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ここに確かに居ること、ここへ必ず還ってくることーー黑田菜月《動物園の避難訓練》試論

 動物園という場所を動物園たらしめるものは何だろうか。動物園に足しげく通うようになってから幾度となく問いを繰り返してきた。ある時は幼い頃の日記帳を辿り、またある時は廃墟となった動物園跡地を歩き、私は私たち自身の語りによる価値の再創造(Re-Creation)が動物園を動物園として成立させていることに気付きつつあった。

 動物園という装置は巡回展やサーカスのように拠点を変えず、場所に根付いて展示を行う。そこに生きているものたちが居ること、生かされているだけではなく活き活きとしたインタラクションに触れられることは、場所にゆたかな生命を養うだけの活力が宿っていることを体現する。
 近年、動物飼育施設における動物福祉の重要さが強調されるのも、私たちが動物園で生きているものたちをまなざすだけでなく、彼らを通じて「場所に宿る活力」をまなざすことを望んでいることの証左ではないだろうか。

東京ビエンナーレ2023 馬喰町会場(エトワール海渡 リビング館)

 「東京ビエンナーレ2023」において、馬喰町と谷中の2会場で展示された写真家・黑田菜月の映像作品《動物園の避難訓練》は、動物園を動物園たらしめる要素である「場所の固有性」と、そこに参与する人々の語りによって立ち現れる「時間の重層性」を確かに映し出していた。

 「動物園の避難訓練」は、愛知県犬山市の日本モンキーセンターを舞台に、3つの「語り」の軸が重層的に重なり合うようにして進行する。

エトワール海渡 リビング館(2023年10月撮影)

 冒頭、日本モンキーセンターの飼育員へのインタビューから映像が始まる。日本モンキーセンターだけではなく、国内の多くの動物園では動物の逸走を想定した避難訓練が行われている。しばしば牧歌的なニュースとして新聞を飾る、「避難訓練」。その訓練の体験を語る飼育員。
 日本モンキーセンターでは2000年に、ニシゴリラのタロウが開園中に逸走した。鍵の欠け忘れが原因だった。当時を知るスタッフも少なくなるなか、教訓を伝承するために避難訓練が続けられていたのだった。

ニシゴリラのタロウ(2024年撮影)


 場面は移り変わる。講堂のような場所に3人の動物園ファンが集まり、新聞報道記事を読み合わせる勉強会をしている。私はこの場所を知っている。日本モンキーセンター内のレクチャールームだ。
 3人が代わる代わる読み上げる報道記事は2016年に発生した熊本地震の当日、動物園での保安・初動対応に当たった飼育員の声を届けている。人員が限られるなか、真っ先に猛獣舎まで走り、動物たちの無事を確認する。ようやく飼育員たちが初動対応を終えた頃、事務所の電話が鳴りやまなくなった。Twitterに投稿された、「地震で動物園からライオンが脱走した」という悪質なデマが不安を喚起し、パニックを呼んでいた。
 動物園は地域に根を下ろしていながら、遠い人にはどこまでも遠い。「人は一生に三度、動物園に行く」という言葉があるが、動物園で暮らす動物たちの一生や動物園で働く人々の思いを、限られた訪問機会の中でどれだけの人が眼前にすることができるのだろうか。だから、動物園の「いま」を想像することは、必ずしも誰にでもできることではない。
 デマを流した男性は、熊本市内には住んでいなかった。ライオンの写真も、街の写真も、インターネット上の画像のパッチワークだった。インターネットには場所を超えた同時性がある。価値を生むこともあるが、禍を呼び寄せることもある。
 
   ふたたび場面は切り替わる。先ほどの勉強会に参加していた3人の動物園ファンひとりひとりの内面にクローズアップし、「なぜ動物園に繰り返し足を運ぶのか」に肉薄する。そのうちのひとりが、「動物園の避難訓練」という勉強会のテーマに喚起され、阪神淡路大震災の記憶を語り始める。動物園は動物と出会うだけではなく、人と出会う場所でもある。


 黑田の映像作品は、どこまでも体験に根差した語りに光を当てる。逸走し今までになく興奮した表情を見せていたゴリラと対峙した飼育員の語り。シロテテナガザルのキュータロウに思いを寄せ、遠路をいとわず繰り返し日本モンキーセンターに足を運んだ動物園ファンの女性の語り。いずれも、固有の場所、固有の対象への臨在性が前提となっている。

 横浜市立金沢動物園でのワークショップを基にした映像作品《友だちの写真》(2021年)で、黑田は「時空間を共有していない友だちのまなざし」に写真を通じて子どもたちが気付いていく場面を丁寧に描き出していた。
 《動物園の避難訓練》では、「時空間を共有しない者への想像力の欠如」への処方箋として「その場に身を置いた者が語りうる」心情や出来事が果たしうる重みが印象付けられる。動物園という場に対して正反対のアプローチを取っているようでいて、「想像力」という主題への力強い働きかけは変わらない。
 

エトワール海渡 リビング館(2023年10月撮影)


 《動物園の避難訓練》で象徴的な役割を果たすニシゴリラのタロウは50歳を超えた現在も存命である。2022年の日本モンキーセンター公式アカウントは、戦火に見舞われたウクライナ・キーウ動物園で暮らす同国ただひとりのゴリラ、トニーがタロウの弟であることに触れていた。人災のさなかでも、天災のさなかでも、動物園の動物たちは自ら「避難」することはできない。

タロウさんの弟、トニーさんがキエフの動物園にいます。 ウクライナの動物たちの安全を願っています。

2022年3月13日 日本モンキーセンター公式Twitter 

 東京ビエンナーレ2023の会期中、大阪・天王寺動物園では仮設飼育舎からチンパンジーのレモンが逸走し、獣医師が怪我を負った。来園者は一時避難をすることになった。仮設飼育舎のわずかな隙間からの逸走であり、園は「想定外」とコメントを出した。

17日、大阪・天王寺区の動物園でチンパンジー1頭が逃げ出し、3時間余り後に園内で捕獲されたことについて、動物園は飼育舎の屋根の近くにあるおよそ20センチの隙間から外に出ていたことを明らかにしました。この隙間から逃げ出すことは想定していなかったということです。

2023年10月17日 23時35分 NHK Web

 2024年1月1日に発生した能登半島地震では、石川県七尾市ののとじま水族館も大きな被害を受けた。いしかわ動物園や越前松島水族館と言った近隣の園館と協力し、イルカやアザラシといった哺乳動物たちは迅速に搬出されている。これは、国内の動物園・水族館が地域を超えて連携してきたことのひとつの成果でもある。

いしかわ動物園(能美市)は、地震で被災したのとじま水族館(七尾市)から、ゴマフアザラシとコツメカワウソ各2頭を受け入れた。同館の成育環境が悪化したため要請を受けた。当面の間、同園で飼育を引き受ける。
 松島一富(いちとみ)園長(66)によると、同園が自然災害に遭った他の施設から動物を引き受けるのは「恐らく初めて」。元のとじま水族館長でもある松島園長は「『被災者』である動物たちの健康を第一に、最大限の努力で飼育し、水族館が復旧すれば元気な姿でお返ししたい」と話す。

2024年1月6日 05時05分 (1月6日 10時38分更新) 北陸中日新聞Web
エトワール海渡 リビング館(2023年10月撮影)

 《動物園の避難訓練》の発表前後に報道されたこれらの出来事は、「避難訓練」というモチーフが様々な形で現代性を帯びていることを如実に表している。
 パンデミックによる大規模な分断と隔絶の経験を経て、世界が、日本が激動するいま、戦後動物園の基礎を築いた元上野動物園園長、古賀忠道の言葉が、繰り返し反響する。"Zoo is the Peace."――動物園は平和そのものである。動物園は刺激こそがエンターテインメントであるという価値観からまなざせば、退屈な場所かも知れない。しかし、その「退屈」は、当たり前に成立しているわけではない。「退屈」が破れるときは、私たちが「避難」しなければならないときでもある。
 黑田が動物園という場所に集う人々、ひとりひとりの心象を重ねながら映し出した「避難訓練」という主題は、「動物園の」という、非日常でありながら日常を内包する接頭語とともに投げかけられることで、私たちの日々のかけがえのなさを静かに問いかけ続けている。

(敬称略、情報は記事公開当時)