社会情報学への招待

今年の8月あたりだったか。大学のとある先輩からこんな話を聞いた。

"東京大学の大学院の研究室来なよ、学部生でも入れるよ。"と。

大学で全てを完結させてそれ以降の進路など露ほども考えたことのない僕にとって驚きの話だったので、その時は正直、よくわからないところの話をされたものだと思ったが、結局、帰ってから気になって調べてみたらとても興味深いものだった。

http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/
東京大学大学院 情報学環・学際情報学府

というものの存在をみなさんご存知だろうか。
要するに、東京大学の大学院で、主にマスコミや情報系のことを研究している所である。そして、ここは東大生は勿論、他大学の学部生も研究生として入ることができる。

元来より勉強は好きな自分にとって先輩から貰ったこの情報は好機でしかなく、感謝である。 

また、学歴の都合上興味もさほどない学問に進んでしまった自分にとって、以前より学びたかった情報系のことを、さらにあの東京大学で出来るとしたらこんなに良いことはないはずだ。

そういうわけで志願したのである。

で、その入試の形態は変わったもので、小論文が課されるのみだ。そして、タイトルの伏線を回収するように、その小論文に必要な知識として知るべきものが社会情報学、ということだ。

定義は研究者によるが、
複数の人間の相互行為の連結によって作られ、維持されるような市場経済、法律、政治、そして、情報ネットワークなどを社会システムと定義し、そうした社会システムを元に、人間や社会を「情報システム」として定義し直すことで社会情報システムとして呼ばれる。つまり、人間が外部から持ってきた情報(記憶や知識)をより他へ、内部へと持っていき、何かの目標を達成するために必要な知識資源を獲得して発展に寄与する活動を社会情報システムと呼び、その構造である。インターネットと似ているように、情報がサーバ(人間)を通じて様々な方向へミームとして飛んでいき、活用される。
注意されたいのは、情報という言葉が近年インターネットを介すべき言葉という意味になりつつあるが、本来は単なる事情に対するお知らせだ。要するに、人間のみの交流でも当然、情報だ。

ただ、私が学府で研究したいのは社会情報の中でも比較的ネットワークよりのことなので、これは知識としてに留めておきたい。これからが本題で、私がやりたい分野の話について自分のメモとして書き留めておこうと思う。

ネットワークが進歩を遂げ、ついには国の垣根を越えて"どこでも"繋がりつつある。これは私にとって非常に興味深い。始めにこれを"ユビキタス・ネットワーク"と呼ぶことにする。

何が興味深いかというと、様々だが、特に言うならば

"コミュニケーションの形態が大きく変化しうること"に尽きると思う。

簡単な例で言えば、皆さんが普段使っているLINEやTwitterはいま目の前にいて対面コミュニケーションをしていない。が、相手と意思を疎通できている。そしてそれは基本的には世界中どこにいてもよほどの場所やことがない限り完成するシステムだ。

元来、コミュニケーションは対面を前提としていた。そう言うわけで、日本では往々にして古い体制の人間は「目を見て話しなさい。」「SNSの台頭で若者のコミュニケーション能力が低くなる。」と宣う。

別にこれを批判するつもりはないが、若者のコミュニケーション云々についてはそもそものコミュニケーションの概念がユビキタスを基準にして考えられるようになると定義し直さなければならない問題だ。この定義の捉え直しが出来ると、結局SNSを上手く使いこなしている人間はコミュニケーションが上手ということになる。勿論、今これを読んでいる方でさえそうは思わないと思うかもしれない。だから、まだ定義の捉え直しが出来ていないということである。私はこの定義が変わる瞬間を作ることをしたいと思っている。これが本当にやりたいことだったのかもしれない。

また、こういった面白いこともある。

どこでも繋がりうる、繋がる範囲が拡大しうるということは今日本を脅かす高齢者諸問題の解決の一端を担う可能性があるということだ。

理解しやすい例を出せば、辺境の地に住んでいる高齢者の方は各種サービスを受けることが困難になっている。例えばショッピングにしろ、情報(テレビやラジオによるニュース)にしろ、そもそも生活の様々な必需品が明らかに最低限度の生活と隔絶されているのが現実だ。これはデジタル・デバイドと呼ばれ、現に国内で問題にされているので耳にする方も多いはずだ。そして、これを解決し得るのがユビキタス・ネットワークである。

情報から隔絶された世界を繋げるのがユビキタス・ネットワークの役割の一つである。難しい操作を必要とせずにわかりやすい取捨選択された正しい情報を"どこから、どこにいても"受信、そして、"発信"できることが大切ということである。
ここでいう発信とは、ネットワークを介して高齢者側から介助をする人側に自らの状態を送ることで介助側の人がどこにいても状況を把握できる。そして、そのシステムは現に今開発されつつあるし、医療にそのまま生かされることとなっている。

話がずれてしまったが、要するにユビキタス・ネットワークの環境が今よりもさらに構築されることで、社会での様々な差が無くなりうるのではないかということを研究したいのだ。

厳密に言えば、ユビキタス・ネットワークと関連してIoTの研究も行いたい。しかし、それができるかどうかは結局入ってみないことにはわからないし、そもそも現段階では情報が圧倒的に少ない。

現在、大学の先生の伝で東京大学の先生にアポイントを取っていただいてお話を聞いていただいたり、大学の先輩から情報をいただいている。
日頃より情報を下さるお二人に心から感謝したい。そして、拙く、とても研究者としてやっていけるか不安な文章で綴った記事を許していただきたい。自分のメモと思い書いた駄文が、東京大学大学院 情報学環・学際情報学府を目指す他の人の"情報"となればそれ以上に良いことはない。




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