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近況

先週、自分にとって初めての留学が終わった。一年の予定が四ヶ月に、渡航留学が先生やクラスメイトと画面越しでの交流へと大きく変わった。

よくあるような、航空券をパスポートに挟んだ写真をインスタのストーリーに載せることはなかったが、それでもそれなりに楽しかった。完全に語学留学になってしまったが、久しぶりに言語学習の面白さを実感し、またコツコツやればやるほど表現できることが増えていくのが成長を感じやすくて部分的な自己肯定感が上がったようにも思う。オンライン上だけでしかクラスメイトと話せないが、それでも月日が経つにつれ無理やり笑顔を作らずに談笑できるようになった。友達と呼ぶには距離は縮まってないが、彼らの国に行った時には一応連絡してみるかもしれない。

なによりも、なんの挫折もない留学生活だった。実家にいるので食べるものに困らず、気がつけば洗濯されている。よくあるシャワー問題やルーミー問題、日本人コミュニティから抜け出し現地の学生と仲を深める努力など一切なかった。授業が終わればパソコンを閉じ、宿題をLINEで先生に送れば1日が終わる。暇な時間は散歩したり音楽を聞いたり悠々自適な生活を送った。日本食や日本のバラエティが恋しくなることなんてもちろんなかった。

言語や文化の壁にぶつかり、ありとあらゆる荒波に揉まれ、アイデンティティや思想を一新し、FBのプロフィール写真を現地の観光名所や大学の前で撮ったものに更新する。それが留学だと思っていたし、変わらないねと人から言われがちな自分が留学したことで数パーセントでも変われたら面白いなと思っていた。結局分かったことは留学に過度な期待をするわりには、自分で出来ることを前もって準備するほど前のめりではない、ありがちな人間の1人だったということだ。完全なる受け身だ。こんなんでは留学行っても変わらなかったと思う、なんてそこまで客観視はできないが変化をみずから起こしに行くほどの情熱を持ち合わせていないのは自明だ。

相変わらず生ぬるいとこにいるままだと思う。他者に全ての管理を任す温室が自分の居場所なのかもしれない。そしてまた自分に負い目を感じる出来事を増えただけだ。

自分が今いる環境では劣等生として数えられる。アイツよりはマシのアイツに自分がなり続けているのは正直辛い。誰かの安心感のために消費され続けるのは気持ちの良いものではない。しかし、すでに自分に期待を持つことをやめてしまったことで摘み取る芽もなくなってしまっている。何も生み出さないことで空白の罪を量産している。

一発逆転を留学にかけていたんだと思う。一発逆転までいかなくても、憐れみの視線をくれるやつらと同じラインには立てたのだという記録が欲しかったのだ。絶対評価を謳いながらもいつまでも相対評価が一般的な世の中だ。比較の中で強く生きる術を持つ人間がむしろ絶対評価を手にしてトップ層に鎮座する。

こんなにillな文章になってしまったのはフジロックの開催が怪しいからに違いない。自分の本来の留学先への出発予定日は2月5日前後だった。2020年もそして今も地元から一歩も出ずに暮らしてる。今思えば、越境を一切しないことで無事渡航留学が叶うための願掛けがわりにしていたのだろう。自分のも見知らぬ他人のも一世一代のチャンスを潰したくない。オンライン留学に切り替わってからだってそれは変わらなかった。ここまで我慢してきたからオリンピック後の音楽フェスに行ったってバチは当たらないんじゃないか、コロナだって落ち着いてくれるんじゃないかとチケットを買った。でも結局返金を待つことになりそうだ。渡航留学を諦め、オンライン留学を受け入れ、そして終わったご褒美に苗場に行くのだと希望を持っていた。不必要なまでに何もかも踏み躙られている。

経済的に困窮してる人もいるんだから贅沢を言うんじゃないだとか、学生を続けられているだけありがたいんだとか、そういう言葉も頭では分かるが気持ちはついてこない。恵まれていることへの恩恵を無意識で受け取り続けることは悪なのもわかる。自分なりの慎ましさでは全く足りていないのだろう。

誰かを犠牲にして叶えさせる夢を持つ時代ではない。ただし利権や階級が絡むと話は別らしい。いつまで自分は搾取される側でいるのだろうか。

来年には今いるはずだった場所に旅行やワーホリで行けているかもしれない。ただし身分は交換留学生ではない。挫折がないことで新たに挫折が増えた。この悔しさはバネになる前にバラバラに壊れ心の奥底に沈殿している。 

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