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Day2:「令和市」とは何か。令和市から想像されるもの

※この令和市民大学学長だよりでは令和市民大学の活動をするに辺り、進んでいったことを記録していってます。

1/13 13:47

できごと

どっかで「令和市とは何か?」を話すミーティングをする

進捗

・campfireからの連絡がこない

・「令和市とは何かを語る」を提案

人の手を借りたいところ

・明日は令和市民大学初のオンライン座談会の「これからを考えている人」

「コロナによる社会変容以降、これだ!という未来ビジョンと出会わないので、話はじめることを始めたい。」と令和市発案者が申しているので、これを第一のテーマとして取り上げていこうと思います。

そろそろ、未来のすり合わせしない??って会です。ワクワク。

そんな感じで未来のビジョンを募集!

・「令和都構想」とかいう架空の街の架空の議論やってみたい

「令和市とは何か?」について

令和市公民館で「そもそもなんで令和市なの?別にスペースコロニーでもよかったんじゃない?」みたいな話があったので、「そういえばノリで令和市民大学作ってみたけど、どうして令和市なんだろう?」ってことを考えた。

実を言うと、バーチャル自治体令和市のことを僕はよくわかっていない。

令和市と聞いて「市民大学をつくりたい!」と思ってできたのがこれ。

故に令和市民大学学長だからといって、令和市に対して確固たる定義を持っているわけではない。

僕は文学部教育学科出身ではあるけれども、大学がリベラルアーツを推しているところだったので、いろんな科目を学んだ。

その中で、社会学とかコミュニティ学とかが好きだったので、「市」と聞いたときに対立項としてでてきたのが「村」と「中央」。

村ほど閉鎖されてないし、中央ほど人に無関心じゃない。
ただ、何をやるにもちょっとしょぼくて可愛い感じが好きなんです。市。

実際の「市」を考えると、平成の大合併とかでかつて「村」とか「町」だったところが市になったところの方が多いんじゃなかろうか。

僕は子供の頃、「区民」としての意識が強く、福岡市民と言われたときにあまりピンとこなかった。福岡県民だったらテレビでやっている分ピンとくるけど。

その後、板橋区民になり、一時福岡に戻った後に和光市に移り住み、そこで初めて「市民」としての自分に出会った。

その後は山添「村民」になって、また奈良「市民」になり、今は「町民」になっている。

大合併に巻き込まれた町とか村の中はおいといて、市というものはどこか幅が広い。

幅が広いからこそ、「奈良ひとまち大学」とか「花巻大学」とか「和光市民大学」が生まれるのだろう。

町民や区民、そして村民のつながりは勝手についてくるものだけど、市民は自分からそこに行かない限りつながりは生まれない。

そういう意味で、令和市として何か1つに向かっていくものを作るのはたぶん無理だし、令和市の施設として各々が自分のやってみたかった活動をやってみることで、そのテーマに共感した他の村民や町民や区民を呼び込むことができるのだろう。

令和市とは何か。本当になんなのだろう。

答えは令和市が滅びる7月24日に。

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