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いじめられてると認めたくない気持ち

自分は、いじめられたこともないし、いじめたこともない。

いつも傍観している立場だった。

しかし、いじめられている人の気持ちもいじめている人の気持ちもなんとなくわかる気がする。

ということで、少し語ってみることにした。

いじめてられてるって認めたくない

この気持ちが飾らずにわかりやすく書いてある著書がある。

それは重松清さんの「せんせい。」という本だ。

以前にも少し「にんじん」という章を取り上げたことがある。

今回はその中でも、「ドロップスは神様の涙」という章にいじめられた子の気持ちが赤裸々に綴られている。

いじめに遭うのは、だめな子だと思っていた。
弱くて、とろくて、負けてる子がいじめに遭う
だから私じゃない

鬼ごっこの鬼につかまった。
ずっと必死に逃げてきたのに、追いつかれた。

主人公のわたしは小学五年生で、いわば優等生だ。

成績も良いし、学級委員にもなって、クラスでも目立つ存在だった。

それが他の人たちに気に食わなかったのかもしれない。

それで、いじめが起きたのだ

先生に褒められた絵に落書きをされたり、バイキン呼ばわりされたり・・・

五年一組の子は五年一組の教室で授業を受けなければいけないなんて誰が決めたのだろう。

その主人公が逃げた場所とは「保健室」だったのである

保健室の先生はとても怖い「ヒデおば」という人物だ。

ヒデおばの対応がすごく参考になるので、紹介する。

ヒデおばは何も助けてくれない。何も言ってくれないし、何もしてくれない。
ただ、わたしを保健室にいさせてくれるだけだった。

そういう対応は他の人からしたらよくない対応だと思われるかもしれない。

でもいじめを認めたくない気持ちを尊重するなら、保健室にいさせてくれるヒデおばの対応は間違ってないだろう。

自分で教室に戻りたいのであれば戻る、いたくないのであれば保健室にいる

一見冷たいと思われる対応も、居場所だけを提供する対応もありなのではないか?

そのあと、担任の先生はクラスと話し合って、いじめていたことを反省しお詫びの手紙を書こうと決めて書いたプリントの束を渡した

なんでそんなこと言うんですか?

いじめられたんじゃなくて意地悪された。
教室にいられなくなったわけではない、いたくないから保健室に行った。
避難したわけではない、好きだからずっといる。

この手紙問題はたくさんの議論や記事が溢れている

「嬉しいという気持ちは全くなかったです。
クラスメイトの1人としてではなく、『不登校の子』として見られているな、と感じました。
不登校の生徒は、周りにいなかったので」

「プラスになる根拠」なければ待ってほしい

「手紙送ったのに」否定的な見方強める可能性も

手紙は人に気持ちを送るためのツールでもあり

しかも、メールとは違って思いが人の筆跡に残るので素晴らしい方法だということは言うまでもない。

しかしながら、それが裏目にでることもある。

いじめの問題はとてもデリケートでもあるため、やはり変に学校を思い出してしまうような行為はやめておくことも必要なのではないか?

ヒデおばのように居場所にいさせてくれるだけの存在も必要だろう

最近は、LINEなどの陰湿ないじめも多発している。

そのため、結構ややこしい人間関係になり得るし、関係を切りたくても切れないことも多い。

だからこそ文通もいいのかもしれないことを以前つぶやいた。

ライター @kobayashinitya

現在、高校2年
大阪大学SEEDS3期生
ココトモ相談員
きっとみつかるカフェライター
「学校に行かないパターン」で活動中

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