実は忘れてない3rdアルバム『CLUB33』壮絶解説〜原罪論〜
なんと今夜はライブ前日ということで3本立てでまいります。どーん!
Lucci
こちらは先にダブルエーサイドマキシシングル(こだわり)としてリリースしていた楽曲の再録です。
シングルのときは、曲は割と出来立ての状態でのレコーディングだったのと、ミックスもジョニーパイソンさんに外注してみたのでそれまでのTHE NOSTRADAMNZの音源とは違う質感になっていてそれはそれで良くて色々と発見もあったのですが、CLUB33収録バージョンはライブでの定番化を経てからの全パート再録で、ミックスもえんどう爺が改めてやったので、再録楽曲の中では最も変化があったトラックじゃないかなと思います。
たしか同期モノもまるっと作り直してたと思います。
特に違いが顕著なのは中間部の三拍子になるとこで、シングル盤はケルト音楽とかっぽいイメージで作ったんですが、アルバムのほうはオーケストラのイメージで、ティンパニとストリングスとパーカッションから成っています。
あとはそのあとの絶叫ですね。
これはライブを経て、この曲ってあそこで叫びたくなるんだなあってことに気がついて、音源にも入れることにしたんです。
なんだろう、この歌詞って何も言わなければ誤解されるだろうなって思いました。
やはり「ナマでいいかい?」が耳につくので、なんかそういう歌だと思われるだろうなと。
でも言いたいのはそれではなくて、どちらかというと「恥を知れ猿どもめ」のほうで、いっときの快楽のために相手が被るリスクを想像できないなんて猿と同じだと思うんです。
ただ、ぼくも男性なのでその快楽へ抗うことの難しさみたいなものは正直全然わかる。
こういうことって何もセックスについてだけではなくて、色んなことに当てはまるというか「今そうすることによって後々どうなるか」みたいな観点と「やらずに後悔するよりやって後悔したほうがいい」みたいな観点のせめぎ合いって、日常でも大なり小なりあると思うんです。
どんなに幸せになりたいと願って選択をしても、ハッピーエンドでなければ「悲しい選択」となってしまう。
逆に、仮にハッピーエンドだとしても、それが後々大きなバッドエンドの布石になってしまうこともあります。
これを考えだすと本当に毎回ひとりで勝手に嫌な気持ちというか、やるせない、やりきれない、でも爆発しそうな感情で心がいっぱいになります。
ただ、コンビニとか、エレベーターの中とか、電車の中とかで爆発するわけにはいかないので、歌の中で爆発するしかないんです。
そんな爆発っぽい曲だなと思います。
ラスサビ前の絶叫は、そんな感情の爆発を、声に出る限りめいっぱい出してるなあと思います。
全く同じ想いじゃなくとも、爆発しそうな悶々とした感情をお持ちの方は、ぜひライブ会場で一緒に絶叫してほしいし、諸々で声が出せないならその気持ちをぼくの声やぼくらの演奏に重ねてほしいし、おうちでも音源を聴いて叫んだり重ねたりして、皆さまがなんとなくスッキリして眠れたりしたら、作り手としてはとても嬉しいです。
8ppy
MV候補になった曲でして本来であればアダムに扮した温水洋一とイヴに扮したガキ使のおばちゃんが、恋に落ち最終的に何故か燃え盛る教会の中ねっちょねちょの、もうべっちょんべっちょんのセックスをするっていうのを撮りたかったんですがね。ほらバンギャ好きじゃんそういうの。
「ナマでいいかい」の所を顔を赤らめたおばちゃんに温水が耳元で囁いtオエエエエエ
なんかもう書く気なくなったのでさよならばいばい。
つづく!
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