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常套句な人にならないで

先日、こんなことがありました。いつも行くパン屋さんで食パンを1.5斤買い、Suicaで支払い。帰宅後、レシートを見たら、1,449円。アイスコーヒー2点、菓子パンなどが印字されているのです。現金であれば1,000円札を出す時に「あれ?」と気づいたかもしれません。でも、Suicaだと金額を確認せずにピッとやってしまうことも多いです。履歴を見ると確かに1,449円引かれているので、店に電話をしました。

私「30分前に食パンを1.5斤買ったんですけど1,449円引かれていて。レシート見たらアイスコーヒーとか買ってないものも入っているんですが」

店「申し訳ございません。買われたのは食パン1.5斤ですか。でしたら545円になりますので(手元で計算しながら)えーっと、904円の返金ですね。904円を返金いたします。申し訳ございません」

私「あ、あの、確認しなくていいんですか。本当に私が食パンしか買っていないのか、アイスコーヒーを買っていない証拠はないですよね」

店「はい、証拠はありません。申し訳ございません」

私「それなら確認してからでいいですよ。レジにいた女性に聞いていただくか、レジの控えを調べていただくか。たぶん前のお客さんのデータがレジに残っていたんですよね。閉店後レジを閉めてからならば収支がわかりますか」

店「誰がレジにいたかわかりませんし、レジを調べることもできません。申し訳ございません」

私「でもそれだと私が嘘を言ってるかもしれないということになりませんか」

店「はい、そうですね。そうなりますね。申し訳ございません」

私「いやいや、嘘かもしれないと言われながら返金されても困ります。そちらのミスを確認してください」

店「お客様が不快な思いをされたのでしたら、お詫びいたします。904円ではなく、1,449円を返金すればよろしいですか」

私「いやいやいや、お金の問題じゃないのですよ。確かに不快な思いはしてますよ。でも不快な思いにお詫びいただきたいのではなく、金額をミスしたかどうか、ミスしたことがわかれば、その事実にお詫びいただきたいです。お金を多く返せばいいということじゃないですよ」

結局、折り返し電話をもらい、翌日、返金(1,449円ではなく904円)を受け取りに店に出向いたのですが、まさに不快な気持ちが残りました。最初に「返金します」と言われた時に「はい、そうですか」と済ませておけばよかった。老婆心から一言多く「確認しなくて大丈夫?」と言い出してしまったことで、すっかり自分がクレーマーになってしまった気分です。

電話口の若い男性も決して悪気はなく、真面目な人だと思います。電話を受け、すぐに「申し訳ございません。返金額は〜」と、冷静に対応して、むしろ優秀なのかもしれません。ただ、「申し訳ございません」「申し訳ございません」と連発するたびに、私の怒りはますます増幅してしまいました。クレームの電話→即謝罪→とにかく謝罪という感じで、こちらの意図を聞いていないように思えるからです。

「申し訳ございません」って、言葉は丁寧ですが、使い方によっては、慇懃無礼にも聞こえますよね。「申し訳ございません」を10回繰り返すより、「あー、やっちゃったー、ごめんなさいー」と(言葉は丁寧でなくても)心の底から謝るほうが、相手に通じることもあります。「えっ、そんなことがありましたか」と、まずはこちらの話を受け止めてくれたら、それだけで私が怒ることはなかったと思うのです。

書籍『なぜか惹かれる言葉のつくりかた』で、なぜか惹かれる言葉をつくろうと思ったら「常套句は絶対いけません」と書いています。常套句というのは、決まり文句のことです。

政治家が「お答えは差し控えさせていただきます」「仮定のお話にはお答えできません」「国民の健康を最優先に」「総合的、俯瞰的に判断します」「誤解を与えたのであれば謝罪します」などと常套句を繰り返すのは、“意味のあることを言って失言になってしまうのを避けるため”です。常套句には、意味のないものとして、聞き流させる効果があるのです。

最近では、「安全安心」という言葉さえも常套句になり、意味を感じなくなってきましたよね。

「申し訳ございません」も常套句です。常套句だからこそ、そのまま使っては聞き流されてしまう。心がこもっていないように感じてしまう。「お客様が不快な思いをされたのでしたら、お詫びいたします」も常套句です。責任の所在をスライドさせる嫌な言葉だと思いませんか。たぶん、接客マニュアルに、このような常套句が並ぶのでしょう。でも、常套句を覚え、すらすら使う前に大切なことがあります。それは、人と人として、相手の話を聞き、そこに真摯に応えることです。

「申し訳ございません」はお詫びの挨拶(あいさつ)ですが、ところで、「挨拶」という言葉が禅語から来ていると知っていますか。「挨」も「拶」も、“押し合う”という意味で、禅僧同士が押し問答をするなかで相手の心を推しはかり、相手の悟りの程度を知ろうとすることだそうです。

だから、挨拶をする時は、相手の心へ、自分の心をこめて発します。コツは、相手の目を見て、言葉を語尾まではっきり言う。それからゆっくり頭を下げること。ぺこっと頭を下げながら、むにゃむにゃと挨拶をすると、せっかくの挨拶が相手に届きません。

書き言葉でも、話し言葉でも、常套句というものは、とかく注意が必要なのです。

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