見出し画像

2023年、行く年に向かっていく人の流れを見て。

サラサラと音を立てる川面。時折吹く風が心地良い。遠くに見える陸橋の向こうに、今まさに夕陽が沈もうとしている。自然の芸術家は、辺り一面をオレンジ色に変えていく。通い慣れた橋の上で行く年をいく人の流れを見つめていた。ときどきこうして考え事をしている時間が好きだ。こころの中で何かが静かに震えだす感覚が心地良い。
そんな僕は来年、転職する。そして住み慣れた我が家からも離れる。今年一番にあった大きな出来事だったのかもしれない。
イイことやワルいことが浮き沈みする人の一生のうち、チョットだけ勇気のいる決断をした。人間は死に向かって生きていく生き物である。子供のように、無邪気に奇跡を信じるのではなく大人のように、ただ現実を受け入れるのではなく、この世に死があることを知り、悲しみがあることを知り、絶望があることを知りそれでも、明日を夢見るのを諦めないことが大事なのである。大きな決断をしただけあって、少しだけ疲れてしまった。
まばゆい日常の中に少しだけの閉塞感を感じて過ごしてきた2023年は今日でサヨナラ。それまで抱いていた不安はまだ拭えないけど、なんかとなるだろう。不安というのは、まだ起きていないこととか、他人に対して抱くものだろう。それを思い描けるのは想像力があるのかもしれない。
激しい川の濁流に流され、息をつく暇もなかった2022年に比べると、2023年は、その川から上がり、水分たっぷり含んだ重い体で前を向いて突き進んでいた1年であった。己の足でたしかに1歩ずつ、1歩ずつ、歩を進めた。その分、2023年は少し長く感じた。
なぜ、人は前を向いて歩くのか。インターネット環境の発達により、家から出なくても生きられる時代になった。パソコンひとつで生計を立てている人がたくさんいて、SNSでの交流は今やリアルを圧倒し、日々の買い物さえネット注文すれば自宅まで届けてもらえる。巷には歩かなくてもよい方法があふれている。そして、考えずに済む方法、自分の言葉で話さずに済む方法もある。
しかし、歩くことをやめてしまえば、死に向かっていくことができなくなる。
そういった点では生きることは希望でもあり、絶望でもある。巨大すぎる漠然としたどうしようもない時間が横たわっている中で人は漠然と生きているのだ。雨が降り出す直前のどんよりした空が今にも落ちてきそうな感覚に似ている。
それでも大丈夫だと言い聞かせる。都心であるのを忘れるような静けさに包まれているこの街で、また1日、また1日、歩を進める。心地良いような疲労感を楽しむ心の余裕さえも許せるような、2024年にしていきたい。そう思うと初めて呼吸したような解放を感じた。

この記事が参加している募集

#振り返りnote

86,598件

よかったらサポートもしていただければ嬉しいです!いただいたサポートは読書に充てたいと思います!