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脆弱な精神と獰猛な人格


自身の言葉なんてない


 5年前に迎えて以降、書斎の中でも特に私から近い位置にケージを置いて飼育していたハリネズミのハリさんが7月22日に亡くなった。ハリネズミの平均寿命は3年程度と聞くのだけれど、私が飼育するハリネズミは大体5年程度生きる。
 ハムスターは平均寿命まで飼育できた試しがないし、ウサギも可愛がっている割には早死にが多い中で、ハリネズミだけは恐らく私との生活環境が合うのだと思う。
 どの程度愛玩していたかと言えば怪しいものの、ただ隣りにいるということに満たされていた。

 今部屋にいるのはチンチラと猫とモルモットとデグー。そして私。
 大所帯だった頃と比べればだいぶ落ち着いてきているのだと思う。ペットを抱え込まなくても生きていけるようになった、と言うにはまだ早い。ただ精神疾患の悪化に伴い、そこまで命に対して責任を持てなくなってしまった。
 自殺未遂をして長いこと病棟にいる間、ペットの世話は実家の両親に任せることになってしまう。希死念慮を自身でどうこうできない以上はもう増やしてはならないのだなと思う。
 
 毎日のように腕を切っている。
 オーバードーズは金がかかる。大した稼ぎもないくせに市販薬にお金を溶かすのは馬鹿らしい。その時は一時的に満たされたとしても後ほど貧窮した際にその行いを悔やむことが目に見えている以上、咳止め薬だのそんなものを買い込む気には到底なれない。私はこれ以上自分のことを嫌いになりたくはないので自身の矜持に基づいて自傷ひとつをとったとしても取捨選択をしている。
 手首を切ることに金はかからない。
 視覚化もできて超良い。
 半ば他人への当てつけのようなものであるし、限界度合いをどう表現しようかと思った際に、言葉を尽くしても尽くしても相手が自身と同じ程度の言語能力を持ち合わせていない限りは伝わらないものがあるので。誰にでもパッと伝えられる方法としましては身をもって伝えるということで、腕を切るのが一番安易である。
 あと、自傷跡のある自身のことはけして嫌いではない。
 年輪かなんかだと認識している。

 他人からあまり大切にされないので自分のことを大切にしようとは思わないが、他人から愛されなくとも自分では自分のことをそれなりに気に入っている。トレインスポッティングの冒頭部分みたいなもんで、成人してからはある程度自分で選んできた。学歴を、この顔を、スタイルを、病気を、服装を、振る舞いを、選んだ。自傷だって選んだ。病むことも泣くことも切ることも自己決定ができる。
 ただ、希死念慮だけは私から切り離されたものであるからちょっと責任取り切れない。

安全基地なんてない

 今年の春に、友人の紹介で知り合った異性から告白をされた。タイミングが文学フリマ東京の直前だったものだから、東京から戻ったら返事をしますと言って延ばしたものの、はなから返事は決まっていた。
 私は自分の感情に関しては大袈裟な節があり、尊重されないということに対して酷く憤る癖があるにも関わらず、他人に対してあまり関心が抱けない。ただ好きだの可愛いだの言われること自体はまんざらでもないものだから恋愛というものを繰り返してこの歳まで生き延びているものの、相手のことを「ちゃんと好き」であるかと言うと怪しい。
 「ちゃんと好き?」「ちゃんと好きだよ」「ちゃんと、って何?」そんなやり取りと別れを繰り返しながら、上手くいかなさは諦めている。
 
 性的な欲求が一切ない。
 それはかつての暴力からの苦手意識なのかもしれないし、異性への苦手意識なのかもしれないのだけれど、説明するのも野暮かと思われるほどの強い拒絶があるものだから、交際相手との性行為がどうしても難しい。
 大抵別れる原因は性行為が嫌だから、である。
 向こうからは「じゃあぼくのこと好きじゃないじゃん」と言われる。
 その台詞を言われるまではこちらとしても葛藤があるのだけれど、言われてしまえば「性行為ができないというだけで駄々をこねる成人男性を好きだという女がいるのですか」と思えてしまう。
 
 付き合うこと自体には抵抗はないが、手を繋ぐだとか体に触れられるだとかするにはちょっとムリかもしれない。そう思う相手があまりにも多い。もうそう思った時点で付き合わない方がいいのだろうとも思っていたので、春の告白は断るつもりがあった。ただ、なんと伝えようか考えることが面倒であったので相手に対する気持ちをどこまでも下げていこうと思った。情でも湧いてしまったら付き合ってしまうだろうけれど、ひとりひとり人格を持ち合わせた人間である以上は情だけで交際するだなんて限界がある。
 なのでまあ「こいつそこまで好きじゃないからなあ」という状態まで自身のメンタルを持って行きたかった。

 とりあえず歌舞伎町のメンコンに行こうと思った。
 美形を拝んでから名古屋に戻って相手を振ろうと思った。
 実際、振れた。
 だってもうレべチだもの。
 都会の洗練された異性を見た後なら正常な判断ができる。

 今年の初夏に知り合った異性から告白をされていた。
 返事はしていなかったものの、私も初対面で一目惚れのような状態であり、正直まんざらでもなかった。ただ、いつ自分が傷付くような振る舞いを相手がし始めるのかと思うと気が気でなく警戒心が働いたものだから返事はしないままでいた。
 しないままでいたら、私の休日に「そこ2日間は予定がある!」と言われた後にコンカフェをハシゴしていたことが分かった。
 なるほどと思い私もまた今一度正常な判断をしたかったため、前回からそう期間も空いていなかったのにもう一度歌舞伎に行って正常な判断をしようと決めた。

 

東京に戻ったところでもう遅い

 大学4年間、三鷹に住んでいた。って書くとどの大学に通っていたかが絞れてしまう。ICUと言われているが否定はしていない。
 でも三鷹に住んでいるからと言って三鷹の大学に通っているとは限らない。武蔵境からは中央線だけでなくて西武多摩川線が出ていて、実際学生時代の私は多摩川線沿いを自転車で走っていた。
 上京して1年は西東京から出るのが怖かった。あちこちへ行けるようになったのは成人してからだった。勿体ないことをした。
 東京での日々は楽しかった。
 いや名古屋よりマシだっただけなのだけれど、それでも名古屋と比べると遥かにマシで、息ができた。だから名古屋で上手くいかないことがある度に東京へ戻りたいと思っていた。
 
 今回の東京はコンカフェの一件に対する当てつけ旅行であったのだけれど、折角東京へ行くのであればと世田谷文学館での伊藤潤二展、吉祥寺のおにぎりバー、蒲田のニュータンタンメン、横須賀美術館でのエドワードゴーリー展等、欲張った。
 その結果として大変満たされて名古屋へと戻ってきたのだけれど、また日常へ戻った途端に手首を切って過ごすような毎日であり、何が楽しいというんだこんな日々がと思った。
 
 東京から戻って間髪入れずに、相手方がコンカフェで繋がりをしていることを知った。
 連絡先交換だけでなく外で会っている、時に客とキャスト以上の関係性を持っている可能性があることまで知った。大須のコンカフェならまだしも錦のコンカフェにモラルだとか常識を求めてはならないのかもしれない。
 悪いのは客として通っている男側であるとは分かった上で、昇格を控えているにも関わらず外で会っているキャスト側にもヘイトは募った。
 あーあ名古屋になんて戻ってこなければよかった、という気持ちがさらに膨らんでいった。相手を嫌いになった、幻滅をした、もう今後会うこともないだろう、というところまでいったのだけれどそれで完結することなくダラダラと続く嫌な気持ちはなかなか収まる気配がない。
 だって、私の日常はダラダラと続いていくし。
 私の日常はちょっと嫌の連続であるし。
 不愉快な日々に大きめなイベントとして不愉快が追加されたことがもうどうしょうもなく泣きそうで、更に自傷は加速したのだけれど。そのキャストの在籍店舗をSNSに書くこともなければ掲示板でこの女簡単につなげれますよとか書き込まないのは矜持であるし。それをしてしまったら今度こそ自分を嫌いになるだろうし。

神様はいるけれど私のことは見ていない

 一目惚れしてまんざらでもなかった相手がコンカフェで二推し三推しと繋がるどころか一推しとのやり取りも欠かさないDDであることを知ってしまっても。
 蔑ろにされていることを自覚してしまっても。
 それでも日々は続いていく。
 
 新卒の時、内定式で言われた言葉を思い出す。
 「君たちはこれからペットが死んでしまっても、彼氏にフラれてしまっても、働かなければいけません」
 私はペットが死んだら働きたくないし彼氏にフラれたら働きたくない人間なので、当たり前にその会社はさっさと辞めてしまったし、その後もペットロスの度に、失恋の度に、仕事は辞めていた。
 だって心の支えがなくってモチベもなくって、なんのために働くの? 生きるため? 死にたいのに?
 
 6月末から入ったドール専門店は淡々と単純作業をこなす日々であり、アパートと職場の往復という単調かつ無感動な生活は私が望んだものであったはずなのだけれど、こうして社会復帰をしていけたらいいなと思っていたのだけれど。
 定時に店を出てスマホを見ると、大抵インストに足跡は着いているのだけれど連絡は来ていない。
 私が返していないから向こうから来る訳もないのは分かっているのだけれど。少しは期待をしてしまっていた。
 全部嘘だったんだな、薄っぺらい言葉並べられて信じた私もバカだったな、と思いながらも。だって一般人だよ。メンコンキャストとかの言葉を鵜吞みにしてガチ恋してるのなら私が悪いのだけれど、相手一般人だよ。嘘つくとかペラペラなこと言うとかそんなの予期できなくても仕方がない。
 なんでメンコンキャストの方が深みあること言ってんだよくらいにはこいつがペラくて悲しくなる。
 思い出とか言われた言葉とかを頼りに日々を過ごそうにも大した思い出もなけりゃ言われた言葉がペラ過ぎる。
 過去一、軽薄。

 それにムカつきながら、傷付きながら。
 仕事でもムカつきながら、傷付きながら。
 こうしてこういう日々が続いていく中で、私はどこで幸せになるのだろうと思った時に、なれない気がした。
 何者でもないままに惰性で日々をこなし続けるだなんて私はそんなの嫌だった。何が楽しいのと思ったその途端、休憩中にバックヤードで裏紙に「仕事辞めます」と書き殴った。
 
 その翌日に5年飼育していたハリネズミが亡くなった。
 その日の昼に店の郵便受けに裏紙を投函した。
 失恋、失業、ペットロス。
 幸せの要素なんて何一つとない。ただ、膨大な時間とわずかなお金だけがある。

 


脆弱な精神と獰猛な人格

不貞腐れる

 東京から戻ってからのしばらくが長雨であった。
 アパートの階下に置いているエイプにはカバーをかけてあったのだけれど、エンジンルームに雨でも入り込んだのか、ある晩ちょっとの用事を思い出して引っ張り出してみたらエンジンがかからなかった。
 圧縮上死点がない。
 キックの手ごたえが一切ない。
 ガス欠を疑ってガソリンスタンドへ持ち込み給油したのだけれど、それでもまったくエンジンがかかる気配はなく。しばらくキックを繰り返していたら店員さんが奥から出てきてキックを代わってくれたのだけれど、ちょっとライトが点灯してもまたすぐに消えてしまうの繰り返しだった。
 朝になったらどっか持ち込んだ方がいいかもしれないと言われたものだから翌朝バイク専門店に持ち込んでみたら、改造マフラーだからと修理を断られてしまった。
 
 その後もちょっと離れた店の駐車場でキックを繰り返していたら、そのうち重めの音がし始めて、エンジンがかかった。
 圧縮上死点は分からないまま、軽いキックで軽めにかかった。
 またすぐにエンストしたのだけれど、またキックを数度したら軽いキックで軽めにかかった。
 不安だったのでそう遠距離は走らないことにして、とりあえず実家まで走ってみた。エンジンはか弱い気がするし、その割にマフラー音は大きい気がするし、元々ちょっとかくかくとした引っかかりを感じながら走っていたのが、急に滑らかな走行になってしまっていた。
 重みがない。いつまた止まってしまうのか気が気でない。
 それでもギアチェンジに問題はなく、ニュートラルにしておいても勝手に止まることもなく、スピードも思い通りに走っていた。
 
 祖母の家のガレージにエイプを入れ、その日は実家でダラダラと過ごした。後、またアパートへ戻るためにエイプを引っ張り出してみたらやっぱりまだキックが軽いのだけれど、それでもなんの問題もなく走行ができていた。
 なにこいつ、という気持ちが湧いてきた。おまえのせいで休日に思ったような過ごし方ができなかった。予定が大幅に狂った。そう思った。
 
 ジョルノが長期休暇前に壊れてしまったためにエイプの納車を待つ必要があって、長期休暇をずっとどこにも行けずに過ごしたのが今年の春。休みが終わってしまう焦りとどこにも行けないという苛立ちと。そういう時にじゃあ車出すよと言ってくれる友人がいないという寂しさと。そういったすべてを悲観していたものだから、「毎日が休みだったらこんな気持ちにならないのに」という自棄が頭角を現してしまう。
 私が社不である何よりの根拠がこれに集約されている。
 休んでいたいし遊んでいたいし仕事で嫌な思いをしたくはないし仕事を理由に何かを諦めたくもない。
 これもドールショップを飛んだひとつの理由になってしまった気もする。
 

助手席に慣れたくない

 名古屋に戻ってすぐに、原付の免許を取った。
 車がなければ生活ができないようなトヨタに支配されている県なのだけれど、私は持病があるために普通車免許までは取ることができなかった。ただ、生活ができないため原付だけは取った。
 数年は通勤に使う程度で、都会へ出る時だとか遠出の際は電車を使うようにしていたのだけれど、昨年自殺のために夜中海へ行こうとしたのを機に原付で遠出をするようになってしまった。
 愛知を原付で越えられた時は、自分はもうどこにでも行けてしまうのではないかとも思った。

 原付で? とかひとりで? とか言われる。危ないよとかすごいねとか。
 危なかろうとなんだろうと、車を出してくれるほどの知り合いがおらず私が平日休みで誰とも休みが合わないのだから自力で出かけるしかない。
 愛知県の田舎は電車が一時間に一本来るか来ないかだし、駅からバスを乗り継がないとたどり着けない目的地も多い。
 
 誰かと休みが合うことを待って部屋でジッとしている時間が昔っから好きではなかった。学生時代に社会人と付き合っていたせいで部屋でただlineをしているだけで夏休みが潰れてしまったこともある。口約束は沢山したのに結局どこにも連れて行ってもらえないまま、貴重な20代の夏を無駄にしたことに腹を立ててそれとは別れた。
 愛知に戻ってからは特に相手の車を宛てにしていたものだから、車を持っていないどころか免許を持っていない異性と付き合っている期間はひたすらバカの一つ覚えのように大須をぶらぶらと歩くか、私の部屋で一緒に住むかの二択しかない。
 私がインスタで見付けたカフェだとかなんらかのスポットに行きたいと思っても彼氏から「俺を置いてくの?」とか「どうせ浮気するんじゃん」と言われるともうその時点で諦めるしかない。
 おまえが免許持ってないのが悪いじゃん、と言いたかったけれど、そんなことを言うと殴られるので言えなかった。
 車も免許も持っておらず定職についておらず居候しておいて家に1円も金を入れないどころか財布から金を抜くようなDVとばかり同棲していた。愛知県の男なんてこんなものだろうと諦める他なかった。

 ジョルノでどこへでも行けるかもしれないと思った時、急に何かが始められるような気がした。死にたい夜に部屋でメソメソせずにパッと出かけられるようになって、行きたい場所があったら次の休みには出かけられるようになって、ようやく、無理に彼氏を作らなくても大丈夫になった。
 大雨暴風雨の日に足首まで浸水しながら水の中を走った時は、生きているんだなと思った。あまりの強すぎる横っ風に吹かれながら海沿いを走った際、死ぬのなんていつでもできちゃうんだとも思った。
 夜中に街灯もなく舗装もされていない道を走っている時が堪らなく楽しくて仕方がなくって、今が一番満たされているなと思った。誰かと通話をしている時間よりも、ひとりでジョルノを走らせる時間の方が楽しくなってしまって、友達を次々と減らしていった。友達が減ったことで息ができるようになった。
 本当は何もかも要らなかったんだと知った。

 

分別つかないバカ男

 そのジョルノが壊れた。
 あと数時間で出勤しなければならないという時だったので、近所のバイクガレージまで行って即納可能な50ccを見繕ってもらったらエイプかモンキーの二択だった。見栄っ張りな私はモンキーを選ぼうと思ったのだけれど実際に両方に乗ってみたらエイプの方が遥かに「自分」って感じがした。脚が長く見えるし。改造マフラーなのはパッと見て分かっていたけれど、いざエンジンをかけてもらった時のその音に心が躍った。
 これに自分が乗る。
 そんなこと愛知に来たばかりの私には想像もつかなかった。
 移動手段として仕方がなく原付という乗り物を選んだだけだったのに。原付に格好良さだとか愛着だとかそんなものはなかったのに。
 きっとこれに乗っている自分は最高に違いないと思った。

 ジョルノしか乗った経験がなくって、MTなんて初めてだった。
 納車後は邪魔にならないようにと夜中に近所を走ったのだけれど、ひたすらエンストの繰り返しであった。ブレーキのかけ方も分からなくってすぐにエンスト。エンストした後にNの場所が分からなくってギアをつま先でいじっている間に後ろから車がやってきてしまうことも多かった。
 クラッチを握りっぱなしにしていればNに入っていなくってもタイヤが動くということは、後々友人から教えてもらった。キックもなかなか入らなくってずっと苛々していたし焦る場面も多かったけれど、圧縮上死点のこともその友人に教えてもらった。
 近所のコンビニまで走れるようになって、もう少し遠いコンビニまで走れるようになって、実家まで走れるようになって、帰り道に他のライダーから手を振られたりするような夜が積み重なっていってようやく、エイプでも遠くへ行くようになった。

 最初は何こいつ、って思うかもしれないけれどそのうち気付いたら大好きになっている沼男だよとMT車に乗っている友人から言われていた。クラッチについて教えてくれていた友人からも慣れれば楽しいからと言われていた。
 でも慣れなかったらどうしよう、というほど乗りこなせるまでにあまりにも時間を有して、正直殴りたくもなった。何こいつ、の連続だった。

 ジョルノと一緒に行った海に行った。行けた。
 山道も走った。下りカーブがとても苦手だった。乗りこなせていないものだから下り自体が苦手で、かなり際に寄ってブレーキを握りっぱなしでトロトロと下っていくことがあまりにも多い。
 犬山の街コンにもエイプで行った。
 街コン自体はひたすら異性から逃げ回るだけのイベントだったけれど、すっかり夜になった帰り道をエイプで走って帰るその時間が何物にも代えがたい思い出となった。行って良かったと思った。
 
 それでもちょっと好きかもと思い始める頃に不自由をかけて来る男だった。初めてのガス欠の時は途方に暮れたし、なんでメーターないんだよと思ってしまったし。エンストの度に理由を探ったし。疲れている日の帰り道なんて脳死で走れないこと自体が辛かった。
 雨の日とか気を遣うし、ジョルノより遥かに手がかかって、見た目だけのバカ男じゃんと何度も嫌いになった。
 今後上手く付き合っていけるかも正直怪しくって、この夏長雨でエンジンがかからなくなった時にはもう今度こそお別れだと本気で思った。
 あまりにも思い出が足りなさすぎる。
 今後作っていくのだと思うのだけれど。
 まだ手間暇かけていないし、私が忙しくって構いきれていなかったのも勿論あるのだけれど。それくらいで不貞腐れるとかメンヘラ過ぎない? 不自由な思いをさせてくる割にはこの男、とか。もっといい男いるだろとか。そうは思っても、こいつ以外に跨っている自分が想像できなかったりもする。

 いつかちゃんと大好きになるのだろうかとか、お別れの時に悲しいと思うのだろうかとか。そういうのがまだ分からない。
 ただ現時点どう考えても、人間のオスよりかはこいつの方が遥かにマシ。



【続ける】

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