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収まるところに収まったような感覚

若い方はどのような感覚で日々を生きているのだろうか。
人の生きる感覚は、周りの人々や環境に影響されるところも大きい。
幼少期より東京で暮らしていた人と、地方の田舎で暮らしていた人では大きく違うだろう。

島国で排他的で、愛国心の強い日本人の感覚からすれば、生まれた地が多少不便な田舎町であっても、文化を愛し、生活を愛し、環境を愛し。その地で職に就き、結婚をし、子を産み育て、地に足つけて生きていく人生が見えてくるのかもしれない。僕は最近になってそれがとても美しいことのように感じる。なんというか、美しい命の循環を感じる。

それは僕が、そういった人生を送ってこなかったからこその感情なのかもしれない。

おそらく、日本という島国での生き方として。の話でもあると思う。海の外を見渡せば遊牧民など、一つの地に留まらない生き方をしている人間もおり、そこにもまたその民族ならではの美しさを見出す。

20代前半までくらいの人達で帰るべき家や、実家と呼べる場所があまり分からない。という人はどのくらいいるのだろうか。

もっと年齢を重ねた人達なら、両親が亡くなる人の割合も増え、帰るべき家というのは親に依存する…より、自分で作っていくもの。という感覚が当然のようにある人の割合が増えていくような気がする。

20代はまだまだ社会に出たて。帰るべき家という概念も親に依存しがちなように思う。

もちろん、親と呼べる人がそもそもいない人もいるだろう。他にも、家が燃えたり、親が、転勤族だったり転職や引っ越しを繰り返していたり…気まぐれに引っ越す人だったり。

さまざまな形で帰るべき家という感覚が人と一致せず、あやふやになる人がいるだろう。

親の住む、いわゆる実家が一軒家だったり、ずっと思い出の勉強机が残っていたり、近くにおじいちゃんの家なんかがあったり、近くに母校があったりするのは、当たり前ではない。

僕は学生時代、大人になってからも地元で生きていくことが、なんだが悲しいことのように思えていた時があった。

当時、地元で生きるということをしなかったのではなく、出来なかったのだと思う。持って生まれた性に起因するところもあるだろう。当時の僕は外に飛び出さずにはいられなかった。

その上で自分や今の社会、さまざまな角度から現実を覗き、今の自分なりの美しい生き方を模索している。

何年か振りに、帰る寮のない高専や、帰る家がない小中学校に帰ってみた。友達や親戚にも会って、驚いた。
僕も含めて、人や場所はあの時から何も変わっていない。ただ友達には今も帰る家があり、僕には少なくともここには、それがない。当時の生活から、家の部分がすっぽり抜け落ちたような感覚だった。

思い出の人も道も坂も学校も、全て当時のまま。ただ、今はこの地に帰るべき家はない。それだけだった。1日のスケジュールで見ると、家で過ごす時間だけがぽっかり空いた。

学校生活を送っていた懐かしい場所には、当時、当たり前のように家があって、そこで家族と共に暮らしていたんだな。それが一まとまりで僕の中に美しい思い出として残っているんだな。そんな当たり前のことを今更ながら思った。子供の頃の思い出の地と、家は、やはり切っても切れない。
葬送のフリーレンみたいな気持ちに、少しなった。帰るべき家がない久々の地元は、各場所に人とのいろんな思い出が残っていて、とても懐かしく、嬉しく、少し寂しい。

卒業以来12年振りに訪れた、母校の小学校の正門の前で写真を撮った。東京の両親がみると喜ぶだろう。確か、入学式の日にもここで撮った気がする。

両親は親戚付き合いが薄く、親戚は、10年振りかの僕の訪れを歓迎してくれた。今年の4月に東京に行った親に代わって、僕等が親戚付き合いをしたり、促していきたいなと思った。

親戚付き合いと聞くと、負のイメージを先行して持たれがちだが、たまの正月くらい顔を合わせる機会を…少なくとも設けようとしましょう!というだけだ。僕が、親戚と過ごした正月などがかつて何度あったのか…。一度は…あった…と思いたい。きっとあったのだろう!知らない!

今の僕の平日は、会社と家の往復だ。仕事で外に出る機会もままある。
ちょうど良く、収まるところに収まってきたように思う。

4年前なら窮屈に感じ、もっと自由に生きたいと思ったような気もする。

だが、僕はその期間は終わった。自由に、社会に嵌っていない状態というのも大変だと感じた。

僕たちは居住地の自由や、職業選択の自由などが基本的に保障されているから、社会にどうこうさせられている…というより、自ら選択している。と見做される。

様々に存在する未来への可能性から、自ら能動的に明日を常に選択している。少なくともそう見做される…又は見做すことができる。

無意識にいろんなものを天秤にかけ、2択から選び続けている。普段はそのようなことは考えずとも、大きな選択を迫られた時、顕著に出るだろう。

僕は自らの意思で島根から東京に出て、自らの意思で生まれの地大阪や、土木に帰ってきた。
ここまで帰ってきた。長かったようにも思う。とうに帰るべき家がなくとも。ここもまた、帰ると呼ぶに相応しい意味を、僕は持たせることができるだろう。

少し前まで東京でタクシー運転手をしていた。
タクシー運転手をしていると、ここが今どこか分からない…と感じる機会が数度あった。

分からないはずはない。道や土地には人一倍詳しいはずだ。分からない、というよりは、自分にとってあまり重要な意味を持たない…に近い。

仕事をする上でどこを走るかは、お客さんの、乗せやすさやどこで降車するか…など、ここが今どこかは重要な意味を持つ。

しかし、自分の人生という物語の中でさほど重要ではない。と感じた。

自分の人生の中の、タクシー運転手という一職業の中の、お客さんの降車位置。そのくらい詳細に追わないと定義づけできなかった。

その上で、様々な場所に行くのもタクシー運転手という仕事だった。重要な意味を持たないにしても、いろんな景色や人の生活や生のあり方、いろんな道を走り、時に不思議な距離感での会話を弾ませるのは楽しかった。

タクシー運転手は業務中どこへ行こうと、仕事が終わる時は必ず、車庫にいる。1日あってどこへも行っていない。東京から熱海や筑波に行こうと、必ず車庫に帰っている。でも、どこへでも行けそうな感覚が生ずるほど、自由そうな仕事だ。

休みの日もバイクや電車などで様々な場所に行った。観光地に観光に行ったり、辺境をツーリングした。郷愁を感じさせるような街並みは、冒険心や好奇心を満たしてくれたが、どれだけ地元の街に似通った郷愁がそこにあったとしても、ここは自分の育った街ではない…という感覚も同時に存在していた。

人はいずれ、帰る場所に帰るような気がする。
少なくとも、僕たちは分かっているように思う。
いずれ向き合わなければいけない事や、整理しないといけない事柄をそのままに出来ないと。
いずれ自分の人生における全ての伏線は回収され、全てのものは正しい位置に置かれるのだと。そしてそれらは、自らの手で行われるものなのだと。

自分のその時の感覚や、新しい自分なりの知見、自分なりの人生の物語を整理し記録する。という意味もあり始めたnoteだったが、その意味で使う機会は今後大分減る気がする。転職面接の時は大いに役に立ってくれた。とっ散らかった履歴書を一本の線につなげて全てを説明してくれる、整理された物語。

大きく見ると間違っていないが、詳細を見ると自分の実像や、実際の生活とは乖離しているnoteならではの自分像。

その更新に、自分の中でまとまりを持たせるために、ピリオドを打とうかなと思います。

別にまとめておきたいことなどがあったら、またそれについて更新していきたい…ということは、自分に対して表明していきます!

結局、全部自分のためですかね…!

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