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『朝ごはん 』

 この話は2017年12月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第122作目です。

 週末に美味しいもの、好きなものを食べればいいと思っているので、平日の食事に関しては、朝ごはんに限らず、食べるものに執着がなくなって久しい。平日の朝は、コーヒーは豆を挽いてしっかりと淹れて出勤前に飲んでいるが、朝ごはんの乏しさといったらない。味わうというよりは、適当なものを胃に放り込んでおく程度で終わりだ。その適当なものも、少なくともコーヒーに合うものという基準らしきものがあるだけだ。買い置きして一週間同じものを毎朝ということも珍しくはない。

 ある日“朝ごはんを楽しくするおかずはみんなお酒のさかなにいいものばかりなのは不思議だ。”という一文を読んだ。書いたのは私が中学三年生のときに亡くなった国文学者であった大叔父だ。国文学者として大学で教鞭をとりながら、専門分野に関する著書に加えて、古き良き銀座や食べものに関するエッセイなども数多く著した。テレビにもよく出ていたそうで、いまでこそ大学教授がテレビに出るのは珍しくないが、所謂“タレント教授”の先駆けだったらしい。

 その一文を読んだ直後に日本の朝ごはんのおかずを思い浮かべてみた。なるほど!と膝を打った。トラベラー各位も日本の朝ごはんのおかずを思い浮かべてみて欲しい。ざっと挙げてみても、焼き魚、玉子焼き、しらすおろし、かまぼこ、焼き海苔、納豆・・・。確かに酒の肴になるものばかりだ。

 朝ごはんのおかずは酒の肴になるということを意識し始めてから、朝ごはんを見る目が少し変わった。週末は近くに住んでいる母が、自分で食べる分の朝ごはんを少し余計に作り、私に分けてくれる。ご飯とおみおつけとともにお盆の上に並んだ数々のおかずを見たときに、休日ということも手伝ってか、朝からちょっと一杯飲りたくなる。ご飯とおみおつけは飲んだ後のシメとして、出してもらうのはおかずで飲んだあとにしてもらえないだろうかなどと、少々不遜なことを思う。母は週末のその朝ごはんを私がInstagramとFacebookに載せていることを最近知った。その所為かここのところおかずの種類が1つ2つ増えた気がする。お皿の選択も写真に映えること、いまでいうところの“インスタ映え”をいくらか気にしているようだ。

 おかずが増えた分だけおかずで一杯飲みたいという欲求がさらに強くなった。さすがに、休みとはいえ朝なのでまだ実行していない。えーい飲んじまえとなるのも時間の問題かもしれない。しかし、せっかく平日と同じ時間に起きても、朝からダラダラと飲んでしまったら、遅くまでグズグズ寝ているのと同じになってしまい、貴重な休日の一日があっという間に終わってしまうだろう。えーい飲んじまえとならないのはここがネックになっているからだ。

 さて、外国でその国の定番の朝ごはんのおかずが酒の肴になるものはないだろうかと思案した。大好きな台湾の朝ごはんは残念ながら酒の肴にはならない。香港のお粥、シンガポールのカヤトーストなども同様だ。どこかにないだろうかと思いを巡らせていると、意外なところにあった。食事があまり美味しくないとずっといわれているイギリスにあった。イギリスのフル・ブレックファスト(地域ごとに名称が変わるらしいので、ここではフル・ブレックファストに統一する)は日本の朝ごはん同様におかずが酒の肴になるのではないかと思った。ソーセージ、ブラックプディング、ハッシュドポテト、ベーコン、ベイクドビーンズ、トマト、マッシュルーム、目玉焼き・・・ここまで書いてきて、ビールが欲しくなった。それらにトーストが加わり、全てワンプレートで供されるのが基本のようだ。

 過日都内にあるお気に入りのパブの一軒に久々に寄った。2012年のロンドン再訪から帰国してすぐに、それまでに10年ほど行きつけていた都内のパブよりも店の雰囲気がもっと現地のものに近くて、味も現地のものにもっと近いフィッシュ&チップスを食べさせるパブが都内にないかと探したときに出逢った一軒である。忙しいお店なので、訪れる度にキッチンから挨拶に出てきてくれるオーナーシェフとゆっくり話をすることはほぼ不可能なのだが、そのときは料理を注文するお客が奇跡的に少なかったようで、私のテーブルで少しだがゆっくりと話すことができた。話をするチャンスがあればお見せしようと持参していたその2012年のロンドン再訪の旅で入手したパブのメニューをオーナーシェフに見せたりしていろいろな話をした。持参したそのメニューのコピーを撮りたいとのことでもちろんと承知した。オーナーシェフのパブ好きが確信できた瞬間で、そのパブが益々好きになった。

 話の中で近々予定されていた都心の某デパートでの英国展に出店することになっていて、与えられた限られたスペースでパブを再現し、料理の1つとしてフル・ブレックファストを準備していることを教えてもらった。それを知った途端に、フル・ブレックファストで、というよりはイギリスの朝ごはんのおかずを肴にギネスが飲めるぞとほくそ笑んでしまった。

 物凄い人出できっとフル・ブレックファストにはあり付けないことを覚悟の上で、開催中の一日にその英国展へ出かけて行った。会場となった催し物会場には、イギリスが好きそうな方々が大勢詰めかけていた。雑貨や家具だけではなく、スイーツからフィッシュ&チップスなどのパブフードまでいくつものお店が出店していて、インドアのフリーマーケットのようであった。立ったまま食すイートイン・スペースは予想以上にごった返していた。そんな中で幸運にも食べる場所もフル・ブレックファストも確保できた。

 ロンドンには何度も行ったし、学生の頃は郊外のコルチェスターに一月ほど滞在したが、フル・ブレックファストには出逢えなかった・・・いや、食べたけれどこれがフル・ブレックファストだという意識がなかったのかもしれない。一目見ただけではどこにでもあるいわゆる洋朝食とほとんど変わらないし・・・などと思いを巡らせながらハーフパイントのギネスとともにフル・ブレックファストを堪能した。

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英国展でハーフパイントのギネスとともに。おかずが酒の肴に・・・トラベラー各位、同意いただけますか?

 綺麗に平らげたあとで、かつて、サマーセット・モームが言ったという“イギリスで美味しい食事がしたければ、1日3回朝食をとればいい”に大いに納得した。同時に、ここまで美味しいフル・ブレックファストはイギリスにはないだろうと思った。

 ワンプレートに盛られたフル・ブレックファストを、食べる前にざっと眺めて二片のトーストを見たときに、これは日本の朝ごはんでいえばお茶碗に盛られた白米だなと思った。そして、呑兵衛目線からの勝手な解釈だが、ワンプレートにちゃんとシメの炭水化物まで用意されていて感心してしまった。フル・ブレックファストという朝定食なのだから当然なのだが。

 “ラーメン・フィニッシュ”なんて言葉がいまでは懐かしいくらい、飲んだ後に炭水化物をとらなくなって久しい。飲んだあとのシメの炭水化物は、あえてとるとしたら、日本の朝ごはんにあるお茶碗一善のご飯におみおつけをお椀に一杯、もしくはフル・ブレックファストにあるトースト二片(1枚を斜めに半分に切ったもの)くらいが実は適量なのかもしれない。

 これだけイギリスが好きなのにどうしていままでフル・ブレックファストの存在を意識しなかったのだろう。きっとイギリスの食事は不味くて食べるものがないということを早々に意識の中に埋め込まれ今日まで来てしまったからだ。学生の頃ツアーでロンドンを訪れた際に、添乗員から翌朝の朝食はホテルの自室の冷蔵庫に用意されているといわれて、翌朝冷蔵庫からトレイごと取り出して目の前に現れたのは、所謂コンチネンタル・ブレックファストだった。名前が大層な割に貧相な朝ごはんだなと思った。恐らくこれがイギリスには美味しいものがないという意識付けの決定打となったのだろう。以来イギリスではあえて朝ごはんとして食べに出向くものは想像もつかなかったので、再訪の都度ロンドンで朝ごはんを食べたところはほぼ毎朝ホテルの朝食ビュッフェだった。

 現地でフル・ブレックファストはどこで食べられるのだろう。朝ごはんとしてなら、やはり、ホテルのコーヒーショップか街角のカフェだろうか。“フル・ブレックファストやってます”と白いチョークで書いたボードを店先に出しているカフェが街角にあるのかもしれない。しかし、朝ごはんとして食べるには結構な量だ。それにフル・ブレックファストはマグカップにたっぷりのミルクティーよりも、パイントグラスにたっぷりのビールとともに楽しみたい。そうなると、やはりパブになるのだろうか。パブのメニューにはなかったような気がするが・・・。朝ごはんとしてではなく、“フル・ブレックファスト”という料理名で終日食べられるところがありそうな気がする。それから卵に関しては、アメリカのように卵の数、調理法は選べるのだろうか。目玉焼きもいいが、スクランブルエッグに少し醤油をたらしたものが好きなので・・・。

何でいままでフル・ブレックファストのことを気に留めなかったのかという後悔よりも、これで次回のイギリス再訪の際の楽しみがひとつ増えたという嬉しさに似た思いのほうがいまは強い。次回は必ずバーに立ち寄って23ポンドもするフィッシュ&チップスをチェックしてみようと思い続けているクラリッジズの朝食のメニューにも、フル・ブレックファストはあるのだろうか。再訪してチェックすべきことが1つ増えた。フル・ブレックファストが「旅先で食べたもの」シリーズに加わる日はそんなに遠くない気がする。

追記:

1. そのパブでは現在フル・ブレックファストがレギュラーメニューになりました。売り切れない限り営業時間内なら食べられます。興味を持ったトラベラーの方のために、場所は神楽坂とだけ申し上げておきましょう。あとはトラベラーの嗅覚を頼りに神楽坂をお散歩する際にでも探してみてください。料理が大変美味しいパブで、週末は食事のみで訪れる方も多いようです。もちろん、フィッシュ&チップスもとても美味しいです。

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常時食べられるようになったフル・ブレックファストです。この話の投稿を目前に控えた11月最後の週末に実際にお店でいただいたときの写真です。

2. この話を書くきっかけになった“朝ごはんを楽しくするおかずはみんなお酒のさかなにいいものばかりなのは不思議だ。”という一文は私の大叔父池田弥三郎の「食前食後」という本にありました。1973年に出た本で既に絶版です。手元にあるこの本は第四刷でした。何年か前に中目黒のCOW BOOKSで入手しました。大叔父の本が入るとCOW BOOKSから連絡をいただきます。食べものに関するエッセイは他にもあります。今後のストーリーで触れることがあれば、都度紹介しようと思います。

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3. バーにあるフィッシュ&チップスが23ポンドもするクラリッジズに関しては以前書いています。「本を読んで・3」を是非ご笑覧ください。

ロンドンのパブでメニューを貰ってきたことは、「旅先で食べたもの・8」 でフィッシュ&チップスの話とともに書いています。合わせてご笑覧ください。

4. 旅先での朝ごはんに関する本といえば、いまのところ私にはこの2冊でしょうか。興味のある方は写真をヒントに探してみてください。

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