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忘備録 土木でお金をもらうということ

橋梁点検の仕事に就いて、早くも3週間が経とうとしている。最近は現場、法面点検をしに、山道を歩く毎日。土木の仕事でお金をもらうって意味わからないな…と思う。(土木、お金って並べたら曜日みたい)

日本の土木構造物(橋、道路、トンネル、ダムなど)は大まかに作り終わっており、今後は維持管理が重要になっている。

鉄道でいうと、横浜〜新橋間がつながったのが19世紀の終わり。橋などは高度経済成長期に作られたものが多く、多くが作られてから50〜70年くらい経過しつつある。

コンクリート構造物は初め、作ったら半永久的に使える物だと思われていたが、さまざまな理由で崩落、破壊されることがわかってきた。より長く使えるよう、修理費が安く済むように必要なのが土木構造物の定期点検…。と言われている。

コンクリートが劣化する理由は、漏水、塩害、荷重、など様々。
コンクリート構造物の点検は、橋梁点検士、コンクリート診断士、1.2級土木施工管理技士など資格や専門的な知識を持っている人が必要だったりする。

するんだけど…ここ最近の僕といえば、山道をうろうろしかしていない。正確にいうと、山道の奥にあるコンクリート構造物や土の法面を見にいってるんだけど、その道のりが長くて、ハイキングみたいになっている。これでお金を貰っているという感覚が不思議だ。高速で1時間程度現場まで行き、図面を見ながら山道をうろうろし、また高速を飛ばして帰っている。

法面は、高いところで8メートルくらいあり、幅60センチの道の、木をかき分けて歩き、すぐ下には車が走ってる。切り立った崖のようなイメージ。1パーティー4.5人で動いており、危険な仕事でもあると思う。僕が登山好きで良かった。お金は、1日の点検で10数万は動いているんだろう。

土木の作業員といえば、筋骨隆々で土方!!ってイメージだが、意外にも専門的な知識が必要とされる仕事だと思う。土木にも色々ある。女性の点検員もいる…ようだが、やはり辞めがちで男性向きな仕事ではあると感じる。女性でこの仕事をやる人に対してすごいと感じる。

道や橋にも色々ある。阪神高速やJRの鉄橋など民間の道、橋もあれば、国道、県道など国からの仕事もある。

高速道路の法面を点検していて思う。土木というもののスケールの大きさ。1日ある程度の知識を持った人が4.5人集まって、たった少ししか点検できない。
この道が、大阪、名古屋、東京…日本中に繋がっている。気が遠くなる。よく造ったものだ。

知識や技術力に対してお金を払うってどういうことなんだろう。意味がわからないなと思う。

土木構造物が崩落するのが心配だという人もいるが、作って放置でいいじゃんという人もいると思う。それでも良いと思うが…それなりに土木構造物というものは崩壊している。

先の東北大震災をはじめ、阪神淡路大震災、トンネルの天井崩落事故、法面からの落石や崩壊に車が巻き込まれた例。熱海の盛り土の地滑り。道路に大きな穴が空いた…なんてこともありましたね。日本はただでさえ山川が多く険しい上に、地震や津波、洪水など、災害の多い国でもある。大きな土木構造物の崩落は人命に直結する。
個々人の感覚はわからないが、国として構造物
を健全に綺麗に保とうとしている…。民主制によって選ばれた政府の方針なので、国民が同意していると見なすことも出来る。日本の道は、諸先進国と比べても綺麗だと言われる。道路なんて整備しなくて良いじゃんという人も、消えかかった止まれの表示に気づかず、警察に一時停止違反を取られたりしたら、道路もっと整備しろよ!怒と思ったりするのだろう。

民間で鉄道や高速道路を作るって凄いことだと思う。お客さんに利用してもらい、その収益から従業員の給料や、道の維持管理費も出しているのだろう。

公務員の仕事に支払われる賃金って意味が分からないなと思う。市役所、県庁、霞ヶ関の官僚、国会議員、警察、消防、自衛隊…。何をもって、その金額なのだろうか。国からの依頼を受けて仕事をする土木技術者も、公務員のようなところがある。

公務員は国という機関が、国の風土や秩序、生活の整理や維持のために、民間の会社や従業者から税金を徴収し、人を雇い、それぞれの職につき相応の賃金が支払われる…とされる人々だと思う。

公務員の方に、物理的な生産性はあまりない。少なくとも、農産物や水産物、工業製品など人間が生きていく上で欠かせないものの生産に直接携わっている公務員の方というのは、少ないように思える。

他の生活に必要な物を生産している方々が、生活するのに必要な国や街の機能を、維持しているのが公務員なのだろう。

僕が警察官になって、25万円の給料を貰ったとする。この25万円の意味が、僕自身わからない…だろうなと思う。警察が犯人を捕まえたとして。捕まえた犯人を、奴隷として50万円で買う人がいたとする。50万円の中から、25万円の給料が本人に入るとする。これなら分かりやすいと思うが、そうは絶対にならない。

公務員の給料は地域や年齢、同業他社などを慮って決めているらしい。もっというと法治国家の名の下、民主制の選挙によって選ばれた政治家たちにより、行われる国会や、作られる内閣。彼らによって定められる法律、法案によって規定されるのだろう。

僕が警察官としてもらう25万円の俸給は、国民の同意を得られた上で貰っている…とみなすこともできる。

土木という仕事は安泰なのだろうか。少なくとも車や、日本の人口、道を歩く人がいる限り、日本に災害が起こり、政府が対応し安全に交通できる環境を整えようとする限り、なくならない仕事ではあると思う。土木は政府の意向によるところが大きい。政権交代と煽られた民主党政権時代、土木や建築などにお金を使わず、多くの土木会社が廃業したらしい。それについてどうこう思わないが、自民党政権であった方が得だと感じている人々が、土木従業者の中には多いのではないかと思う。少なくとも、民主党政権よりは。

お金の性質は2つあると思っている。為替と物々交換だ。為替は至って資本主義的なお金の性質であり、物々交換は資本主義でなくとも成立お金の性質のように思う。理系の人間、技術でご飯を食べている人からすると広告収入で生活しているインフルエンサーや、働かざる者食うべからずという言葉のいう、働かざる投資家に対して面白くないという感情を抱きがちなように思うが、向こうもこちらに対し同じような感情を抱いているように思う。生産的な仕事の何が偉いか。と。仕事に貴賎などなく、投資も含めての資本主義なのだ。現実なのだ。しっかり同じ国家の一員として税金も納めているではないか。と。
僕はどちらが正しいというのではなく、お金は両方の性質を併せ持っているのだと考えている。
資本主義的な仕事(高所得層向けの高額サービスなど)もまた、現実を構成する一つの要素として、把握している。

仕事に重要度があるのだろうか。より、必要とされる仕事。それは、人間が原初の状態から存在していた社会的な役割で、より昔から存在していればいるほど、その仕事は重要だとみなされるのか、どうか。僕は基本的に仕事に貴賎はないと思っている。コンビニ店員も、タクシー運転手も、土木も。仕事はお金を稼ぐ為にするものであり、どの職業も今存在する時点で、資本主義社会、現実を構成する統一の基準によってはかられた要素の一つだ。が、田舎に行けば行くほど、存在する職業としない職業がはっきりしてくる。人が住むにはやはり、服や食べ物、今の時代ならば電気、ガス、水道、車、インターネット通信、医療などが必要で。土木の仕事も田舎に行けば行くほど顕著に浮き上がってくる。港も、川があれば橋、車を通すなら道、山があるなら擁壁や法面。トンネル。どれも土木…家が必要なら建築。そういう見方もある気もする。散髪などはどう見ることができるのだろう。

インターネットは昔からあるものではないが、今を生きる上で必要とされるインフラの一つと見做せると思う。

技術に対してお金が支払われるって意味が分からないなと思う。希少性なのだろうか。技術に対してではなく、資格に対してお金が払われている一面もあるように思うが…本質的には同じか…違うが許容範囲なのか。
情報に対してお金が支払われる感覚と、知識や技術力に対してお金が支払われる感覚を同一に捉えて良いのだろうか。

例えば、為替取引をやっている人が、ある情報筋から次に上がる為替の情報をお金で買ったとする。その人が支払った額より、為替取引によって儲かった額が大きかった時の、情報と支払われた対価としてのお金。

例えば、途上国のインフラ整備のために、日本の土木技術者が高給で雇われたとする。この時の知識や技術力と支払われた対価としてのお金。

この2つの違いは一体何だろうか。何をもって区別できるのだろうか。

他にも政治的な機密情報なども同じ資本主義の名の下、一つのお金という制度で比較できるものなのだろうか。できるとしたら、それを可能にしているものとは何だろうか。どのように情報に値段を付けているのか。

高専では電気科、機械科、情報科、土木科などがあった。工学は現代の生活の基礎を支えるものであり、情報もなくてはならないものとされている。一般家庭の生活に必要なものとして、電気、ガス、上下水道…インターネットサービスも含まれる。

情報技術を用いて、ウマ娘のアプリを開発したとする。土木技術を用いて作られた道路と同じように高等な技術を用いて造られた産物であるが、社会からの受け取られ方、資本主義社会の中での受け取られ方として前後者で異なるように思う。

ウマ娘のアプリは土木・建築でいうところの遊園地みたいなもので、同じ技術を用いた産物であっても、社会への組み込まれ方で、成果に対する報酬も変わってくるのだなと思う。そこには技術力以外にもアイデアが必要になるのだろう。

東京でタクシー運転手をしていた時、多い月で手取り40万を超えていた。タクシー運転手の給料はおおよそ売上の50%。1月で80万円儲けると40万の給料になる。
東京のタクシーの初乗りは420円。東京の鉄道で420円で行ける距離と、タクシー初乗りで行ける距離では雲泥の差だ。駅まで行かずとも、乗車、降車でき、東京の混む他の公共交通機関と違い、自分のスペースを確保できる…などのサービスに魅力を感じて、東京のタクシーを利用しているのだろう。

この初乗り420円をはじめとする料金体系は関東陸運輸局、さらには国土交通省が規定しているのだろう。これもまた、国民の同意を得ている…と見做せる。

タクシーは公共交通機関であり、全国の自治体どこにでもある…とされている。しかし、特殊な給料体系からか、給料に差がある。特に大阪や横浜などの都市、もっというと東京23区は頭ひとつ抜けている。殆ど同じ業務内容なのに、給料に大きな差が生じている。これは東京という街が持っている資本主義的な性質なのだと思う。

東京のタクシーの料金体系は、国によって国民の同意のもと規定され、東京のタクシー運転手の給料は東京という街の持つ資本主義的な性質によって規定されている…こう捉えることができると思う。

絵を描く技術も、資本主義的な評価が難しいように思う。描画力をイラストレーターから見たい。例えばイラストレーターが2日で5万円の絵を描く。それは、単純にかかった時間+オリジナリティ又は希少性、自らの絵の持つ資本的性質…なのか。

イラストと絵画ではまた違うのかもしれないが、西洋絵画のもつ価値は、いかに西洋美術の正統な流れに則っているかによって決まり、希少性と美術品的価値、その絵画を所有しているという名誉をお金で買っており、フランス、イギリスなど国家が全力で美術品の価値を保証しているので、高額な取引を安心して行えている側面を持つ。

例えば、Aという作品に影響を受けた画家がBという作品を描き、高い評価が得られ人に売ったとする。その時、Aという作品の持ち主は、Bという作品の持ち主に対して、マウントを取れるのである。ああ、僕の持ってる作品に影響を受けた作品ね、と。

お金自体も美術品と似たような性質を持つ場合もある。千円札を持っていると、相応の食料買えたり、サービスを受けれたりする。これはお金自体に価値があるのではなく、なにやら日本の偉大な医者が描かれた得体の知れない紙に、相応の価値がある。と相互に認識しているからこそ、成り立っている取引であり、交換である。国家や金融機関が価値を保障しているからこそ成立している取引である。絵画などの美術品にも含まれるこの性質は、全く別の情報や技術などにも適応されているのかもしれない。

ものの値段は、なにやら、そう相互が認識している…程度のことなのかもしれない。これには、医療の値段、もっというと命の値段も含まれてしまうのかもしれない。ある地域で、国で。
そういった無意識に値段をつけられている相互認識が、現実には発生してしまっているのかもしれない。

新しいサービスに対する値段は誰が決めているのだろうか。例えばYoutubeで広告が流れるとする。メンズクリア。資本主義経済を回せと煽られているかのような、購買意欲を彷彿とさせる動画。

購買層を富裕層に絞った方が資本主義的に儲けは大きいのか。人間では誰もが必要なサービスほど、儲けは小さくなるのか。そこに資本主義経済の本質を見出せるのか。

最近のお金の話と称してそれ自体が、お金儲けのコンテンツと成り下がっているインフルエンサーの商売などは、どのように捉えられるのだろうか。本質的に何を生産して、資本主義経済をどのように変化させているのだろうか。もし長いこの先、資本主義経済が終わりを迎えた時、物々交換的な、技術的な、知識的な職業は強いのか、どうか。

経済の勉強をしなくてはと思う。
マルクス、エンゲルス、ルソー。
民主国家、法治国家、資本主義経済や資本主義社会とは何だろうか。海外との関係性なども。

僕の好きな自由主義、リベラリズムは資本主義経済にどのような影響を与えてきたのか。または与えている…と見做されるのか。どういう立場を取るのか。学ばなくてはと思う。

おそらく、土木の橋梁点検は、JRとか阪神高速とかNEXCO西日本とかが儲かってて、お金を持ってるからできる仕事でもある…ということ。
他にも民間でなく、国からの仕事もあり、これは税金によって賄われている。国民の総意あってのことでもある。こちらは自民党政権に支えられているところも大きいように思う。

また、自動車社会や他国からの燃料資源、日本の現在の国民数と、電車や高速道路、または一般の幹線道路を利用する人々によって支えられている仕事でもあると結論づけできる。

且つ燃料資源が尽き、日本を車が走らなくなった後でも、コンクリート構造物(家など)がある限り、必要とされる仕事でもあると思う。
また、この先石油燃料などが尽きたとしても、人の歩く道や自転車など用に道路は多少狭くとも、一定程度整備されるように思う。
国交が止まり、セメントなどが尽きない限り。

そういえば、僕が土木に帰ってきた理由は2つある。
国のため。税金かけて高度な教育を受けさせてくれた恩返し。あと結婚して幸せな家庭を築きたいからだ。

東京のタクシー運転手、主婦の多かったゴルフボールダイバーの事務所作業と比べ、土木はやはり、異性交友の機会が少ない。
大阪の中心まで電車通勤し、そこから車で多少田舎の現場などに向かうので、人々と一緒に生きている感覚はあるが、山道をひたすら歩いている日中は、世間から切り離された感覚がある。かつ、女性はおろか、若い男性と接する機会も少ない。やはり経験の深いご高齢の男性が多い。

もう一つ足りないものがあるとすれば、人文科学的な思想である。技術的な考え方や知識に常に触れ、使っていると自然と空気や自分にも保守の感覚が流れてくる。人文科学の目を使い人類史の最先端に自分を据えるような、さまざまな目で現実を見つめるような思想を常に持ちたいものだ。

異性交友の機会を減らしすぎると、世の中を覗く目も歪んでいくように思うので、積極的に持った方が良いように感じる。正しく現実や生物、人が生きるということを見れない気がする。適度なバランスが世の中には必要なはずである。

土木は技術職であり、安定した職業でもある。比較的結婚のできる職業に感じる。

このバランス感覚で、生きていく。

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