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子どもをリスペクトする

 リスペクト、というと「尊敬」という日本語に訳されることが多いのですが、チャラっと言えば「すごい!」という感じかな、と私は思っています。

 私にとって子どもは、存在そのものが尊いです。今は特別支援学校で働いていて、その前までは中学校で働いていましたが、その考えは全く揺らいだことはありません。学校という建物に来て、自分の教室、自分の座席に座っていること。それがもう、すごく尊い。特に今は高等部にいるので、「受験をして入学した」つまり「本校を選択して入学した」から、尊さも増しているように思います。選んでくれたのだから、期待に応えたいな、と。

 リスペクト。では具体的には?と考えてみると「子どもの意思を尊重する」というのは大事にしています。もちろんわがまま放題ではありません。集団で生活していますから、他者と共に過ごす時のルールやマナーには気をつけてもらいながら、「したいこと」を話してもらったり、一緒にやったりします。折り合いをつけて、我慢をしてもらうこともあります。でも、我慢できたら「今回はあなたがみんなのために譲ってくれたから、次はあなたがしたいことをみんなでできるように考えてみるね」と伝えます。

 それから、生徒とは常に対等でありたいと思っています。もちろん、教えるべきことは教えます。私の方が長く生きていて、知識も知恵ももっていますから(笑)。でも、知識を授けることイコール、上下関係を生む(先生の方が偉い、みたいな)というのは好みません。これは、中学校で働いていた時からそうでした。でも「友達みたいな関係」というのも違います。私は友達ではなく、30歳以上離れた大人です。30歳以上離れていますが、意思をもった人間同士です。そういう意味で、同じ人間として、対等でありたいのです。

 中学校で勤務していた頃、いわゆる「提出物」というものがありました。教科の学習で、副教材の範囲を指定して、ここからここまで勉強してきて、ということが時々あるわけですが、それは「成績をつけてもらうために先生に見せるもの」ではなく「生徒自身が考えたことや、どれぐらい授業を理解したかを私も知りたいから」と伝えていました。だから「提出させる」という強い表現は好みませんでした。

 また、授業の終わりには、その日に学んだことや感じたこと、疑問点などを生徒がコメントを書けるようなカードを使っていたのですが、それも「休み時間の10分で全員と話ができないから、学んだことなどを書いてほしい」と伝え、私も全力で返事を書いていました。話すようなつもりで、私自身の考えや、生徒からの質問の答えなど、誠実に書きました。コメントを書いてこない生徒にも文字で語りかけました。これは、特別支援学校に来た今も変わらずに取り組み続けています。

 

 子どもはすごい!とリスペクトする気持ちがあれば、「○○くん、どうしてできないの?」「○○さん、きちんとやって」などと他の子どもの前で吊るしあげることはしないと思います。言葉を発さない、理解できていないのをいいことに、他の子どもの前でからかったり、真似をしたりする、そういう大人が世の中にいないわけではないです。私は、それがとても嫌です。


 私が考える一番簡単なリスペクト方法は、「すごい!」と思った瞬間に、すぐに、短く褒めることです。「今のそれ、いいね!」とか「Good」とジェスチャーするだけでもいいと思います。その子どもの尺度でいい。昨日できなかったことが今日できたら、それでいいかな、と。

 そんな関わり方を、教員になって24年目も続けています。

特別支援教育に興味を持つ教員です。先生方だけでなく、いろいろな職業の方とお話して視野を広げたいし、夢を叶えたいです。いただいたサポートは、学習支援ボランティアをしている任意団体「みちしるべ」の活動費に使わせていただきます。