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それでも、生きてる

散文です。

誰に求めらなくてもいる自分を何より大切にすべき。
それを徹底した先に真の共感と真の理解者がいる。
だから、安易に自分を高く評価するな
アスペっていわれてもいいや。
夢中なりすぎて周りが見えなくなるの怖くて仕方ないけど、
もうそれでもいいや。
多分、もうそう言う自分ばかりでもないよ。
それでも生きてる。
そうじゃないと、ぼくは無限に人を傷つけて死んでいく。
何より、自称による自傷を繰り返す。
生きてれば人との殴り合いは存在するだけで耐えないけど
なるべく殴らないでいるには人のことを考えないことに尽きる
没頭が救うと思う。
大切にすべきものを大切にする。
その大切なものをまずは大切にしていないと。
その形が世間で言う大切にハマってなくていい。
“ボクなりの”大切でいたらいい。
その状況でその文脈でどうしようもなかった自分がいた。
周りを全否定しないと生きてられない自分がいた。
しかし、全否定とは、実は浮上の一歩でもあった。
全否定とは肯定でもあるのだ。
真に認めているから、全否定できるのだ。
否定することで失いまくった。
しかし、それだけ傷つけまくってしまっても、
それでも現に生きてるのだ。
どれだけ、ボクのSNSの価値が暴落したとしても、
それでも現実世界では生きているのだ。
やらかした自分を何度も呪った。
何度も呪殺した。
なのに、死なない。
何回も過去に自分に死ねって言ってた。
なのに、死なない。
むしろ、その過去の自分に呪いをかけられてた。
なんで生きてんだよって何回も呪い返された。
もう本当にどうしようもなくなってこれまでの周りの人・もの全てに呪いの対象を移した。
それでも足りず、心の穴を埋めるために出会い系とか結構やった。
しかし、埋まらない。
むしろ、呪いが悪化するばかり。
穴はとにかく広がり、暗さは増していく
どんどん吸い込まれていく。
そこから逃れるにはそいつらと誠実に向き合う他ない。
しかし、克服では無理なのだ。
結局呪いなのだ。
もう一度いう、克服は無理だ
そうではなく、呪いの把握が必要だったのだ。
何に囚われ、何が邪魔をしていて
何で自分が構成されているのか。
何に影響されきたのか。
それらは、自分を作り上げてきた、作り上げてきている呪いである。
それからはどうしたって逃げられない。
しかし、構造を理解することで距離を置くことはできる。
それらが持つ呪いの効果・種類を知ることで自分なんて探すことがいらなくなる。
全部その時その時で現れてた自分であったと思うことができる。
我ながら、クソなことをしていたと思うが、それもそのいろんなものが混ざり合った時に出てくる自分でしかないのだ。
そして、それに対して安易な反省をしない。
それは違う自分がいたはずだという幻想を抱く新たな呪いの始まりになる。
自分を高望みしてはいけない。
初めからそんなもんだ。
クソな自分も自分であると認めてしまうことだ。
くそはくそだ。
クソが真珠になることはできない。
ボクはクソな自分を認めることを、
「ふにゃふにゃせんべいの自分を大事にする」
と言っている。
ふにゃふにゃせんべいには芯もクソもない。
硬い立派なせんべいのように筋の通った人生でなくても、
味に一切の期待ができなくても
美味しい保証が全くなくても
それでもそれは存在する。
生きてていいのだ。
そんなんでも生きてていいのだ。
全自分達よ、あれもこれも自分なのだ。
盛大に諦めよ。
距離を置かれる自分も嫌がられる自分も
離れていって悲しむ自分も
あの自分も自分だ。
そこで下手にもがくな。
そのまま進めばいいのだ。
その問題をちゃんと放っておくのだ。
だって、それも自分なんだ。
安易に解決できるわけがない。
何年自分をやっているんだ、諦めろ。
解決なんてしない。
解決は、その自分を諦め認め切ってからだ。
クソな自分も自分だと認めてやれ。
さすれば道は開ける。

それでも、生きてる。


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