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ステイゴールドファンによる重賞回顧と言う名の自分語り~札幌2歳ステークス①

ステイゴールドの引退式を見に行った2002年1月から産駒がデビューする2005年夏までの3年半、たくさんの個性的な名馬が私を競馬につなぎとめてくれました。

2001年に「三冠レース完走かつその前走ですべて2着」と言う大記録を成し遂げ、雌伏ののち2005年天皇賞春2着。今なお私的イマイチ馬ランキング2位に君臨するビッグゴールド。

乗鞍に恵まれなくなってしまっていた田島裕和騎手とのコンビで重賞2勝。2006年,ディープインパクトがキングジョージ遠征を敢行していたら宝塚記念でGⅠに手が届いていたであろうナリタセンチュリー。

道中ついていけず向こう正面中間で手綱が動き後退、2,000円の単勝馬券を破きかけた直線、前がバッタバタになったところで大外からドドドドと乾坤一擲の追い込み。大ベテラン、高橋雄一アナウンサーをして「なんということだぁ~!!」と言わしめた2002年ラジオたんぱ賞のカッツミー。

そして追い込みと言えば2003年フラワーカップ。

「目の覚めるような」

「他馬が止まって見える」

決まった時の常套句が最もふさわしいといっても過言ではない末脚。あまりの鮮烈さにその年の牝馬クラシックで入社2年目の我が財布を焼け野原にしたのが、横山典弘とマイネヌーヴェルでした。

そんな彼女の孫、ユーバーレーベンがゴールドシップクインテットの一角として出走したのが、2020年札幌2歳ステークスでした。

天気予報は雨のち曇り。前夜からオールナイトで傘マークが並んでいました。

「ああ、天も去年の黒ちゃん(ブラックホール)金ちゃん(サトノゴールド)ワンツーフィニッシュの再現をさせたいんだな。重馬場バンザイ、外差し天国!今年は掲示板独占しちゃうぞ!」

しかしそんな(一部)ファンの思いを知ってか知らずか、金曜日の午後から今にも泣き出さんばかりだった札幌の空は、きっと誰か大事な人を人質に取られていたのでしょう、雨を降らせたらその命はないぞと脅されていたのでしょう、とうとう土曜日の朝まで一滴の涙も地に落とすことはなかったのです。

かくして良馬場となった札幌競馬場。

2レース、芝1200m、1分8秒7。

5レース、芝1500m、1分30秒5。

7レース、8レースと続いた芝2000m戦でも2分0秒台半ばと、普段の最終週より2~3秒は速い。上がり34秒台出す馬が出ちゃう。4コーナーで前にいる馬ばかり勝つ。

「あ、これはまずいな。」と思いました。ええ、思いました。

Twitterでは「みんなまとめて突っ込んで来い!!」などと大口叩いていましたが、不安しかありませんでした。これじゃあバスラットレオンに押し切られる。

望みを託すとすれば、ハイペース。スタミナと底力を要求される展開にならないか。コスモアシュラが競りかけていかないかなぁ。

8割の不安と2割の期待。

この夏5回目のプペペポピーが鳴り渡り、札幌2歳ステークスのゲートは開いたのでした。


(続きます)

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