かまってちゃんなのにかまってもらう要素が無い話

サリエンシー(予測誤差)が高い人の方がそうでない人に比べて、相手に感情や行動、記憶などで与える影響が大きい。


これに対してのコンプレックスが強くある。

要は、僕自身が人からの評価が良くも悪くもない存在だから、人への影響力が無いのが辛い、という話。


 本来の自分はどうしようもない人間の側であることを、世間から爪弾きにされないように隠し、偽ってきた。小さい頃から「自分を愛すること」よりも「世間に愛されること」を優先してきたから、人並み以上に努力してようやく人並みに評価を受けられるようにしてきた。

しかし結果的には中の中。

 でもいざそうやって愛されたかった「世間」や人と関わると、その人たちの頭にあるのはサリエンシーの高い人のことばかりだった。

 中の中は当たり前だが記憶に残りにくい、影響を与えられない。
それはそうだ。普段70点の人が100点を取った場合と普段20点の人が50点取って補講を免れた場合はともに一定の評価は受けられるが、普段30点の人が60点取っても褒められない。

 僕は自分の教科書を押し付けるアドバイスをするのが苦手だ。偉大な哲学者に責任転嫁するわけではないが、スピノザの「組み合わせの善悪」を知ったことで自分の思想や正しさにどこかメタで、いつでもクラッチ着れるように常にペダルに足を置くようになった。でもその「押し付ける力」を持っている人が評価を受ける。(高い低いは別にしても、だ。)

 僕は人と比べて共感力が高いから人の話を聞いてその人を認めること、その人が自分を認める手助けをするのは得意だ。でもこれは今日の飯が食えなくて困っている人に500円玉渡しているのと一緒で、その日はいいが明日も明後日も腹は減る。

 その根本的な解決にはなっていない。

 結局、オーバースペック且つ身の程知らずながら「他人への影響力」を欲しているのだ。そして根幹にあるのはベタに自己顕示欲だろう。

元来クズでどうしようもない人間が最大値まで様々な能力を引き上げて標準まで持って行った自負があるからそれなりにプライドも自己肯定感もある。
だから踏み外すことは自分が許さない。
しかしもうMAXだからこれ以上もない。

 サリエンシーが高い人が羨ましいと言うと概ね否定的な返答が返ってくるし、結局のところできることとしたいことは必ずしも一致しない。
人と比べないようにするという技能を元々できなかったのに後付けで習得した人のなかで、イベントやきっかけがなかった人っているのかな?いたらその方法を教えて頂きたいです。

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