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『Bell Deskにて・6』

 この話は2022年5月11日にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。そのままここに掲載いたします。これは掲載第175作目です。

 ひと目でその国とわかる景色。シンガポールの場合かつてそれはマーライオンのある景色だった。それしかなかった。街で売っていた絵葉書も角度や時間帯を変えて撮影したマーライオンばかり。旅先から絵葉書をよく出すので、マーライオンの絵葉書で出したシンガポールからの私信は結構な数になったはず。

 マーライオンに取って代わったのはマリーナベイ・サンズ。僕の中でマリーナベイ・サンズはシンガポールの景色の中ではまだ納まりが悪い。馴染まない。見るからに「ラスベガス」という合わないパズルのピースを無理に景色にはめ込んで見えて仕方ないのだ。(統合型リゾートとしてマリーナベイ・サンズを開発したのはやはりラスベガスの会社でした)

 ロンドンのロンドン・アイにも同じ違和感がある。あのパリのエッフェル塔も建った当初賛否は分かれたという。マリーナベイ・サンズのある景色をシンガポールの人たちはどう感じているのだろう。

 屋上一面がプールのユニークな外観。今の時代SNSで発信するにはお誂え向きだ。かつては時間も費用もかかった空中撮影も今やドローンの時代。撮影から画像の調整、発信まで撮影が終わったその場で完結できる時代になった。

 2011年開業のこの統合型リゾートのホテルに宿泊するツアーを旅好きの母はずっと探していた。ある日想定していた条件に見合ったツアーをついに見つけた。

 2020年の2月に母は友達とシンガポールへ。母が楽しんで帰国した数日後にコロナが深刻化し国際線が大々的に運休した。

 航空業界にいる弟は現在も海外出張はなし。2019年の香港を最後に僕も日本から出ていない。コロナ禍寸前で旅の神様は家族の中で訪れた国の数が最も多い母に微笑んだ。

 我が国の隣国の建設会社がマリーナベイ・サンズの建設を落札した。日本の建設会社は最後に入札に負けたと仄聞した。現地では見物に行くなら建物が新しいうちにとなったとか。衝撃映像の番組で頻繁に出てくるその国のビル崩壊の映像をシンガポールの人たちも見ていたのだろうか。

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このマーライオンのスノードームは母からのお土産。台座にしっかりとマリーナベイ・サンズが・・・。

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客室乗務員の先輩が送ってくださったマリーナベイ・サンズのスノードーム。シンガポールの景色に馴染んでいないと言っておきながら、再訪時に他のシリーズでマリーナベイ・サンズを見つけたらきっと買ってしまうと思います(苦笑)。 

 2年近くかけたラッフルズ・ホテルの改装が2019年に完了。大がかりな改装は老朽化のためだろう。実際改装へ舵を切らせたのは、カジノまで備えている最新鋭のマリーナベイ・サンズの台頭ではと推測する。

 ラッフルズはその佇まいにずっと憧れているホテルだ。変に近代化していないホコリを払った程度の改装であってほしい。改装後初の再訪が待ち遠しい。

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ラッフルズのフィギュア。自宅の玄関の靴箱の上にスノードームとともに飾ってあります。

 グッドウッドパーク・ホテルもシンガポールを代表する5つ星ホテル。昔からシンガポールらしさを保っているところだが、あまり日本のメディアには登場しない。一世紀以上の歴史があり、1989年には建物が国家文化財に指定された。ラッフルズに憧れつつも気になっているホテルだ。

 1996年に大叔母、僕の母の従弟にあたるその大叔母の息子、僕の従姉、母と僕でシンガポールを訪れた。宿泊先は僕が手配したロイヤルホリデイ・イン・クラウンプラザ。スコッツ通りを挟んだ対面にグッドウッドパークが聳えていた。

 みんなでグッドウッドバーク内の鉄板焼のレストランで食事をした。僕の最初のグッドウッドパークは味よりも値段が思い出となった。

 ロイヤルホリデイ・イン・クラウンプラザはもうない。思い出のあるホテルなので改めて書くつもりだ。

 そのホリデイ・インとグッドウッドパークが関わっている物語が大変愉快だ。グッドウッドパークを大層気に入ったブルネイの王様が購入を申し出たが断られた。そこで富豪の王様は対面のホリデイ・インを買収してグッドウッドパークより高い建物にした。そして訪れる度にグッドウッドパークを見下ろしたという物語。

 真偽のほどは定かでない話だが、富豪の腹いせとしてはとても「らしく」ていい。王様の腹いせで高級ホテルと化したそのホリデイ・インに我々は宿泊したのだった。

 グッドウッドパークにあるスイートルームの名は「ブルネイスイート」(現在はローズマリースイート)。スコッツ通りを挟んで向かい合っていたこの二つのホテルの物語はますます興味深い。

 航空会社時代のシンガポール出張の際、取引先のB氏が、僕のシンガポールの話に度々登場するJohnとJosephと四人での食事の後で、グッドウッドパークのコーヒーラウンジに案内してくださった。B氏はJohnとJosephの上司。

 俳優の藤村俊二さん似のそのB氏をこっそり「おヒョイさん」と呼んでいた。お会いする度に「マレーシアにゴルフに行こう」とか「フィッシュヘッドカレーを食べに行こう」とか、旧知の僕の前の上司の様子を聞いてくる等、都度お気遣いただいた。

 そのB氏が若い頃そのコーヒーラウンジでボーイをしていた話をしてくれた。ディレクターという地位にあったB氏のその苦労は意外だった。以来グッドウッドバークと聞くとB氏の姿が目に浮かぶようになった。

 コーヒーラウンジから出口へ向かう途中でベルデスクに寄った。どうしたのかとJosephが付いてきた。ベルボーイにステッカーを乞うと、バゲージタグが入っている引出しをゴソゴソとやってステッカーを出してくれた。僕のスーツケースを何度も見ているJosephは腑に落ちた様子で微笑み何度も頷いていた。

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入手したステッカーはそのとき一緒に旅をしたスーツケースに。

 グッドウッドバークの奥にある同系列のヨーク・ホテルに数回宿泊した。通りの喧騒から離れたいいホテルだ。ヨークを知っているシンガポールマニアとはきっと話が合う。

 ヨーク滞在中のグッドウッドバークでの飲食代はヨークの宿泊費にチャージ可能。2010年にグッドウッドバークのバーの代金をヨークの自分の部屋代にチャージして貰った。ホテルを使いこなしている気になった。

 バーの客は自分ひとり。大丈夫かな、グッドウッドパークとこちらが寂しくなってしまうくらいに妙に廃れた雰囲気を感じていた。2010年の旅の記録にそのバーで飲んだときの記述があった。

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そのときの旅の記録より。Night Safariへ行く元気がなくなるくらいがっかりだった様子。

 ヨークへ戻る前にベルデスクへ。ステッカーを乞うと数シート差し出された。もう必要ないからいくらでもどうぞという感じで。改装ならいいが、もしかしたらクローズなのではないかと心配になった。

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これを数シートいただきました。現在ロゴは変わった様子。       こちらのほうが好きです。

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ステッカーはもちろんそのとき一緒に旅をしたスーツケースに貼りました。

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たくさんいただいたので旅に記録のバインダーにも一枚。

 この話を書く上で、グッドウッドバークのウェブサイトと当時のガイドブックをチェックした。

 ウェブサイトを見ると、やはり改装の跡が見受けられた。バーで感じた廃れ具合は微塵もなかった。宿泊なしでも再訪したくなる充実振りだった。思い出の鉄板焼きレストランはなかった。

 「ホテルの廊下に果物を入れたバスケットが置かれ、すべてのゲストにフリーで提供している」というサービスがガイドブックにあった。ゲストとはもちろん宿泊客。どんなフルーツがバスケットに盛られているのだろう。

 出張で現地に到着してホテルの部屋に入る。取引先からのフルーツバスケットがメッセージ付きでテーブルの上で僕の到着を待っていた。何度も経験したその場面が僕にとってのホテルのフルーツ。

 Johnとの再会はグッドウッドパークのコーヒーラウンジにしよう。旧交を温め、亡きJosephの思い出話をし、B氏の近況を聞くのに相応しい場所だ。もちろんコーヒー代はこちら持ち。酒豪のJohnが酒場へ移るのを待てずにタイガーを注文しても止めないつもりだ。

 次回のシンガポール再訪はゆっくりグッドウッドパークを訪れる時間も取ろう。本当は宿泊したいのだが、シンガポールの昨今のホテル代の高騰振りといったらない。

 グッドウッドパークか・・・二十年近く温めているラッフルズに宿泊する計画がまたちょっと延びそうだ。

追記:

 この話に登場したJohnとJosephは『口約束・1』、『再会・2』、『サテーでひといき(旅先で食べたもの・9)』に登場しています。フィッシュヘッドカレーについては『旅先で食べたもの・6』で書きました。未読の方は是非合わせてご笑覧ください。





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