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書いても忘れる/ドラマ『オハイオの悪魔』の見どころ/ラストが秀逸!映画『嘆きのテレーズ』

2023年4月3日

早いもんでもう4月、って去年の4月も同じことを書いていた。
そう思ってこの日記を見直してみると、まあ同じようなことを書いてる、書いている。記憶、大丈夫か?とわれながら思う。

身体が硬い話なんて何度書いたかわかりゃしない。そのたびに「ほどほどに頑張ろう」という結論に達し、その”ほどほど”がいつしか”ほぼ無”になり、ある日突然「この身体の硬さが諸悪の根源だ!」と初めて気づいたかのようにー。ホントに大丈夫なのか、われ。

Wordpressの更新にしてもそう。

先日メジャーアップデートがあり、今回も特に気にすることなく更新。
するとサブドメインへのアクセスが503エラーに。「やってもうた……」と思ったものの、あれこれ調べてみるとPHPバージョンを変えたらイケるかも、という情報が。ここでうっすらと、「そういえば同じことあったな」と思い出した。

前回は昨年の11月。まだ半年も経っていないのにすっかり忘れていた。自分の記憶力の浅さが怖い。

ま、まだ「そういえば同じことがー」と思えるだけヨシとしよう。そういうことにしておこう。


Netflixドラマ『オハイオの悪魔』を見た。全8話、リミテッドシリーズなので続編はナシか。

とある集団から抜け出してきた少女と、これを保護する女性精神科医一家をめぐるストーリー。カルト教団というのが、今どき珍しいほどベーシックな悪魔信仰。カラスとか逆さ十字とか生贄とか古典的なモチーフが登場する。

これに対し精神科医一家のほうは実に多様で現代的。精神科医自身が母娘のトラウマを抱えている。長女はバイセクシャル、次女は学校でのけ者にされ、養子の三女はアジア系。無宗教で食前のお祈りはしない。夫は不動産仲介業で独立したもののうまくいかず、精神科医の妻と家事や育児分担をめぐってぎくしゃくしている。そんな家族が少女を住まわすことになりー。

究極の古い習慣と新しく自由な暮らしの対比が見どころ。スリラーとしても面白い。個人的にはラストの真相はー、の部分は冗長かな、と。もっと思わせぶりなほうがよかった。


ラストの秀逸さではコレ、という1本。映画『嘆きのテレーズ』(1953年)

病弱で粘着な夫と過保護な義母と暮らす女性(シモーヌ・シニョレ、めちゃキレイ)が、その生活に嫌気がさし自分に入れあげている愛人とともに駆け落ちしようとするがー、という、よくあるストーリー。で、その愛人が夫を殺めてしまうが運よく事故として処理される。しかし事件には目撃者がおりー、というどこまでもよくある話。

誰がどこでかは忘れたけれど、『嘆きのテレーズ』は見ておくべき映画とおすすめしていた。ホントそのとおり。これぞ映画のラスト。

100分少々のこの話をどういうふうに見ていたかが試されるようなラスト。ハッとさせられる。その”ハッ”は単なる物語上の驚かしではなく、自分の内側から出るものなんですな。してやられたり。
「手紙、手紙……」とうめく男を愛人が揺らしすぎるラスト。名シーンだった。

でも、どこでおすすめされたんだっけな。思い出せぬ。
そしてこんなことを書いたことも忘れて、数か月後に「映画のラストはー」と語り出す気がしてならない。


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