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『訪れた証・10』

 この話は2022年11月7日にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。そのままここに掲載いたします。これは掲載第181作目です。

 スマートフォンによる「スマホ決済」の急速な浸透は目を瞠るばかり。「キャッシュレス」もさらに浸透したことになる。

 旅先での楽しみのひとつであるショッピング。クレジットカードが使えないところに「これは!」というものが結構あったりする。カードが使えても、「現金ならあと〇%安くする」とか「現金ならあと○個おまけする」という店の人とのやり取りがある。ここでのやり取り・駆け引きは旅の醍醐味のひとつだ。

 世界的にキャッシュレスが浸透した昨今では、観光地でのこの店と観光客とのやり取りは激減したのではないかと察する。決済のため予め諸々設定されている機械が間に入ると、店側が利かそうとする融通を機械が困難にしそうだからだ。

 トラベラーがある国に降り立ち、最初にその国を感じるのは、その国の通貨を手にしたときだろう。大きさ、手触り、重さ、匂い、デザイン、額面などが普段使っている自国のものとは異なるからだ。

 自分が初めて手にした外貨はUS ドルだったはず。USドルに外国を感じるのは、両替したてのときの、いまでも変わらない、日本円にはない独特の匂いや、買いものの際に気をつけないと複数枚相手に渡してしまう、円よりひとまわり小さい紙幣同士の重なり具合などだ。

 これまで重ねてきた旅の中で、最初に通貨で外国を感じたのはイタリアだった。1986年の大学一年生の夏休みに母と参加したパックツアーでミラノを訪れたときに出逢った。500リラの硬貨の中に硬貨が入っているデザインに感心してしまった。以来外国で両替を経て手元にきた硬貨に注目するようになった。

 日本を訪れた外国の人たちが穴の空いている日本の5円玉や50円玉に感心するのはこういう感覚なのだろうと思った。ツーリストよろしく、日本に持ち帰るために、滞在中出来る限り500リラのコインを極力手元に残すようにした。

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イタリアの500リラの硬貨。初めて手にしたときは衝撃でした。

 そのツアーはイタリアからスイス、フランスと周って最後はイギリスだった。そのときが人生初のイギリス。正直そのツアーで一番楽しみにしていたのがイギリスだった。

 イギリスポンドを手にしたときに、これまであまり感じたことのないズシリとしたものを感じた。手のひらから紙幣を除け、残った硬貨の中に他の硬貨より厚みがあり、一際存在感を手のひらの上で放っているものがあった。1ポンド硬貨だった。これが感じたことのない重みを出していたのだろう。

 何ともいえない重厚感というのだろうか、「硬貨」とはこういうものというものが見えた。エリザベス女王の肖像画も手伝ってか、威厳があり、まさに「大英帝国」という感じだった。

 ここでも通貨に外国を見た。イタリアの500リラの硬貨よりも、厚みのあるこの1ポンド硬貨のほうが好きになった。

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イギリスの1ポンド硬貨。世界で一番好きな硬貨です。思わず取っておきたくなる佇まいですよね?

 イギリスには1日半くらいしか滞在できずに帰国の途についた。手元に残った1ポンド硬貨が自分にとって一番のイギリスの思い出と「訪れた証」となった。

 翌1987年の夏休みに語学研修で4週間イギリス(コルチェスター)に滞在した。一年振りに1ポンド硬貨と再会した。日本に出来る限り持ち帰ろうと最初は気をつけていた。しかし、イギリスでの日常生活馴染んでくると、持ち帰ろうなんてことも忘れて違和感なく普通に使っていた。

 それでもいくつかは日本に持ち帰った。余程気に入ったのか、持ち帰ったものの中のひとつを使ってチョーカーにした。

 新宿の紀伊国屋の裏にあるビルの入口にあった露店のようなアクセサリーの店で、持ってきた1ポンド硬貨をポケットから出して、店員にペンダントヘッドをこれに出来ないかと尋ねた。この場ですぐには無理だができるとのことだった。安いものを一つ選んでそのペンダントヘッドを外して、加工した1ポンド硬貨を取り付けてもうらことになった。

 買ったばかりのそのチョーカーを身につけることもなく、1ポンド硬貨とともに店の人に託した。これは30年以上経ったいまでも健在でたまに身につける。

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いまでもたまに身に着けるチョーカー。現地ではもちろん身に着けません。いろいろと面倒なことになるかもしれないので・・・(苦笑)。

 その後の1992年、1993年の再訪でも、滞在中1ポンド硬貨は少し持ち帰ろうと思いながらも普通に使っていた。

 1992年に亡き父へのお土産に何枚か持ち帰った。ゴルフをやっていた父はパッティングの際に自分のボールの位置を印すマーカーにいいと言った。1993年のロンドン再訪の前にまた数枚持って帰ってきて欲しいと頼まれた。

 持ち帰った1ポンド硬貨を父は、どこかで調達してきたコインを磨く研磨剤で、熱心に磨いていた。父が磨き上げた1ポンド硬貨はどこに行ってしまったのだろう。一緒にゴルフをした人たちにねだられてあげてしまったのかもしれない。諸説あるがゴルフの発祥の地はイギリス(スコットランド)。グリーンに1ポンド硬貨が映えたのかもしれない。

 1993年の再訪を最後に2012年までロンドンにもコルチェスターにも長くご無沙汰してしまった。その間の2007年からトラベラーズノートを使い始めた。

 使い始めてしばらくして自分なりにカスタマイズしたくなった。ペンホルダーに1ポンド硬貨を使ってみた。10年以上はそのペンホルダーをノート本体に付けて「英国仕様」にしていた。

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強力な接着剤でペンホルダーに付けました。このスタイルを長いこと続けていました。本体にホルダーの後が残って取れないので現在は外しています。何故かエリザベス女王のお顔を下に・・・。

 ある日、10数年前になるだろうか、手元に残っていた1ポンド硬貨が少なくなっていたのに気付いた。ホームステイをしたコルチェスターのお家のお姉さんのほうに何枚か送って欲しい旨を絵葉書に書いた。

 しばらくして、イギリスから小包が届いた。開封すると1ポンド硬貨が4枚入っていた。インターネットからのプリントアウトも手紙とともに同封されていた。

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2013年に送っていただきました。到着と同時に写真を撮ってFacebookに載せていました。7.20ポンドも送料がかかっていました・・・申し訳なかったです(涙)。

 ブリントアウトは王室造幣局のものだった。普段使っているものを何枚かビニールの小袋に入れてガサっと・・・というイメージで待っていたので恐縮した。いつも楽しみに待ってくれている絵葉書の頻度を上げなくてはと思った。

 この話を書く上でプリントアウトに送っていただいたものと手元に残っていたものも合わせて並べてみた。出来る限り集めてくださったのが改めて伝わってきて嬉しくなった。硬貨それぞれがトラベラーとなって何人もの手を経て自分の手元にやってきたと思うと感慨深い。

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もう少しでコンプリートと・・・思わなくもありませんでしたがコレクターではないので(苦笑)。この歴代の硬貨の解説は王室造幣局の公式サイトで現在も閲覧できます。

 2017年になって1ポンド硬貨の新デザインが公開された。円形から12角形になっていた。厚みは少々薄く、重さもいくらか軽くなり、全体的に気持ち大きくなった様子。エリザベス女王の肖像画も直近のものに変わっていた。 

 新デザイン紹介の動画を見た。よく考えられて作られているのが伝わった。ユーロのことなんて頭にない印象だった。イギリス好きとしてはずっとポンドにこだわって欲しいと思った。

 新デザインのものは既に流通している。手を尽くせば手に入るが、再訪時に自分で手にするつもりだ・・・といつの間にか入手の算段をしていた。このように思いを巡らすのもお金に振り回されていることになるのだろうか。

 記憶に新しい2022年9月のエリザベス女王の崩御。2023年早々チャールズ新国王の肖像画がデザインされた1ポンド硬貨が鋳造されるそうだ。エリザベス女王のものと徐々に入れ替わっていくのだろう。

 エリザベス女王の1ポンド硬貨にはきっとプレミアが付く気がする。そうなる前にイギリスを再訪して入手したいが叶うだろうか。

 昨今の円安で欧米には気軽に行かれなくなった。燃料サーチャージがかつての旅の一回分の旅費と変わらないし。

 この話を準備し始めてから書き終わるまで、何だか「お金」に振り回され続けていた気がしている。

追記:

1. 過去の「訪れた証」は「みんなのストーリー」に全て掲載していただいています。ここnoteでもご覧いただけます。

2. イタリアの500リラとイギリスの1ポンド硬貨の両方の特徴を兼ね備えた硬貨がアジアにありました。香港の10香港ドル硬貨です。近々その10香港ドル硬貨の話を書こうと思います。手元に香港ドルの硬貨が残っている方、チェックなさってみてください。

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「おとなの青春旅行」講談社現代新書                「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


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