私はこれで自分の子供時代を癒してた
私がおやつ作りをはじめたのは長女が小学校1年生、次女が1歳すぎくらいだったかな。今から17年くらい前のことです。
作ろうと思ったきっかけはある人のブログ。素材の組み合わせがセンスよくかわいくて、できあがったおやつもかわいくて美味しそう!お菓子を作る習慣のない私に「作ってみたい」と思わせてくれた素敵な人でした。
「こんなお菓子も家で作れるんだ」と、慣れないながら失敗しながらも、ワクワクといろんなお菓子作りにトライするうち、バターの代わりに植物性油を使うレシピに出会います。
試してみると、お菓子を作り慣れない私でも高価なバターを台無しにすることなく、形になって、美味しく食べられるおやつが気負いなく作れました。
誰かにプレゼントするためのお菓子じゃない、誰かにお披露目するためでもない、普段着のおやつ。いつものごはんを作るようなシンプルなレシピ。
ああ、これでいいのだった・・・かつては家族の誕生日に張り切ってバースデーケーキを焼き、慣れないデコレーションを頑張ってたけど、フォークで切れない薄くて硬いスポンジ生地を家族に「お、おいしいよ!」と気を使わせながら食べててもらってたけど、ケーキを上手に作れない=理想のお母さんではないとその都度落ち込んでたけど。
あわてんぼうで大雑把な私にはバター不使用の(バターを常温に戻すと言う工程がない)レシピは、作りたいときにすぐ作れて、複雑なコツがいらないところが合ってたようです。
そしてわざわざ製菓用の無塩バターを買っておかなくても、ふだんのごはん作りに使う菜種油を使うのも良かった。張り切り度がぐんと下がって楽になり、小さな成功体験がどんどんおやつ作りを楽しくしてくれました。
気がつけばおやつを作ることはほぼ毎日の習慣となり、結婚以来10年以上電子レンジ機能しか使われてなかった電気オーブンが突然大活躍することに。「い、今頃?」と、オーブンがびっくりしてたと思う。
娘たちが大きくなった今は作る頻度は減りましたが、あんなに苦手だった「お菓子作り」を長く続けることになったのは自分でも驚きです。理由は色々ありますが、一番大きな理由は自分を癒やしてたんだろうな、と思います。
私が育った家は裕福ではありませんでした。実家は細々と自営業と、父が時々別の仕事もしていたから収入はあったにはあったのですが、大人の事情で(父はたくさんの”ハンコ”をついておりまして)家族以外のために使われるお金が多かったのです。
必要なもの以外、好きなものを買ってもらうことはできなかったし、友達の家にあるものがうちには無いものが多かったです。ビデオデッキ、ファミコン、回る電子レンジ(←うちのは回らなかった)、オーブンなどなど。昭和です。
確か小学校5年生か6年生の頃だったと思います。クラスメイト数人である友達の家に遊びに行った時に何故そういう流れになったか覚えてませんが「クッキーを作ろう!」ということになり、そこで私、はじめて家庭用オーブンでクッキーを焼くという体験をしました。
・オーブンがあること
・クッキーを焼くという楽しみを持っていること
・友達を呼べるお家であること
「いいなあ」って思いました。
「うらやましいなあ」って思いました。
今だから言語化できるけど、そこに【豊かさ】を感じたように思います。
その時の友達の家の台所の風景、うっすらと憶えてます。思い出すとそのシーンは西陽がさしてたのか逆光で、クラスメイト数人がオーブンの前にいる場面。だけど食べたシーンは覚えていないし、クッキーそのものも覚えてません。昔すぎて記憶がもう消えてしまったか・・・。
後日、自分の家でもクッキーを作ってみたくなり、母にお願いして箱に入った市販のクッキーの素を買ってもらいました。だけどうちにはオーブンがない。
使えるのは小さな辛子色のオーブントースター。仕方ないからクッキーの素を使ってそれで焼いたんです。そしたら・・・
焦げた。笑。
私の憧れもそこで、焦げた。笑。
手作りおやつへの憧れはほかにもあって。
小学校6年間ずっと同じクラスだったAちゃんのお母さんは、私たちが学校から帰る時間までパート勤務をしていて忙しかったはずなのに、私が放課後遊びに行くとよくフレンチトーストを焼いてくれました。片づいてない家で何かと厳しい母といるのが苦痛だったあの頃、綺麗好きでいつも優しいAちゃんのお母さんに会えるのも嬉しかったことでした。
もう一つはBちゃんのこと。フルタイム勤務のBちゃんのお母さんは、おやつもご飯もきちんと手作りする人、というイメージでした。
遊びに行ったある日、Bちゃんが台所のオーブンの前を通り過ぎる時に扉を開けたんです。そこにはドライフルーツのようなものが敷き詰められたタルトが入っていました。
一瞬目に入ったその景色に私はびっくり。家に手作りのタルトがあるなんて、タルトがあるなんて!外国のお家みたい、夢みたいやん!って。
なのにBちゃんにとっては珍しいことじゃないのか照れくさかったのか、そのままオーブンの扉をパタンと閉めました。タルトはそこから出てくることはありませんでした。私は食べたかった、遊んでる間ずっと気になってた(笑)今もあのオーブンの中にあるなら食べたいと思うくらいです。
同級生の中でお母さんに手作りのおやつを作ってもらってた子は少なかったはず。少ないというか、この二人だけだったかもしれない。
だけどこれらの体験は、
・私は親におやつを作ってもらったことがない
・家にオーブンすらない
すなわち
・私は親に愛されてない
・私は恵まれてない
とこじれてイコールとなり、自分の家で感じる【別の寂しさ】とリンクしてしまったんだろうと、今はそう説明できます。
【欠乏感】でいっぱいだった子供時代。
大人になってからのおやつ作りは、そんな私の子供時代を癒す役割をしてるのかもしれないと、娘たちが大きくなってから気づきました。
あの頃やってみたかったことをできてる喜び。そして娘たちが食べてくれることで「母親である」という喜びも得られました。2つ目の喜びは母が私にしてくれなかったことを、私は自分の子どもにしてあげられているというこじれた優越感にも一時期なっちゃったけども。(今は修正済み)
おやつを作るという楽しみができてしばらく経ち、長女が小学校4年生の新学期、次女が幼稚園入園というタイミングで夫の転勤が決まりました。住み慣れた街を離れることになりました。
言いづらかったけど引っ越しが決まった時、長女に転校を伝えました。幼い彼女は驚いた後、食卓で両手で顔を塞いで大きな声でワンワン泣きました。ひとしきり泣くと真顔になって「転校って、入学式みたいと思えばいいよね?幼稚園から小学校に入るときとおんなじだよね。知らない人の中に入っていくから。」自分で自分を説得するようにそう言いました。
その後は、最後の学校の日も、引っ越し先へ向かう新幹線の中も、新しい学校生活でも、彼女は泣くことがありませんでした。
ある日、学校から帰ってきた長女が食卓に座ると「ああ、おやつがあってよかった。」と、ホッとしたようにそのまま無言でおやつをモグモグ食べたことがありました。
私は特に何も聞かずその姿を見守ると言うより眺めるしかできなかった記憶です。「転校させてしまった」と、申し訳ない気持ちがあったから。
確かその日は珍しくへたっぴなりに作ったダックワーズだったのは覚えてます。後にも先にも、ダックワーズなんてあの時くらいしか作ってないような。私の愉しみがあの頃の長女の癒しにほんの少しでもなれてたなら、嬉しいけれど。
「ただいまー」と玄関から入ってくると「今日のおやつは何かなあって思いながら帰ってきたよ。」「いい匂い~今日のおやつ、何?」と、ランドセルしょった姿で可愛く言ってた長女。
しかし思春期に入ると口喧嘩ばかりでコミュニケーションがうまく取れない期間が長かったです。それでも励ましたい時や受験期間中などは彼女が好きそうなおやつを作って間接的にエールを送るという、自己満足をしたり。「私にはできることがある」と安心したかったのだと思います。
ちなみに次女は長女に比べると私が作るおやつより市販のお菓子の方を好む子だったのですが、思春期になった頃「お母さん、最近シフォンケーキ作らないね。私が小さい時よく作ってくれてたやん。また食べたい。」と言った時がありました。
私にはあまり数多く作った記憶がないけれど、予想外に次女の中にシフォンケーキが思い出として残ってるんだなあと。もちろんすぐにシフォンケーキを作りました。100円ショップで紙の型を買って。
私にとってのおやつ作り。
娘たちにとっての手作りおやつ。
それぞれ別の味がする思い出。
おやつを作っていると「大人って自由だな」と思います。だって、あの頃の私がやりたかったことができているんだもの。そういえば子どもの頃、早く大人になりたいって思ってたなあ。
大人になったらなったで以前の私は「思ってたより大人の方が自由じゃない」なんて悲しんでた時期もあったけど、今の私は「大人って自由だな」と思ってます。
色んなことを経た今、ああ、平和だなあ、有り難いなあ。これを書きながらそんな気持ちが今、私を包んでいます。
手に入らなかった、体験できなかった、我慢・辛抱した、などなど。幼い自分ができなかったあれこれ。大人になった今、些細なことでもそれを叶えてみたら、自分が癒やされるだけでなく周りにもいいことがあるかもしれない。誰かの思い出になったり、予想外の嬉しい副産物がついてきたり。
今日から二十四節気の大暑。ここから暑さがますます厳しくなる中、オーブンで焼き菓子を作るには勇気がいるけれど、久しぶりにおやつを作りたくなりました。自分のために。まずは材料を買いに行かなければ。
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