『君と夏が、鉄塔の上』を読んで

 賽助の『君と夏が、鉄塔の上』は、地味な主人公の伊達が、破天荒な帆月や不登校の比奈山と共に、鉄塔の天辺にいる"何か"の正体を知るためにひと夏を爽やかにかける青春作品だ。

 私はこの作品を通して、今まで何も感じてこなかった世界に目を向け、気付きや思いを持つ事ができるようになった。

 帆月が伊達に触れることで、鉄塔の天辺に何かがいることを認知した場面がある。これは、他人や物が私と接触することによってきっかけを生み出し、新しい世界が見えるようになるという事を示唆しているように感じた。

実際にこの作品内では、その接触から、伊達は公園の周りを意識し始め、小さな社を発見した。その他にも、木島のリバーサイド荒川の幽霊話が、伊達から帆月と比奈山に伝わり、そこでの幽霊探索が始まる場面。伊達が調神社を帆月と比奈山に認識させたからこそ、祭りの存在を思い出し、甘い展開や奇妙な展開が起きる場面。そして、比奈山の調神社での仮説。このように、新しい世界が見えるには必ずきっかけがあることがあらゆる場面で描写されている。

 そしてそのテーマとは対立的に、接触をしないということは、新しい世界へのきっかけが生まれないどころか、知っていた世界すらも忘れてしまうという考えを導くことができる。これがこの作品の主たるテーマである。

 この事はこの作品の中を通して常に描かれており、地理歴史部のテーマにも「忘れられた時、街は死ぬ」が使われている。他にも、93号鉄塔の建て替え、調神社の旧本殿、帆月の時折見せる破天荒な行動の理由。そして、謎の真相に迫る鉄塔の天辺での出来事など、重要な場面では必ず描写されているのだ。

 私はこれらの相反するテーマに感化され、新しい世界へ踏み込んだり、情勢の悪化によって減少した友達付き合いを増やすようになった。安直かもしれないが、今まで注視することのなかった近所の鉄塔の形を観察するようになった。それだけでなく、散歩中に見つかる名前のわからないモノや、橋の形、蝶の名前などを調べるようになり、今まで見てきた白黒の多い世界が色づいてきた。この本を読んだことがきっかけとなり、今まで見てこなかった新しい世界を少しずつ知ることができたのだ。また、関わりが少なくなってきた友達にネットを通してではあるが、交流を持ちかけ情報交換をすることで、その友達を忘れることもなく、新しいものへのきっかけを提供し合うことができた。さらに、この読書感想文を書いていくうちに、文字を書く楽しさや自分の世界を本に表す魅力に気付き、少しづつではあるが自分の小説を作るようになった。これは、この本を読まなければ始まることのなかった挑戦だ。

 私はこの本によって心が成長した。まるで周りに感化され、心身共に成長していく伊達のようだ。だが伊達は私とは違って、大きな願望である「帆月を助ける」ことを成し遂げた。私も伊達を見習い、自分の夢に向かって突き進もうと思う。

いつか誰かのきっかけになれる事を信じて。

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