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不便な暮らし

海士町に来て3週間が経った。
体感では2か月ぐらい経った。

島に来てからは圧倒的情報量に飲み込まれている。
島の生活やホテルの勤務はもちろん、大学院の授業も。そして海士町の色んなところで色んな面白いことをやっている。都市部に劣らず意外と情報に溢れてる。(というより、情報が少なくて逆に全部知ってやろうって勢いやから情報過多なるのかも)

実際に海士町に来てみて気づいたけど、都会と流れる時間はあまり変わらないように思う。
朝起きて、仕事のある日は働き、オンラインで授業を受けたり課題をしたり。蔵という店のおばちゃんとおしゃべりしたり、ワカメの出荷のお手伝いに行ったりもする。地方に行くと流れる時間はゆっくりってよく言われてるけど、今の時代それは違うなと。

最近は山菜や海藻を採りに行ったりする。
近所のおばあちゃんにくわを借り、それを担いで自転車で山を登り、筍、せり、ふき、ゼンマイ、山椒を採る。
また別の日は近くの海岸で足を濡らしながらワカメ、カメノテ、ウニを採る。
採った食材はたいていその日の食卓に並ぶ。
自分で採った食材ってなぜかめっちゃ美味い。

食材の宝庫

また色んな人からよく頂き物をする。
卵、だいこん、めかぶ…
自分含め周りの人も色んな所へ出向き、何か食材を手にして帰ってくる。
TOUCAのメンバーとして一緒に回る方はよく食べ物をくれる。
頂き物、これもなぜかめっちゃ美味い。

TOUCAの方にもらった卵、超貴重!!


この島は車がなければかなり不便。公共交通機関はバスのみ。あまり来ない。島は意外と広くて、行きたいなぁって場所があっても中々行くことが難しい距離なことが多い。レンタサイクル借りて隣町へ行ったりする。でも、近くに商店はいくつかあるので、生きるのには全然困らない。
そう、その商店なんやけど、閉まるのが19時ぐらい。コンビニなんてないので必ず時間内に買わないと夜ご飯はない。
まだそんな悲惨な目にはあったことない。めちゃめちゃ気を付けてる。
映画館やボーリングのような遊ぶ場所はない。
ただスナックでお酒飲んで喋ったりする場所はわりとある。


つらつらとここ最近の暮らしを書いて、つまり何が言いたいのかっていうと

不慣れな環境にわざと身を置いたり、不便な環境で生活をすると考えること(考えないといけないこと)が必然的に増える。
考えて考えて、自分なりに工夫して適応して生活していく中でそれが習慣になっていく。

慣れ親しんだ土地の実家に住んでいたころは生活する上であまり考えるという行為はしてこなかった。また便利な環境に身を置いていれば悩むことはあんまり無くて、それって今思うと貧しかったなと思う。

「不便であることって実は豊かってことなんじゃないか」


これは僕の一番好きな建築家である谷尻誠さんがよく言っていることで、いまの生活をしていてふと思い出した。谷尻さんは「不便」を定期的に感じるためにキャンプに行くらしい。

遊ぶ場所はないけど漂流木を集めて焚火しながら色々話したり、ふと見上げたら見たことない数の星がある。
商店に行ってもスーパーのような品揃えではないけど、歩ける範囲に食材はたくさん自生している。そこで食材を手に入れ、あげたりすることもある。
あげると、調理されて自分のもとに帰ってくることもある。

遊び方が変わるだけ、暮らし方が変わるだけ

僕は海士町に来て、豊かな生活をしています。
という近況報告でした。


ps.書いた文章を見返して、これって海士町のコンセプト「ないものはない」と一緒やん!となりました。気づきませんでした。まじで。

2年前に谷尻さんの本でこの考え方に出会い、かなり響いて根強く記憶に残っている。それを今住んでいるこの島の人が体現してる。僕がこの島に流れ着いたのがただの偶然とは思われへんなぁと。。。

ちなみにその本、おまもりとして今回一緒に連れてきた。笑
気になる方はいつでも貸します。

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