【雑記】海は凪いでいるか
この春の転居が人生で何度目だったかは忘れた。
交際相手と半年前から同棲を始め、婚約し結婚式場を決めた矢先だった。単身赴任を命じられ、慌ただしく家を出た。その葛藤はすでに他の形でも発表しているから、ここで詳述はしない。
いま私が綴りたいと思っているのは、単身赴任先まで持ってきた「だいじなもの入れ」の中身のことだ。
あまり荷物は増やしたくなかった。けれど、「だいじなもの入れ」は置いていけなかった。そこに収めているものたちに意味を見出すのは私ひとりだけだから。
私に短歌を教えてくれた友人――20代の私は彼女に恋愛感情を抱いていたが、「友だちで居ようと思う」と正面から伝えてもらったから、いつまでも「友人」だ——が、この世を去って3年になる。
友人の訃報は私が20代を過ごすなかでもっとも衝撃が大きかった出来事のひとつだった。
当時、混乱した思考にけじめをつけようとして、四十九首の短歌を思い出とともに綴った。「うみテラス」と題して。それが供養になったかは、分からないままだけど。
いま私はひとつ年上だった友人の年齢をとうに追い越してしまった。案外しぶとく生きている。
30歳の私は、28歳の友人が国府津海岸で手渡してくれたタカラガイを時々取り出し、じっと眺めている。
友人と過ごしたあの夏の日は、人生においておとぎ話を信じた最後の時間だった気がする。釣り人はまばらで晴れ渡り、揚羽蝶が海風に乗って飛んでいた。レジャーシートを敷き、しゃぼん玉を吹いた。レモネードとオレンジジュースを並べた。帰り際にはセブンティーンアイスを買った。
友人の死はそれから半年も経たずに訪れた。待ち合わせ場所に現れず、電話をかけた。ご両親が出て、訃報を知らされた。
私にはいまだに腑に落ちないことがある。友人がタカラガイを拾ったと言って手渡してくれたのは波打ち際ではなかった。それも、欠けていない、うつくしい貝殻だった。完璧な貝殻が、あのタイミングで都合よく見つかるものだろうか?
30歳の私は推察する。はじめから友人が私に託すつもりで持ってきていたのかも知れない、と。
私は友人の心遣いに気づけていなかった。ただただ、愚直、というよりは愚かにも、「信じて」いたのだ。友人とこれからも変わらず会えることを。おとぎ話のような時間がだらっと続いて、変わらずにいられることを。
終わらない時間はないし、変わらない生きものはいない。
急ぎすぎた友人に向けて、こっち側の岸辺から大声で叫びたい。
彼岸でも海は凪いでいますか。こちらは波乱も波乱の連続ですが、何とかやっています。結婚相手もいます。世の中を覆い尽くしたパンデミックはずいぶん下火になりました。
私は動物園には通わなくなったけど、まだ短歌を詠んでいます。当面はこちらにいると思いますが、もしあちらで合流したら歌会でもしましょう。またどこかで。