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【下ネタ注意】初デートで名古屋市美術館には行くな

チ○ポ注意!


チ○ポ注意!


チ○ポ注意! 





名古屋市美術館

愛知県は名古屋市中区。
それは繁華街に残された憩いの地「白川公園」に位置する。

白川公園といえば、そのエッセンスの99.9%は名古屋市科学館によって形取られている場所でもある。見上げれば大きなプラネタリウム。下に目をやるとロケット。そしてぐずる子どもの泣き声と笑う休日の父親。まさに「未来」という文字を3次元に書き写した情景そのものである。



一方美術館はいうと…。休日の昼間にも人が来ないような。

建物自体は科学館よりも現代的で美しい。コピーアンドペーストで作られたような無機質な四角いゲートと、高低差を活かしたガラス張りの建物のギャップは筆舌に尽くし難いものである。本当にかっこいい。さすがは昭和日本の建築の名匠、黒川紀章。

しかし、未来いっぱいの科学館と並べると、バブル経済のさなかデザインされたその近未来的な建物は、却って昭和日本の高慢さを、頑固親父のような古臭さを当たり一面に撒き散らしている。

そんな、名古屋の中の昭和に訪れた時の話。




師走の終わり、その喧騒の中で

舞台は美術館から始まらない。
師走もラストスパート、24時間テレビで言うとZARDの「負けないで」が聞こえてきそうなぐらいの時に、私は異性の知人と科学館に出かけた。あたりはどこもかしこもクリスマスの匂いが漂っている。名古屋って字面、どう考えてもクリスマス感ないだろ。

科学館もまた、カップルと家族連れで埋め尽くされていた。男が女の写真を撮る。周期表を作った人が誰かもわかってなさそうな男だ。しかし彼は、今誰を大切にすべきかだけは分かっており、それを遂行している。彼にとってメンデレーエフなど、意中の人に何も関係のないただの科学好きロシア人のおっさん。


私はカップルの間を引き裂きながら進む。しかし混んでいるので展示を満足に見ることができない。行きずりの知人と来てしまったのもあって、話の内容にも窮していた。


「そうや、美術館行かへん?」

私は人が少ない1Fのロビーで提案する。知人は美術に少し造詣があり、私も物を考えるのが好きだ。人も少ないだろうし、美術作品について話し合ったりなどしてみようか。

「いいよ。あそこだよね。」

科学館の横ということもあって、あっさり快諾された。知人も人混みにはうんざりしていたらしく、そうと決まればミュージアムショップにも寄らずにすぐに美術館へと向かった。

名古屋の大学生なら美術館には無料で入れる。このとき知ったのだが、常設展だけでなく1人1000円以上する企画展にも無料で入れるらしい。しかし、知人が学生証を忘れたということで、今日は常設展を巡ることにした。


常設展、許すまじ。




草間彌生、その動揺


名古屋市美術館は広い。白い壁面で仕切られた廊下を抜けると、すぐに開放的な展示スペースに出る。そこに置いてあった美術作品がこれ。


https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2020/04/13/9c0f00217d46566d60625b3a099d8cc54020b408_xlarge.jpg

草間彌生の『ピンクボート』と名乗るらしい。

一見するとグロテスクさもある一方、平成中期のギャルしか纏わないようなまばゆいピンク色がそれを中和する。さらに、一つ一つの絨毛のような構造物は、細かく見ると愛らしさも感じる。

なんかすごそう。直感的にそう感じた私と知人は、その絨毛が何を象徴し、
このボートが何の比喩なのかを話し合って見ることにした。


「ノアの方舟ってあるよな〜」

「あるね、ってことは動物とか種とか関係あるのかな」

「こういうのって結構人なんやない?」


私はそれらしい考えを巡らせる。
ボートは社会であり絨毛は人である。個々人はボートに似ても似つかないようなただの毛であるが、連帯することで一つの目的を果たす組織、機関になるということを表しているのではないか。

そう説明してみると、知人は納得してうなづく。「賢いね」って言葉こそ言わなかったが。絵の解釈も態度のそれも自分に都合が良すぎる。


ちょっとした会話のラリーの後、いくつか絵をみる。
近世の産業都市を抽象的に描いた作品やら、ルネサンスに影響されたメキシコ絵画やら、高尚そうなものが並べられている。それを観るたびに、私たちも高尚なふりをしたり、また何も話さずに眺めたりしている。なるほど、いい時間かもしれない。

しばらくして、ポストカードが入った棚を見つける。その紙は表面に作品の写真が、裏面にその解説が付してあった。私と知人は先ほど眺めたもののバックグラウンドなりが知りたいと思い、それを手に取る。



草間彌生は幼い頃から幻覚や幻聴に悩まされていた。それを克服するために彼女は、幻覚の中で増殖するファルス───すなわち男性器をモチーフとした作品作りに取り組んだ。

草間彌生 「ピンクボート」

おい、それってつまり。




なるほど、最悪だ。

ポストカードを手に取った瞬間流れる沈黙。そしてすぐに半券を捨てて逃げ出したくなるような気まずさ。お互いに言うべきことも思い浮かばなかったと悟った2人は黙って他の作品の閲覧を続けた。


何してくれてるん?



ほんまに何してくれてるん?

もちろん、私も大学生の端くれとして、男性器(ファルス)が古来から芸術作品のモチーフとして取り扱われてきたことは知っている。というのも、生殖器は人間と動物が切り離された文明の中で、唯一人間の動物らしさを自覚させるものである。人間の持つ生殖・闘争・逃亡といった動物的な一面を表すためにこれらのモチーフは使われがちであるのだろう。


けど、この作品はわけが違う。というか限度というものがある。

大体の作品において、男性器は描かれているとは言えども要素の一部でしかない。ちょうどサイゼリヤに置かれている絵画のように。だから、部活の打ち上げで来た男子中学生でもない限りは、サイゼリヤの壁画を見て「うわ、全裸やん! チ○ポ丸出しやん!w」と反応しない。極度に一般化されたイタリアのイメージに内包されたごく一部として男性器は溶け込んでいる。

若しくは、男性器がわかりやすく作品の中心になっていることもある。石棒などがその例である。石棒は芸術作品というよりも祭祀用の道具であるが、それ故なのか、明らかに「それ」とわかる形をしている。日本史の先生が「これは、…男性器をモチーフにした道具だ」と一旦息を詰まらせて解説していたなぁと回想。


石棒(出典:文化遺産オンライン)


それと比べてピンクボートはどうだ。
あれを見た時に「チ○ポやん」と直感的に気づき、無難な回避行動を取れる人などどのぐらいいるのだろうか。草間彌生に対する理解なり教養があればわかったのかもしれないが、一般的に彼女は派手な水玉模様が特徴的な作品を作っている現代アーティストという解釈に留まる。

しかし彼女は繰り返す水玉模様の代わりに夥しい数の男性器を使った。この作品の構成要素は100%チ○ポである。ポストカードでは偉そうにファルス(芸術における男性器のモチーフの総称)と言い換えていたり、優秀そうに男性器と説明を加えているが、これは紛いもなく我々の世界ではチ○ポと呼ばれているものである。

草間彌生は我々にステルスチ○ポを押し付けている。そこには、サイゼのような逃げ場もなく、石棒のような明確な主張もない。それをそれと知らないまま100%のモノに触れざるを得ない。高尚ぶって解釈を行なった私も、今となっては、関係値の薄い異性を前にして男性器を語るセクハラジジイと同義になってしまった。あまりにも前時代的すぎる。

昭和日本の一大建築ムーブメント、メタボリズム
その発案者であり建築界の巨匠、黒川紀章の代表作である名古屋市美術館。この美術館は上っ面だけでなく入った人の行動までも昭和にするのか。
昭和取りが昭和になるとはまさにこのこと。




再発防止策

草間彌生にばかり自分のエゴを押し付けているので美術館のキュレーターにも言いたい。美術館の中入って最初にコレはないだろう。もちろん、もちろんだが私はファルスに対して批判をしたいわけではない。草間彌生の作品性を否定したいわけでもない。

しかし、私たちは芸術作品を見るために美術館に来ているのであって、決してチ○ポを見るためではない。そちらの方に関心があるなら繁華街である錦や女子大の方に踵を返せばいい。南山大学の人類史博物館も石棒をはじめとするファルスが多く展示されていたような。

きっとあの空間の中ではみんながエモがっている「真夜中の公衆電話」や「夏の夜空」や「秋の夕さがり、ペンキの匂いがする文化祭前日の教室」と全く同じ尺度で「ピンクボート」が存在している。それも意図があってのことだろうとは思うし、ファルスを平等なものとして扱うための配慮だろう。

しかし、しかしだ。私は言語化されたエモが嫌いであり、そういうものに触れたくないと思う。同様に性器に関して忌避感を持つ人もおり、また忌避感が生じやすくなる場合というものもある。

言語化されたエモが乗っている漫画は明らかに「エモいですよ〜笑」感を表紙から出している。だから美術館側もそれをしてほしい。つまりは、ピンクボートの前に

「チ○ポ注意!」

という看板を一つ用意しておくだけで、初デートの気まずさを全て取っ払うことができただろう。なので初デートでこの記事を見る人のためにも、しっかり文頭にそう記した。この営みが広がれば他の無数のカップルや家族も救えるだろう。待ってろ、俺が今生まれようとする愛を守るから─────。



けどまあ、美術館のキュレーター側の意図を尊重するなら、こちら側が初デートで名古屋市美術館を選ばないほうが賢明だ。隣の科学館でメンデレーエフを知らないカップルたちに呑まれ、インスタ用の写真を撮るぐらいの純度でいいと思う。

そして、当たり前だが美術館は常設展でも展示の入れ替えを行なっている。今はステルスチ○ポだが、まだ未曾有の恐怖が観測されうるかもしれない。「好かれる」よりも「嫌われない」が大事な初デートでそのような恐怖に立ち向かう男など、勇敢ではなく無謀。美術館に行きたければ後日1人で散歩がてら回るといい。かなり批判的に書いているが、美術館自体は展示の数もちょうどよく、頭や情感を働かせる運動としてはかなり有意義である。



しかし、もう一度言う。
初デートで名古屋市美術館には行くな。




師走の終わり、その静寂の中で


舞台は美術館では終わらない。その後栄に移動した一行は夕食を食べ終え、そのまま帰るのも味気なかったので少しだけショッピングをする。少し時間をずらしてディナーに興じたので、栄であっても店の中に人は少ない。

栄=三越=ラシック。平成中期ごろ、裕福な若中年層をターゲットにして開業したこのお店は、その思惑通りスタイリッシュでファッショナブルなブティックがひしめいている。こう言っておけばトレンディでナウさが伝わる。


「やっぱり綺麗めで高そうなお店が多いよね」

下りエスカレーターに乗っていたら話しかけられた。正直満腹でピンクボートの一件もあり、頭が精悍には働かない。無難な相槌を打った後、話す。


「下の階もおしゃれな店ばっかやし、すごいな」


エスカレーター越しに顔を出したその店は女性用のランジェリー店。2人の視線が一瞬そちらに向き、明後日の方に向き直され、そして私は心の中で叫ぶ。



「下着注意って書いておけよ!」



知人とはこれきり会っていない。


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