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『アメリカらしいアメリカの街』

 この話は2021年6月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第164作目です。

 コロナは一向に衰えない。上手く封じ込めてきた国々でも再び感染者が増えている。「かつて自由に海外旅行ができた時代があった」というのが洒落にならなくなるかもしれないと前回書いた。それが世界中でじわじわと現実味を帯びてきている。旅に関して書く際にコロナのことに触れなくて済むように早くなってほしい。

 Instagramで海外の好きな街や未踏の地の風景をいくつかフォローしている。特にしばらくご無沙汰している街の景色はつい時間を忘れて見入ってしまう。時間を忘れて見入ってしまうのは、旅が自由にできないもどかしさや、「もう出かけて行くことはできないのだろうか」という不安やわずかながら絶望が働いているからかもしれない。

 アメリカはかなりご無沙汰している。いまアメリカで一番訪れたい街はシカゴだ。シカゴという街を意識したのは大学三年のとき。1988年の秋だった。

 英会話の先生の一人Jeanはシカゴからご主人のJeffと東京にやってきた方だった。その先生のクラスに通う前に既にニューヨークとロサンゼルスは訪れていた。当時の自分は海外といえば欧米で、アジアの面白さを知るのは社会人になってからだった。

 シカゴ・トリビューン紙のコラムニストであったボブ・グリーンのコラムやエッセイも当時よく読んでいた。英語学習を兼ねて日本語に翻訳されたものを読んだ後で英語の原書を読んだり、またその逆をしたり。振り返ってみると英会話の先生と熱心に読んでいたコラムやエッセイが偶然シカゴで繋がっていた。

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学生の頃に読んだボブ・グリーンの原書のペーパーバック。まだ持っていました。日本語に翻訳された単行本は見当たらず。出てきたら再読しようと思います。

 1992年の夏、もう一人の英会話の先生であったLindaに結婚式に招待されてミシガンへ。最寄りの空港はデトロイト。当時勤めていた航空会社はデトロイトへ毎日運行していた。航空会社に勤めていなければ出席は叶わなかった。

 Jeanもご主人のJeffとともに生まれて間もない娘を連れてシカゴからドライブしてきて出席した。当時Jean夫妻とは学生のとき以来約3年ぶりの再会だった。メールもインターネットも一般的ではなかった時代だった。国際電話でJeanに頼んだシカゴ・ブルズの優勝Tシャツとキャップをちゃんと持ってきてくれた。袋を開けるとまだ未踏の地だったシカゴの香りがしたような気がした。

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Tシャツもキャップもまだ手元にあります。Tシャツについては改めて書く予定があります。

 翌1993年の夏にミシガンのLinda夫妻を再訪した。庭続きに湖があるお家で数日間夏休みらしいひとときを過ごした帰りにシカゴに立ち寄った。初めてのシカゴだった。

 オヘア空港から乗ったホテルの送迎車がダウンタウンに近づいてきたときに、アメリカの有名人たちの似顔絵が壁に描かれたビルが見えた。タキシードを着たマイケル・ジョーダンだけ他の有名人より大きく描かれていた。その後の再訪の際この絵を車窓から目にする度にシカゴに来たことを実感するようになった。

 道中車窓から見た景色やホテルから出て歩き始めた途端感じた空気が「ここは気にいるかもしれない」と思わせた。初めてのシカゴは正味2日しかなかった。滞在中出来る限り楽しみつつ土地勘を養おうと思った。

 前年に引き続き再会できたJean夫妻にリンカーン・パークに連れて行ってもらい、ひとりで「魅惑の1マイル」と言われているミシガン通りを歩き、タイミングよくホームにいたシカゴ・カブスの試合をリグレーフィールドで観るのが精一杯だった。

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初めてスノードームを買ったのもそのときのシカゴでした。左のものは水が完全に蒸発しています。

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当時最新だったエアジョーダン8。同じくその旅でミシガン通りのナイキタウンにて購入。さすがに約28年も経つとソールの劣化が・・・。

 短い時間ではあったがニューヨークやロサンゼルスよりもシカゴのほうがアメリカにいるという実感が湧いた。街並み、空気、匂い、雰囲気、

アメリカと聞いてぼんやりと思い浮かぶ景色はシカゴが一番近いと思った。すっかり気に入ってしまった。帰りの飛行機の中で再訪の計画を立てていた。

 再訪のチャンスは不意に訪れた。同じ年の冬に会社の同期や先輩とハワイへ行く計画があった。最終的に各自休みが合わず計画は頓挫。休暇はキャンセルできない。そこで、「あっ、そうだシカゴ!」となった。

 いろいろと用事ができてしまい2泊4日のスケジュールになってしまった。一人で前回時間切れだった旅の続きをするつもりだった。

 2泊4日だけどここへ行こうと思っているのだけど・・・と言いながらシカゴのページを開いてアメリカ編の「地球の歩き方」を旅好きの母にリビングで渡した。当時シカゴだけの独立したガイドブックはなかった。

 急に言われてもと困惑しつつ母はガイドブック片手に2階の自分の寝室へ上がって行った。翌朝顔を合わせるとおはようと言う前に笑顔で「シカゴ行こう!」と言った。これも航空会社に勤めていなかったら到底できないことだった。

 2泊4日の強行軍ではあったが念願の再訪が叶った。今度は冬のシカゴ。飛行機が着陸態勢に入ったときに窓から海が見えた。それは海ではなくミシガン湖だった。海に見紛うほど大きな湖だった。

 空港からダウンタウンへ向かう車の中からビルに描かれたマイケル・ジョーダンと再会した。訪れたのはこれでまだ2回目だったがシカゴに帰ってきたと思った。

 ホテルで旅装を解くと怒涛の2泊4日の幕開き。早速ミシガン通りへ。有名デパートの数々、ナイキタウン、クレート&バレル、ギャレットポップコーン・・・。シカゴ美術館での数々の有名な絵画の鑑賞、カーソンズでアメリカらしいスペリブの夕食、・・・。

 勤めていた航空会社のシカゴ便は満席ということがほとんどなかった。社員の特典でシカゴ便に乗る人もあまりいなかった。

 当時はシカゴだけのガイドブックもなく、街を歩いていてもすれ違うのはアメリカのお上りさんばかりだった。

 シカゴはアメリカ有数の大都市でありながら日本人には穴場の観光地だと思った。旅慣れた母はミシガン通りを歩き始めてすぐにそれに気が付いたようだった。

 ミシガン通りは店構えも品揃えもセンスがいいお店ばかり。当時イリノイ州の税金は他州に比べて少し高く感じたが、これでは誰もが財布の紐を緩めてしまう。調子に乗ったら帰国後クレジットカードの請求に真っ青になると思った。

 初めてのシカゴは夏だったのでメジャーリーグを観戦できた。冬でもスケジュールに恵まれて熱心に手配すればフットボール、バスケットボール、アイスホッケーが観られることに気付いた。

 美術館の面白さを教えてもらったのもシカゴだった。シカゴ美術館には一目見てすぐに分かる有名な絵画がたくさんある。例えば、エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」、カイボットの「雨の日」、スーラの「グランドシャット島の日曜日の午後」、ゴッホの「自画像」など。ホッパーの「ナイトホークス」はいまでも大のお気に入りだ。

 これだけ有名な作品があると世界中から貸出要請がある。事前に調べておかないと、お目当ての絵の位置にかかっている「貸出中」の注意書きの前で立ち尽くすことになる。インターネットのない頃はどうしていたのだろう。せっかくシカゴまで来ても観たかった絵を運悪く観られなかった人がたくさんいただろう。

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シカゴから連れて帰ったホッパーの「ナイトホークス」。他に未開封のままのカレンダーもまだ手元にあります。

 買いもの、様々な料理、スポーツ、芸術、「何でもある」とはこのことだと思った。世界の有名な美術館や博物館が一日で観尽くせないのと同じで、シカゴではテーマを絞って臨まないと中途半端な旅になってしまうことがすぐに分かった。

 シカゴの話を書く上でも同じ。テーマを絞らないとすぐに字数オーバーになる。

 コロナが終息した暁の再訪時には、まだ経験していないミシガン湖やシカゴ川のクルーズをガイドブック片手にするつもりだ。そういう「ベタ」な観光をすることで自由に旅ができる日々が戻ってきたことを噛み締めたいと願っている。

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「ベタな旅」に必携の一冊? これが最初に出たシカゴのみのガイドブックだったと思います。再訪が決まったら最新版を購入して中身を比べてみたいと思っています。

追記:

シカゴに関してはこれまで「Journeyman」「久々」「100」      「訪れた証・5」「お使い・2」というタイトルで書きました。ミシガンでの結婚式に出席した話は「距離・1」というタイトルで書いています。未読の方は是非。

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「おとなの青春旅行」講談社現代新書                「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


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