『22年』

 この話は2010年4月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第30作目です。

 9年振りに来日したハードロックバンド、AC/DC(エーシー・ディーシー)のコンサートを観に行った。
 会場のさいたまスーパーアリーナへは、格闘技の「PRIDE」を観に何度も訪れたことはあったが、音楽を聴きに行ったのは初めてだった。
 毎回上野から宇都宮線に乗ってさいたまスーパーアリーナを目指す時、窓からの景色にこの先に本当に国際的で大きなイベントが行われる会場があるのだろうかと思う。
 さいたま新都心駅で電車を降りると、革ジャンやGジャンの下にAC/DCのTシャツを着込んだ人達が一斉に前後の車両から降りてきた。既に缶ビールや缶チューハイを片手にしている外人の集団もいた。混雑が伺える頭上の改札口のほうから拡声器を通した駅員の案内が聞こえてきた。
 改札を抜けると会場はすぐ目の前だ。入場口への道中に、何人ものダフ屋、偽物のグッズを売っている露店、ビールを片手にたむろしているファン達、バンドのロゴが大きく入ったフラッグを掲げて同志を待っている、バンドとともに世界中を周っているのであろう外人のファン達等、ロックコンサートには欠かせない景色はしっかりとあった。ロックコンサートに久し振りに来たなぁ~と感じ始めたと同時に、日本のロックコンサートって何て安全なのだろうと思った。
 AC/DCは学生の頃からずっと聴いている。このバンドのコンサートを初めて観たのは今から22年前の夏、ニューヨークはマンハッタンのマディソン・スクエア・ガーデンだった。
 当時大学の夏休みを利用してニューヨーク郊外のロングアイランドの英語学校に通っていた僕は、「ヴィレッジ・ボイス」(新聞の形だか日本でいう情報誌「ぴあ」のようなもの)を観て彼らのショーがマンハッタンで行われることを知った。久し振りに出したアルバムが売れて全米を周っている時だった。
 当時既に大物バンドになっていてあまり来日しなくなっていたので是非観たいと思ってチケットをすぐに取った。高校生の頃から音楽雑誌を熱心に読んでいたので、本場でショーを観られることにワクワクした。
 当時のニューヨークは現在よりもっと危険で、地下鉄は落書きだらけだし、危ないから行ってはいけないと注意された所もたくさんあった。音楽雑誌で海外のコンサートレポートをよく読んでいたのでハードロックのコンサートだから多少の危険は覚悟していた。
 会場に着くと青いバリケードが会場の周りにいくつも並び、パトカーが何台も巡回し、ニューヨークにはこんなにいるのかと思ったくらい大勢の警官がいた。コンサート会場ではなくて事件の現場に出くわしてしまったようだった。その光景を見た途端にここは日本ではないのだと思いワクワクしてきた。
 開場を待っている間に、ニューヨークに来る前に東京で観た当時アメリカでも日本でも爆発的に売れていたWhitesnake(ホワイトスネイク)の日本ツアーのTシャツを着ていた僕に、「いいTシャツね」と言いながらブロンドの女の子にウインクされた。
 開場と同時に前座のバンドの演奏が始まった。前座のことを「オープニング・アクト」とは言ったもので、本当に開場と同時に演奏が始まった。
 その時の前座は当時かなり売れていたバンド(White Lion)だったのでみんなしっかり観るのかなと思っていたら、アリーナにいる一握りの熱心なファンだけで、ほとんどの人達が前座の演奏をBGMにして飲み物やTシャツを買いに会場内を動き回っていた。
 雑誌のコンサートレポートで何度も読んだ前座とはこういう扱いなのだということがよく分かった。ツアーは過酷なのだろう、そのバンドのヴォーかリースとの声はかなりかすれていて唄うのが辛そうだった。
 前座の演奏が終わりAC/DCの登場を待っている間、日本から持ってきた音楽雑誌を広げていた。しばらくすると席の横の階段に上から人が転がり落ちてきた。その人は立ち上がると、転んだ痛みを堪えながら僕のところに来て雑誌を見せてくれと言った。自分の席から僕の雑誌が見えて慌ててしまったらしい。これがハプニング①。
 ショーが始まると並びの席のから場内禁煙のはずなのに煙草の煙のようなものが漂ってきた。マリファナだった。これはハプニング②。
 ハプニング③はショーの終盤に僕の席から1ブロック左の前方に上から花火が飛んできた。どうやって場内に持ち込んだのだろうとずっと思っていた。「アメリカってスゲーッ!」と思わせてくれたハプニングの数々がおまけに付いた本場のロックショーを堪能して会場真下のペンステーション(ペンシルベニア駅)から電車でロングアイランドへ帰った。
 当時は切符を買わずに乗っても車内で乗務員が回ってきたときに切符代を払えた。電車内はショーを観て帰る人達で満員。結局乗務員は目的地に着くまで回って来なくてタダ乗りになってしまった。これはハプニング④といったところか。電車の中で隣の席の青年が、僕が日本人だと分かるといろいろと聞いてきた。車の話がほとんどだった。
 ニューヨーク在住の従姉に翌日電話してショーを楽しんできた旨を上記のハプニングとともに伝えた。滞在中の後日その従姉に会ったときに、従姉が職場の同僚達に僕が日本から来ていてハードロックのコンサートを観に行った話しをしたら、僕に「会場に来ていた人達がアメリカ人そのものなのだとくれぐれも思わないように伝えて欲しい」と同僚達に言われたと話してくれた。
 それから、そのコンサートに一人で行った僕のことを「勇敢な日本人」とも呼んでいたそうだ。現地の人から見て危険がいっぱいのところへ僕は一人で行っていたのかもしれない。しかし、一歩踏み出してみなければ、思いもよらないこんなに面白い体験はできかっただろうなとその時思った。
 さいたまスーパーアリーナでのコンサートが終わり、さいたま新都心駅から上野へ向かう宇都宮線に乗ると運良く座れた。
 隣に座ったカップルの女性の方が僕に話しかけてきた。チケットを手に入れるまでのことやここに来るまでの仕事のやり繰り等の苦労話を聞かせてくれた。僕も22年前にこのAC/DCをニューヨークで観た話をした。
 コンサート会場の埼玉から都内の自宅までではあったが、電車でのちょっとした小旅行で出会ったこの気持ちの良いカップルはご夫婦だった。話しているとご主人は僕と同い年だということが分かった。
 上野駅でお互いに名前も名乗らずに「またどこかのコンサート会場でお会いしましょう」と言って別れた。コンサートを観て平凡に終わると思われた一日の最後に、旅の神様は旅先でも滅多にない素敵な出会いを用意しておいてくれた気がした。
 22年振りに観たAC/DCのパフォーマンスは少しも衰えたところも変わったところもなく素晴らしかった。僕がこのバンドのショーをニューヨークで観てから再び埼玉で観るまでの22年間、このバンドは旅を続けて演奏をし、レコード(CD)を作り続けてきた。本当に長い旅の中で、変わることのないこのバンドに2回も出会えたのは幸運だ。
 何年先かわからないが、いつかこのご夫婦とどこかで再会できた時に、「あれから少しも変わっていませんね」と再会の挨拶を交わせたら素敵だなと思った。


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