今更オドループ

最近、YouTubeで音楽を聴くという技を身につけた。一日中喋り続ける子供とつけっぱなしの教育テレビのおかげで夜には耳鳴りがしている状態で、音楽を聴きたいとも思っていなかった。
ところが私のスマホにはYouTubeが入っていた。
少し余裕が出来てきたところだったので、色々な音楽を聴いてみようと思って眺めているときに見つけたのがフレデリックの「オドループ」だった。
タイトルとサビはどこかで聞いたことがあったなと思ったのと、MVが人気だというのを聞いたことがあったので早速聴いてみた。

イントロもかっこいいけど、歌い出しの歌詞にびっくり。ちょっと前に話題になってた風営法のディスから始まってるじゃないですか。歌詞のテンポの良さと、すぐ覚えられてしまうメロディーの良さは言うまでもないのだけれど、歌詞にぐいぐいと引き込まれてしまったので、私なりの勝手な素人解釈を書きたいと思います。

作詞作曲:KojiMihara

踊ってるだけで退場
それをそっかそっかっていって
お幸せについて討論
何が正義なんかって思う
生意気そうにガム噛んで
それもいいないいなって思う
テレスコープ越しの感情
ロッカーに全部詰め込んだ

掴まれたこの歌い出し。
時代に合わなくなった風営法のおかげで踊ってるだけで罪になってしまうのを、そっかそっか、じゃ他に何か幸せな事探そうか、何が幸せかなぁ?って討論する事のどこが正義だよ。討論してる人達を横目に生意気そうにガム噛んでるのもクールでカッコイイかもなんて思うけど、そんな他人事みたいに、テレスコープ越しの遠い世界の出来事を見てる様な感情はロッカーに全部詰め込んでやる。

(ロッカーはそっかそっかにリズムを合わせつつ、ROCKERに掛けて、音楽に託すよって事かしらね)
風営法のリアクションて納得する人、違う幸せを探す人、興味のない振りを決め込む人…と様々だけど、自分は踊らせる音楽をやる!って決意が痺れる。

という歌詞からのサビに入るとこ好き超盛り上がるよね

踊ってない夜を知らない
踊ってない夜が気に入らない
踊ってない夜を知らない
踊ってない夜が気に入らないよ
気に入らない夜なんてもう僕は知らない
踊ってない夜がない夜なんて
とってもとっても退屈です

最後の2行は
踊りっぱなしで踊るのが普通になっちゃったらそれはそれで退屈。踊ってない夜があるから踊ってる夜が最高!という対比。

じゃ風営法で踊るのを規制されたらちょうどいいじゃん

とはならないのです。

思ってるだけで行動
きっとNIGHT音楽も踊る
タンスでダンスする現状
これはチャンスなんかって思う
カスタネットがほらたんたん
たたたたんたたんたんたたんたん
踊ってない夜を知らない人とか
この世に一人もございません

タンスでダンスしちゃうんだよ。
踊ってたら罪にはなるけど、誰にも見つからないように、自分の部屋のタンスの中でダンスしちゃうんだよ。だって踊りたいんだもん。

踊りたい衝動があるんだもん。

カスタネットをたんたん叩いただけでそれはもう踊れるリズム。これはチャンスだ。きっとみんなにも踊りたい衝動があるはずだ。みんなも踊ってない夜を知ってる。

「踊ってない」状態は2通りあって、「踊ってはいけない」から踊ってない、と「踊りたくない」から踊ってない。
「踊ってはいけない」のは外的要因。
「踊りたくない」のは内的要因。
サビで

踊ってない夜がない夜なんて
とってもとっても退屈です

と言ってるのは内的要因によるもののこと。
悲しい事が起こった夜は全く踊る気になれない、なんて誰にでも経験のある事。いつだって踊る、踊らないの選択は自由だけど、外から踊らない事を強要されるのは違うよ、踊らないのは踊りたくないと自分が思った時だけ。自分が決める。風営法という外的要因から歌い出した歌のサビが内的要因による状態での踊ってないという対比がたまらんですね

いつも待ってる ダンスホールは待ってる
変わってく 変わってく 傷だらけでも待ってる
ほら踊ってる ダンスホールの未来に
色を塗って生きるのは あなた あなた
「ダンスは笑顔で待ってる」

ダンスホールは流行り廃りに乗って名前や形態を変えながら、何か事件が起これば悪者扱いされて傷だらけになっても踊りに行くのを待っててくれてる。踊りたくない夜は踊らなくていい。
ダンスホールは踊る人がいなきゃなくなってしまう場所だけど、あなたが踊りに来て色塗ってくれるのを待ってる。
ダンスホールで踊ってる人、ひとりひとりが集まる事で文化を作り出している。ひとりひとりがカルチャーを作り出す役目を担っている。

風営法がダンスを規制した時にそっかそっかっていって従ってたら「ダンスが規制された文化」になるし、ふざけんなって踊れる音楽が量産されれば「ダンスミュージックが盛り上がってる文化」になる。どちらを選ぶかはひとりひとりによって選べる未来。

どちらに転んでもダンスは怒ったり悲しんだりはしない。いつでも踊るのを笑顔で待ってくれてる。

踊ってたい夜を知りたい
踊ってたい夜を気に入りたい
踊ってたい夜を知りたい
踊ってない夜が気に入らないよ
気に入らない夜なんてもう僕は知らない
踊ってたい夜に泣いてるなんて
とってもとっても退屈です
踊ってたい夜が大切なんです
とってもとってもとっても大切です

ここで「踊ってたい」が登場。「踊ってない」は状態でしかないのに対し、「踊ってたい」にはポジティブな感情が乗っかってます。
「踊ってたい」は踊りたい衝動がある状態で、それをを知りたい、気に入りたい、と肯定。
踊ってたい衝動があるなら、踊ってはいけないなんて外的要因に屈してただ泣いてるだけなんて最悪。
衝動が大切です。

昔はよく音楽を聴いていて、毎年2泊でフェスにも参加してたし、片道2時間かけてライブに行ったこともあったけど、子供が産まれてからあまり子育てが得意な方ではなくて時間も余裕も作れずに音楽から離れていました。
音楽を聴きたいって衝動を肯定して貰えた気がするし、カルチャーを築く底辺のごくごく僅かな一部に居場所を見つける事ができました。
久々にチラッとのぞいたら笑顔で待っててくれてありがとう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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