもの私にとって母はいつも母で、母以外の母は存在しなかった。厳しくて疎ましかったけれど「思慕や敬愛」の枠内にいて、亡くなってしばらくもそうだった。

が、この頃、そこからはみ出てきた。

私が生まれる前の時代の母を思う。
戦後の物のない子ども時代を過ごし、お洒落にめざめ、恋をしてー。アラン・ドロンやスティーブ・マックイーンの映画を見に行ったり、美味しいものを食べたり、お酒を飲んだり飲まれたり、けんかしたり、仲直りしたり。時代が時代なだけに辛いこともたくさんあっただろう。気が強い人だったので「女だからってバカにしないでよっ!」くらいのことは言ってただろう。悔しくて泣いたりもしただろう。

想像でしかないけれど、それはもう母ではなくひとりの女性、ひとりの人間だ。母という「思慕や敬愛」の枠に閉じ込められた存在ではなく、一生懸命に自分自身を生きた人間だ。

母の日に伝えたい気持ちは「ありがとう」には違いないけれど、今年は「よく頑張りましたね」を贈りたい。そこに「お母さん」は不釣り合いな気もするのでこうしよう。

「貞子さん、よく頑張りましたね」

注:貞子は仮名です。文中の画像も母ではありません。

そうか「ずっと小児」の違和感もこれかもな。

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