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「ありふれた演劇について」16

演劇を本格的にやりだして、最初に影響を受けた演出家の一人は鈴木忠志だった。最初に観たのは新国立劇場での『シラノ・ド・ベルジュラック』だったと思う。「心意気だ!」という、かなり思い切ったラストの台詞と同時に降ってきた大量の紙吹雪に思わず笑いだしてしまった記憶がある。俳優の身体が強烈な摩擦と共に晒されると、それは観ている側には笑いという反応を引き起こすのだ。舞台のあらゆる要素は俳優に作用する抵抗としてあるべしというような考え方が、長らく自分の中にあったし、それはおそらく今でもいくらかは残っている。

私は舞台音響も自分でやるので、鈴木忠志の演劇論の中でも特に「音楽」の捉え方には影響を受けた。例えばこんなものだ。「バックに流行歌を流して、能の動き方をしてみるとか、ギリシャ悲劇の台詞を喋ってみるとか、いろんな可能性のなかから自分との関係において選ばれた表現であるというふうにさせなきゃいけない」「流行歌にかぎらず、存在するものはすべてその可能性を本来持っているのだと、僕は思うのです。(…)類型的な形式というものの持っている力というものがあるわけですね。現在の演劇は、そういうことを軀(からだ)という具体性で批判的に検証してみせることがなければつまらない」(『劇的言語』鈴木忠志・中村雄二郎 白水社、1977年)

鈴木忠志の一連の演劇論の中では、音楽であれ舞台美術であれ台詞であれ、あらゆるものを「類型的な形式」と捉え、そこに内在する力を俳優の身体でもって「批判的に検証」する。ここでは音楽はいわゆるBGMとして演技や物語の背景にあるのではなく、身体と同次元でぶつかるものとして考えられている。

私は鈴木忠志の演劇論に出会うまでは、演劇の言葉というのが何と白々しいのだろうとずっと思っていた。ただ俳優が言葉を言っただけでは、それはまやかしやごまかしにすぎない。口にされた言葉はその言葉本来のものではなく、すっかり変質してしまっており、後には言葉そのものにアクセスできなかった空虚さだけが残る……という感覚がずっとあった。鈴木忠志の演劇論は、もしかしたらこの方法であれば演劇においても言葉そのものにアクセスする方法が見つかるかもしれない、と期待できるようなものであった。さらに、そのためのプロセスの一環としてBGMとは違った形で音楽を捉えるということは、当時の自分の日常的な音楽の体験から理解できるように思えた。昔から古いロックやブルースをレコードで聴くのが好きだったのだけど、それはまさにレコードという「視える形で目の前にある」ものの中から、歪んだ、音割れしたような音が聴こえてくるのが、自分の身体に作用する抵抗のようであって、それでなければ音楽をうまく受容できないとすら思っていた。

ところで私は大学生のとき、日本のバンドでははっぴいえんどに随分傾倒していたのだが、当時メンバーのソロワークの中では細野晴臣よりも大滝詠一の方が好きだったのは、そちらの方がレコードが比較的安く出回っていたからたくさん買えたという事情もあったけれども、「類型的な形式をやることがそのまま批評にもなっている」という鈴木忠志の演劇とも通じるものがあったからだと思う。『A LONG VACATION』はシティポップの金字塔と言われているが、それはシティポップというジャンルの音楽性を確立したからではなく、その類型そのものがシティポップ的なものに対する非常に強力な批評を内在しているからではないだろうか。

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