『本を読んで』

 この話は2010年12月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第38作目です。

 トラベラーズノートのウェブサイトがリニューアルされてから、どのストーリーがどのくらいの人数の方々に読んでいただいているのかが分かるようになった。
 リニューアル以降に掲載されたものでは、多い時で2000人に届くくらい、少ないときでも3桁の人数の方々に読んでいただいている。
 リニューアル以前のものも同様に掲載されているが、これらのほうにも遡って読んでくださっている方々がいらっしゃるようで、本当に嬉しい限りである。ストーリーを読んだ方々が少しでもその場へ行った気分を味わうことができ、行ってみたいと思っていただけたら、こんなに嬉しいことはない。
 本を読んでその本に出てきた所へ行ってみたいと初めて思ったのは、小学校2年生の時だった。その頃は、今思うと、子供向けに書かれた偉人達の伝記をよく読んでいた。
 その中でも強烈に印象に残ったのは野口英世の伝記だ。野口英世が幼少の頃、自宅の囲炉裏で手を大火傷してしまうところがとても印象的だった。本屋で自分が読んだ本の出版社以外から出ている野口英世の伝記でその場面を子供ながらにチェックしていたくらい強烈だった。
 福島県の猪苗代に野口英世の生家が残っていて、大火傷を負った囲炉裏も残っていることを何かで知った。多分祖母か両親が教えてくれたのだろう。
 子供心にその囲炉裏が見てみたくなったのが両親に伝わったのか、自分から連れて行ってくれと願ったのかは忘れてしまったが、両親が祖母と弟ともに連れて行ってくれることになった。今から30年以上前の事だ。
 この時は、毎年行っていた伊豆への海水浴の時とは違って、電車ではなくバスで行った。恐らく生まれて初めて体験したバス旅行だった。
 バスの中は自分の家族以外周りは知らない人達ばかり。野口英世の生家以外にもいろいろと観光をしたが、その知らない人達もずっと一緒だった。移動は勿論、食事も入浴もずっと一緒だった。これは結構なカルチャーショックであった。
 そんな初めて尽くしを経験しながら、僕にとってのその旅のハイライトである野口英世の生家を訪れた。
 今でもはっきりと覚えているのは天気が雨だったことだ。本の挿入写真等で見た囲炉裏が目の前にあったときはハッとして立ち尽くしてしまった。
 ライトアップなどされてなく、自然光が唯一の照明のような状態のなかにその囲炉裏があった。本で見たそのままだったのでこれがあの囲炉裏なのかと思った。
 囲炉裏の傍で流れていた音質の悪い案内のテープと雨のため囲炉裏の周りが暗かったこと、地面が土だったこともあって、当時の貧しさが埃っぽい匂いとともに伝わってくるようだった。本当に迫力があった。
 見学が終わってバスへ歩きながら戻るまでの間、今まで楽しみにしていたものを見ることができた喜びよりも、何だか寂しさに似たものを感じて複雑な心境になったのを今でも覚えている。
 子供ながらに、電気もテレビもなかったことなどに驚くよりも、生家全体が醸し出していた雰囲気に圧倒されていた。今でも千円札の野口英世の顔に目が止まった時には、その時の感覚が甦ってくる。
 その時に受けた印象が余程強烈だったようで、書店に行って野口英世の伝記を見つける度に、囲炉裏で大火傷を負うところをチェックしてしまうある種“癖”のような行動は高校生になっても続いていた。
 作家の故百瀬博教さんは子供の頃、伝記で読んだ発明王エジソンが大嫌いだったという。エジソンが本に没頭して食事時にいたずらで仲間にパンを食べられても気が付かなかったというのを自身が食べ盛りの子供の頃に読んで嘘だと思ったからだそうだ。
 しかし、百瀬さんは拳銃不法所持で服役中に読書に没頭するようになり、昼食が配られたのを夕食が配られるまで気が付かなかった経験をして、その時のエジソンが理解できたと書いていた。
 百瀬さんの著書を読み返していてこの話に出会う度に、僕は野口英世が留学先でエジソンと同じ経験をしていた場面を思い出す。野口英世の場合はパンではなくソーセージだったと思う・・・多分。
 野口英世の伝記のあとはケネディやリンカーンの伝記を読んだ。アメリカの大統領って何で殺されちゃうのだろうかと子供心に思った。
 ケネディのお墓に供えられている火は永遠に消えないようにされているというのを読んでその仕組みが知りたくなった。
 ワシントンD.C.にはリンカーン記念館があり、そこには白い大きなリンカーンの像があるという。
 野口英世の生家を見学した後で、僕がリンカーンの伝記を読んだのを知っていた祖母は「次はリンカーンの像が見たいなんて言っちゃだめよ」と笑いながら僕に言った。
 僕が子供ながらに思ったのは、「外国だからバスじゃ行かれないものなぁ~」くらいの事だった。
 もちろん祖母は別の意味を込めて半分冗談で笑いながら言ったのだろうが、そんな察しが付くのはもっと大きくなってからのことだ。
 興味を持ったものを興味を持っているうちに実物を見せてくれた両親には感謝している。
 インターネットで調べてみると、野口英世の生家は現在立派な博物館になっているようだ。もう一度訪れてみようかという気持ちもあるが、子供の頃に本を読んで初めてその場に行きたいと願って訪れたときの印象をずっと持ち続けているのもいいのではないかとも思う。
 今はもう大人だから、お金と時間の調整がつけば可能な限りどこへでも行きたいところへ行くことができる。だからこそ、本を読んでその読んだ場所へ行ってみたいと思えて、行動に移せる気持ちと行動力をいつまでも持ち続けたいと思う。

 


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