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優美な沈黙

沈黙している人はなぜ沈黙しているのか。
生きているのか、死んでいるのか、眠っているのか。

物事を考えているから黙る。話す。頭の中で言葉を紡ぐ。実際に言葉で話す。

高速道路と下道を使って2時間。季節は秋。普段の都会の喧騒から離れた、赤と黄色の間を蛇行する道を車で走っている。

現場に向かう車内には心地よい沈黙が流れていた。

僕は普段から車内であまり話さない方で、その理由は疲れていたり気を使っていたり、言葉が浮かばなかったりと様々だ。

この日も取り立てて多く話すことはなかった。
普段居心地の悪さを感じることもある沈黙が、この日は非常に優美なものであった。

カラフルな山道が繋がった先は本当の田舎で、僕の心は今は懐かしい故郷と初めての道を同時に旅していた。

思い出の場所と重なる山々に囲まれた土地。澄んだ空気、穏やかな時間。かつてあったような時間。もっと長く続いたかもしれない時間。
ここでの暮らしを想像する。容易く、愛おしい時間が想像できる。ここでのびのび生きてゆきたいなと思う。

自分の内側に流れる穏やかな時間が車内にまで漏れ出し、車内をも穏やかにしているかのような錯覚を覚えた。皆それぞれの穏やかさを心中に宿していたのかもしれない。

僕は自分の心境の切れ端も声に出すことはなかった。どころか頭の中でも整理しなかった。
言葉にすると連なりや整合性を求められる。文章の前半と後半が矛盾していると間違っていると感じる。

仕事や生活において的確に他者とコミュニケーションを取る上で、そのような言葉の性質は非常に役に立つが、人の心中を表現するにおいて論理的な言葉の性質はむしろ不必要に感じる。

気持ちに論理性はなく独立しており、集まり、押し寄せてくる。
言葉にした途端自分の心中に宿った想像が、言葉の性質や他者によって否定される気がした。

時間が経った今も正確な言語化を試みているけれど、到底上手くいかず言葉を介しては、あの心境に永遠に会えないことを確信している。

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