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「ありふれた演劇について」11

先日、『ウォーターフォールを追いかけて』の関連イベントでSF作家の樋口恭介さんとシンポジウムを行った際、樋口さんから「演劇にはメインストリームを逸脱するような運動はあるのか?」といった質問を受け、答えに窮した。「オルタナティブへの試みはあるかもしれないが、演劇全体のマーケットがあまりに小さいために結局持続できずに終わる」と苦し紛れに回答した記憶がある。正確に言えば、新たなマーケットを開拓するためには極端な商業主義に走らざるを得ない。それはメインストリームから抜け出したとしても、また別のものに囚われてしまうように見える。60年代の小劇場運動は確かにひとつの成功例だったのかもしれないが、しかし私はそれを「失われた輝かしい過去」のようにしか知らない。SFというジャンルが純文学に対するひとつのオルタナティブとして独自の立場を形成し、その後発展していったようには(樋口さんは筒井康隆を引き合いに出していた)演劇のオルタナティブというものは成功していないだろう。可能性があるとすればアマチュアリズム、つまり食うことを前提としない創作活動においてかもしれない。一昔前までは「食えなければ本物ではない」と相手にされない風潮というのはあったが、最近はその風向きは徐々に変わっているように思う。食うことに固執しないからこそあらゆるものに囚われずに、自分のやりたい表現、新しい表現が可能になるのでは、という希望はあらゆる表現ジャンルの中で生まれているだろう。とはいえ、演劇は時間も体力も大いに消費するうえ、集団で協同して創作する表現形態なので、兼業で行うことに対する障壁がとても大きいという現実は依然としてある。

(『ウォーターフォールを追いかけて』オンライン上演は10/31まで)

樋口さんの質問になぜ私が答えに窮したかと言うと、結局オルナタティブが実現できていないという回答をせざるを得なかったことがどことなく口惜しかったというのもあるが、オルタナティブということがそもそもあまり問題提起されないという事実が意識されたからだ。そしてその裏には、たとえ演劇界ではメインストリームと呼ばれるようなものであっても、結局世間一般の中ではマイノリティであるというねじれの構造があると思う。ここで言うマイノリティとは、単に数の話ではなくて、志向してるものの話だ。実際、演劇界のトップランナーで自民党支持者はほとんどいないだろう。おそらく、多くの演劇人はそもそも世間一般なるものに対するオルタナティブを目指している(それはインタビューやシンポジウムの場、Twitterの発言などから読み取れる)。そしてその中の多数派がメインストリームを構成する。ここに生まれるものは間違いなく権威と言われるもののはずだが、このメインストリームが権威主義として批判されることはまれだ。いくつか本を読んでいると、こういった権威主義に対する批判という事例は過去には確かにあったのかもしれない。しかし現代においては、構造に対する批判はどこか虚しく響く。有効なものはとても少ない。もちろん、その中でも勇気をもって知的に行動し、クリティカルな批判をする人々は存在する。だがそれが一部のマイナーな運動に見えてしまうくらい、構造は硬直してしまっているのではないだろうか。

演劇界自体がどことなくマイノリティで、どことなく反権威的だからこそ、その中における権威主義に対する批判が弱体化してしまう。これは演劇の未来にとっては非常に大きな問題であると思う。自分はそれに対して、一体何ができるだろうか? 具体的な形ではまだ見えない。しかし演劇界を離れて、違う領域の様々な人と対話をすることは非常に重要だと思うし、これからも継続していきたい。

演劇におけるマイナー性として、河原乞食という概念がずっと幅を利かせてきた。現代においてもそうだろう。共同体に対してはぐれ者として存在し、時によりトリックスターとして振る舞う。それは決してまともな一市民として扱われることはないが、ある一面での真実を人々に見せる。それは結果として共同体によい影響を与える。市民と河原乞食は社会における陰と陽であり、その関係は持ちつ持たれつである…といったような。時代によってその闇の濃淡こそあれ、演劇人は概ねそういった関係性を自負してきた。確かにそれは、ひとつの理想的な関係性だ。それが成り立つ社会は豊かな社会と言えるだろう。しかし演劇人はその河原乞食性に、あまりにこだわりすぎてきたのではないか? 今の演劇界における構造の硬直性は、結局河原乞食としてのありかたを当然のものとして内面化しすぎてしまったが故の硬直性なのではないか? と思わないでもない。第一、自分は演劇人ではあるものの、「おれは河原乞食だ」と堂々と胸を張れるメンタリティを持っているかというと、随分怪しい。とはいえ、自分のしている活動というのはとてもマイナー的なものだと思っている。それでは自分の持っているこのマイナー性とは、河原乞食ではないのだとしたら、いったい何だろう?

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