「インターステラー」を6年ぶりに映画館で見て昂ってしまった25歳の感想文
クリストファー・ノーラン監督の最新映画、「TENET」の公開を記念して、全国の映画館で彼が手がけた過去作品がリバイバル上映されている。
題してクリストファー・ノーラン祭だそう。
8月末頃、「ダークナイト」「ダンケルク」「インセプション」と続いたこの祭りの最後に「インターステラー」の9月4日(金)から2週間限定での公開が決定。
その夜、わたしは恋人に「体力の必要なデートに誘ってもいいか」と断りを入れた上で即、映画館へ足を運ぶことを決めた。
わたしは普段基本的にいつもひとりで映画館に行く。だが、「インターステラー」なら彼を誘わねばという指令が脳から下りた。
出会ってから再三映画の話をして、好きな作品を挙げてきた中で、宇宙部門では本作が開口一番に飛び出す堂々の1位。
好きな映画を10本挙げるとしてもお互いに必ず入れてきた作品だったからだ。
何と言っても169分。なかなかコンディションが整えられず、好きなのにふたりとも2度目が見れずにいた。
またとない機会。ということで行ってきた。
では、身の上話はこのくらいにして……とにかく作品が大切だ。感想に移ろうと思う。どうしよう。感想文なんて小学生の夏休み以来だ。
あらすじは改まって詳しくは書かない。ただ、中身は薄いがネタバレにはなるので読む方にはご了承いただきたい。
そして、ここからは引用等しているものの、ほぼ殴り書きの為、言葉の乱気流の中だと思ってほしい。引き返すなら今のうちに。
アマゾンプライムで観たい人は下記リンクをどうぞ踏んで。戻ってきたらまた語り合おう。
インターステラー(字幕版)
ハードSFでもあり愛の物語でもある
わたしが考えるこの映画のテーマは2つある。どちらも共通して時間も空間も超えるもの。人類を取り巻く絶対的な力、”愛”そして”重力”だろう。
陳腐な言葉として「時空を超えた愛」なんてよく聞くが、これを見てから描いてくれ。と言いたくなる。
公開当初、ノーラン監督のインタビュー記事で「“父であるというのはどういうことか”を語るための作品だ」と答えていたのを覚えているし、まさに今作は家族のために行動する父が主人公の物語だ。
ハードでダークな作品が多い彼だが、愛妻家で家族思いな監督らしさが出ているのだろう。壮大な愛の物語に仕上がっている。
この作中で特に強く描かれている愛は、主人公クーパーと娘マーフの父と子の愛、アマンダとエドモンズの恋人同士の愛のふたつだろう。
ハードSFの要素もしっかりと、さらにこのふたつを上手いバランスで構成されたこの映画。あぁ、S・スピルバーグ(原案時点では彼がメガホンを取る予定だったが揉めて頓挫したらしい)じゃなく、ノーラン兄弟の手で作られて良かった……と思うのは、愛が主軸であって尚且つハードSFとして両立させる物語として完成させることができたかと言う点について、甚だ疑問を抱くというか、かなり恋愛に傾いていた気がするからだ。まず主人公がアマンダになっていたか、クーパーはアマンダに恋をして……という展開になっていたような気がしてならない。
勿論、スピルバーグを悪く言うつもりはないのだが(「バック・トゥー・ザ・フューチャー」や「マイノリティ・リポート」などはとても好きである)同じ3時間でもまるで違う体験になっていただろう。
あぁ、ノーラン兄弟で良かった。
TARSとCASE(とKIPP)
まず言わせてほしい。近未来を描く作品における、人間と人外の組み合わせは最高だ。
ユーモアがあって有能で、それでいて見た目は無機質であればあるほど個人的には良い。鉄の硬そうで重そうな棒4本の塊。萌える。
こう見えて物が運べるし、走ると早いんだ。最高だよな。
わたしも宇宙に行く時はこれと行きたい。
ちなみに撮影ではCGを使わず、実物大のパペットが作られて背後から操っていたらしい。
「TARS Interstellar」で画像検索したら撮影中の画像が出てくる。とてもシュールだ。
待てよ。あらすじが必要なのでは?
謝りたい。あらすじは話さないと最初に断言した矢先なのだが、やはり少しだけ振り返る。
ここが良かった!と話すのに必要なのだから仕方ない。あらすじを話さなければ、キャラ萌えや映像美についてしか話せない。今気付いた。
「インターステラー」で描かれている地球は荒廃し、異常気象の影響で植物は枯れ、砂嵐が頻発。世界中が飢餓や病気に悩まされていた。
そんなある日、元宇宙飛行士で今はトウモロコシ農家のクーパーとその娘のマーフは、NASAが秘密裏に人類を別の惑星に移住させるラザロ計画を遂行していることを知る。それはこの地球から人類を救う唯一の手段に思えた。
指揮を取っているブランド教授は、パイロットを引き受ける返事をしたクーパーに対し、それにはプランAとBがあることを伝える。
プランAは、巨大な宇宙ステーションを建設し、地球に残る人類を連れて他の惑星に移住するプラン。
プランBは冷凍保存している受精卵を移住先の星で人口培養するというもの。種の保存のみを優先するバックアップのプランだ。
プランAの実現を叶える為に既に12人の精鋭が、木星付近のワームホールを通って、別の銀河へ移住先の星を探しに旅立っており、候補となる3つの星から信号が届いていると言う。
いざラザロ計画を完遂させるべく、その星々のどこならば人類が生きていけるのか確認する為、クーパーたちにはその星々を目指せ、というのが今回のミッションなのである。
プランAが本命だとブランド教授は言うが、そもそも宇宙ステーションを(星へ移住するためしばらくの)居住地として安定させる為には重力をコントロールする方程式も完成させる必要があった。
出発する時点でこれは解けておらず、ブランド教授は「君たちが地球に戻るまでには必ず解いてみせる」と約束し、それを信じてクーパーたち一行(クーパー、アマンダ、ロミリー、ドイル)は宇宙へ旅立つわけだが……
結局ブランド教授は死の間際に、この方程式は解けるものではなく最初からプランBが本命だったと、クーパーが旅立った後、大人になり、研究者となったマーフに告げたのだ。
そう、この方程式は「ブラックホールの中の特異点を観測した重力データがなければ解けない」もの。しかし、宇宙の理、人類の周知の事実としてブラックホールに人間が入ることはできない。厳密に言えば、入ることはできるかもしれないがそこで通信できるかどうかは人知を超えているし、出ることは叶わない。加えて特異点の情報は外側からは絶対に観測できない。最初から詰んでいる。ブランド教授はそれが分かった上でクーパーたちを送り出したのだった。
そもそも”ラザロ”計画というのだから、一度今いる人類は地球で滅びるが、別の惑星で「生き返る=新しい世代が1から始まる」ということを示唆していたのかもしれないなとこれが分かった時にわたしは思い返していた。
冒頭クーパーが「不吉な名前だな」と言った時点で、もっと疑り深い性格だったら勘付いていてもおかしくはなかったかもしれない。
兎にも角にもとんでもない嘘だ。マーフも知っていて父親が飛び立ったのではないかと不安定になってしまう。しかし当然ながらそのことはクーパーもアマンダさえも知らないことだった。
その頃、クーパーたちは移住候補の惑星3つのうちの1つが駄目とわかった後、2つ目の星にいた。
……と、ここで申し訳ない、あらすじ語りがかなり長くなってしまった。
この2つ目の星での出来事は端折ろう。
この星から信号を送っていたマン博士(マッド・デイモン)は、人間の醜さやそれらしさを体現している人物だと思う。名前もヒュー・マン博士らしいし。
クソ野郎!とは皆思うだろうが、彼はこの星でなく火星に辿り着いて取り残されていたら話は変わったかもしれない(笑)
ということで、彼の来世に期待しよう。
TARSとクーパーの胸熱シーンが到来
紆余曲折あって(ロミリーのことは許さない)一行はその2つ目であるマン博士の星を後にするのだが、さらにここでマン博士による最期の渾身の愚考によって、エンデュランス(クーパーたちが乗る宇宙船)の燃料と酸素の殆どを失ってしまうことになるのだった。
これでプランAの実現はおろか、もう地球に帰ってマーフと再会することは絶望的となった。
生き残っているクーパーとアメリアは最後の希望である3つ目の星、エドモンズの星に向かうことを決める。そこでプランBを。
”人類に”残された道はそれだけだった。
飛行は可能だが、燃料はエドモンズの星まで足りるか怪しい。そこで思いついたのが、エンデュランスをガルガンチュアに接近させ、一部を切り離し、辿り着く為の推進力を得ようという作戦だ。
ついでに(?)その切り離すドックにTARSを乗せ、特異点のデータ収集をさせることにする。一か八か地球にデータが送信できれば御の字だ。
そして旅を共にしたTARSをいよいよ切り離す時、TARSはエンデュランスに向かってこう言う。
「今までありがとう、博士。またな、相棒」
またな……相棒(クーパー)……?
そう、TARSとクーパーは内々で打ち合わせをしていたのだろう。
その後クーパーも自らが乗るドックを切り離して、ガルガンチュアの中に飛び込んだ。
父と子の愛が実現に近づける「プランA」
飛び込んだガルガンチュアの中、特異点の内側はなんと、4次元超立方体の空間になっていた。これを視覚化したのすごすぎる。
そしてここはマーフの部屋(3次元)通じていて、地球の過去、現在、未来全ての時間と連結していたのであった。
真っ先に見えたのは宇宙へ発つことを決めたあの日。
嘆くマーフを嗜める過去の自分向かって力いっぱいに”Stay!”と叫んだ。必死の思いで本棚を叩き、その言葉をモールス信号で伝える。
泣ける。とんでもなく泣ける。今のクーパーは知っているのだ。この子を、地球の人類を救えるなんてこの時から全て嘘だということを。
しかし過去のクーパーは気付かず、旅立ってしまう。このメッセージを解読して父を止めていたマーフを置き去りにして。
作品の序盤で同時系列のシーンがあるが、その時クーパーは「親は子供の記憶の中で生きる」「親は子供を見守る幽霊なんだ」と言っていた。
ここはそれが実は比喩でも何もなくその幽霊(の起こしたポルターガイスト)の正体は五次元空間のクーパー本人で、子供のマーフが読み解いていた”S T A Y”は、まさに自分からのメッセージだったのだということが分かるシーンでもある。
幽霊からの戯言だと片付けていた言葉が、実は自分の言葉だった。ここでこの言葉を聞いていれば。宇宙へ行かなければ。
しかし、無常にもそんな後悔は涙になって流れていくだけ。この空間では時間軸を自由に行き来できるが、そこに戻ることはできない。もう取り返しがつかないことなのは変わりないのだ。
(今わからなくなってるのだが、ここでバイナリでNASAの座標送ったのはなんでだったっけ。まあいいや)
自分に言い聞かせるように、妻が生前話した「親は子供の記憶の中で〜」なんて言って出てきて、最後にこんなことが分かるなんて皮肉だ。そして損失が大きすぎる。
涙ボロボロである。
しかし、ここで諦めないのがクーパーで、そして娘マーフであった。
重力の方程式の解を出し、父が携わっているラザロ計画を成功させること。そして何より父のことをどうしても諦めきれず、必ずあそこにヒントがあると踏んで自室に戻っていたマーフを探し出し、二人は時空を超えて相対する。
TARSによってモールス信号に変換されたガルガンチュアの特異点の重力データを本棚を叩いて送る。
あの日渡した腕時計が、ツー・トン、ツー・トンとクーパーの送る信号のリズムで動き、それを見たマーフはそれが”そう”なのだと気付き、解析を始める。
”愛”だな。証明できないものは都合よく使おう。これが愛の力だ。
そうしてクーパーから送られた特異点のデータは解析され、ブランド教授が残した重力の方程式は解き明かされた。マーフの「ユリイカ!」の声がNASAに響く。
絶望的だったプランAに光が差した瞬間だ。
次のシーンでクーパーが目覚めた場所は、マーフが解いた法則を基に開発され、打ち上げられたスペースコロニー「クーパー・ステーション」だった。
クーパーは「自分の名前なんて」とすかさず言うが、これはマーフの名前を取ったものだと医者は話した。ここも熱い。クーパーは全てマーフに伝わっていたことを瞬時にわかる。そういう顔をする。
そしてクーパーは悲願だったマーフとの再会を果たす。彼女は2年コールドスリープに入るなどの延命治療をしてクーパーが目覚めるのを待っていた。ここも泣ける。クーパーが駆けつけた時マーフはついに子や孫に囲まれて息を引き取ろうとしていた。間に合って良かったよね。
100年の思いだと言うのにふたりは長くは語りあわず、マーフは諭すように言う。その時のこの台詞もいいんだよな。
「親が子を看取るなんていけないわ。待っているはずだから行ってあげて、アメリアの元へ」
くぅ〜!
こうしてクーパーは壊れたTARSを修理し、環境がどうなっているのかはわからないが、信号が送られてきているエドモンズの惑星へ向かうべく、宇宙船に乗り込む。
そのシーンでこの映画は終わっている。
くぅ〜!なのだが、時間が経って考えると、なんでブラックホールの特異点に辿り着いて戻れたのだとか、データ送るのに何年かかったのだろうかとか、ほのかに脳の掠めていくことは正直ある。
でも今は野暮な指摘や疑問はよそう。そもそもいくら化学的論拠が揃っていたところでフィクションなのだし。
クーパーはガルガンチュアから放り出され、宇宙空間を漂って、酸素が残り1分で発見されるくらいには運が良かった。
それと、この映画では確実に”愛”の力が作用してる。わたしにはわかるんだ。
序盤にはトウモロコシ畑でマーフが名前の由来を聞き、マーフィーの法則からだと言われるシーンで「マーフィーの法則は、起こり得ることは起こるって意味だ。それはすばらしいことだと思ったからつけたんだ」とクーパーが答えていた。
マーフは成功し得ることを成功させたのだ。そういうことだ。うん。
一先ず、人類は救済された。
全てがうまく行った風が吹いているが、まだラザロ計画はどちらのプランについても成功までは至っていない。
この親子の功績は実現不可能だったプランAを実現可能なところまで進めたこと。
後は移住先の星だ。どうなったことだろうか。
23年余分のビデオメッセージ
プランAがどうなるのかという考察の前に、親と子の愛についてもうひとつだけ話したい部分がある。
クーパーが宇宙に発ってから、最後に危篤のマーフに再会するまで、親と子のシーンは間接的なものになる。
そもそも目の前にいたとしても愛は間接的なものに違いないのだが、物理的距離がかなり遠く、お互いの姿に触れることもなければ肉声を聞くこともできない。
彼らはきっと一番離れ難い時に離れ離れになり、それこそミラーの星でクーパーが一気にロストした23年間は最も色濃く、成長を見守りたかった時間だったことだろう。
ビデオメッセージを見ながら涙を溢し、手を伸ばす彼は、覚悟して出てきたことに違いないが、それでもどこかまた戻れるかもしれないと期待していた。彼の涙はその全てが崩れ落ちたことを表していたのだろうと思う。
わたしは子供を持つ気がさらさらないので、正直親心とは生涯無縁だ。
しかし、家族として、家族を救いたいと思う心はわたしも持ち合わせているものだ。クーパーが家族を思う気持ちには胸を打たれた。
特にずっとメッセージを送ってこなかったマーフが「今日は誕生日。地球を発ったパパと同じ歳になったの」と涙ながらに訴えた通信は涙が溢れた。
拗ねて喧嘩別れになってしまっていた父が慰めで溢した「戻ってきた頃にはパパと同じ年齢かもしれない」という言葉を待っていたのだ。胸が痛んだ。
マーフと言えば、父が出発した後に家を飛び出したマーフの”......Daddy!!”も思い出すだけで泣きそうだ。
アマンダが信じた”愛”の力
父と子の愛について話していたらだらだらと話の結末まで話してしまった。
そんな後だが、まだ上記ではどうなっているかわからないと書いた、アマンダが辿り着いたエドモンズの惑星の様子は話していないだろう。当然描かれていたのだ。映画の中では。
話は少し(少し?)遡る。マン博士の星に行く前に、実は一行は少し揉めていた。
1つめのミラーの星が駄目だったと分かった一行は、次に残されたどちらの星に行くのか相談する。マン博士の星は近く、信号もコンスタントに送られてきていた。もうひとつはエドモンズが信号を送る星。こちらは遠い。しかし、どちらも通信から判断すれば良い環境である可能性は高かった。
合理的に(かつ、地球へ戻ることを視野に入れている)クーパーは距離的に近いマン博士の星へ向かおうと主張する。
対してアマンダは恋人であるエドモンズの惑星へ向かおうと提案するのである。
その時のこの台詞を、誰もが印象的に捉えたことだろうと思う。
日本語も載せる。上記英文共に引用
結局、この話し合いではクーパーが「それは間違いだ」と一蹴し、マン博士の惑星へ行くことになるのだが、この時エドモンズの惑星へ行くことにしていたらどのような環境が待っていたのだろうか。
映画のラストシーンでは、この惑星の様子が映る。
石を積み、エドモンズの墓標を建てるアマンダの姿。彼はここに一人でキャンプを作り、調査中に落石に遭い、命を落としたようだ。
アマンダはヘルメットを取り、息をする。少なくともこれで空気の汚染がないことがわかる。
さらにここはミラーの星のように水に覆われてもおらず、マン博士の星のように極寒の地でもない。
重力の強さこそわからないが、ここが3つの星の中で最も人類の移住に有力な星だったことは間違い無いだろう。
もし、ふたつの星で迷ったあの時にアマンダの直感的な愛を信じていれば、ラザロ計画のプランBはここですぐに成功していたかもしれない。
ただ今はもう既に重力の方程式が解かれ、スペースコロニーで人類は生活している。
つまり、ここでならば一度は絶望した、プランAの実現すら可能性がある。この希望には微笑まずにはいられない。
そして、アマンダは行先で揉めている時にこのようにも言っていた。
再三記憶を頼りに不確かな台詞を書いてきたが、ここばかりはと思って検索した。しかし字幕版の文言がヒットしなかったので元文のみ他人の記事から引用する。
どう字幕が出ていたかは忘れたが、わたしの言葉で改めて訳すとこうだ。
そう。この台詞こそがわたしがこの作品のテーマが”愛”であること、そして、その”愛”を人類を取り巻く絶対的な力だと形容したことの理由である。
そして、そうであったかもしれないことをラストシーンで示唆し、掬い上げて終わるのだ。
そしてアマンダは長い眠りにつく。そこでこの星の映像は終わっている。
この後クーパーが辿り着くのは何年先なのか、はたまた何分後の話なのか。辿り着いたことを願いたい、視聴者としては希望に満ちたラストに思える。
ただ、通信が届いていれば、コロニーができたこともクーパーが生きていることもアマンダに伝わっているのだろうが、何も知らないならばアマンダにとってはクーパーはもう亡くした仲間である。人類が滅んでいるのかどうかすら分からない。
彼女はどんな気持ちで待つのだろうか。
そもそも彼女は何の為に眠るのだろうか。
目覚めの時は受精卵が孵る頃に設定したのか。それともマン博士のように無期限にして眠りについたのだろうか。
考察の余地も山ほどあるラストでもある。
科学的に、”重力”は時間や空間を超えても干渉を受けない力とされている。
この映画の後、キップ・ソーン氏はノーベル賞受賞もされているが(作中のようにあんな風に重力波が砂で表せることはないとはいえ)重力波を見えるものにしてくれたように、今はただ、なんとなく感じるものだけれど”愛”もいつか証明され、見えるものになるかもしれないと人類らしい曖昧な希望のメッセージを込めて、主軸に立ててくれたのだろうと感じた。
素晴らしさはこの両立、相互関係だと、冒頭でも述べたが本当にそう思う。
科学的な功績も多く残したフィルム
愛の物語である側面についてベラベラと方便を垂れたが、「インターステラー」はハードSFなのだ。
尚且つ、映画の制作に携わったキップ・ソーンはじめとする科学者たちは関連した論文を発表しており(未読)、作中には高度な物理学、宇宙工学的な知見が散りばめられている。ブランド教授の書いた黒板の文字はキップ・ソーン直筆とのこと。
その黒板の数式について、Googleで解説サイト(English only)も開かれている(未読)という。
科学的知見が世間に浸透することについてのフィクションが持つ力を感じた。……小並感。
小学生の頃、伝記を読むのが好きだったわたしは、各出版社から出ているアインシュタインの伝記たちや、愛読書だったこども偉人新聞読み、それ以降は何度か本当の初心者向けに噛み砕いて米が粥になったかのような相対性理論の解説書を読んで、結局理解することなく、かの有名なエネルギーに関する公式だけ覚えて大人になった。
そんな低能なわたしでも、ミラーの星の話を聞いて、時間の進み方の差や重力が及ぼす時間経過(ここでの時間差はエネルギーの劣化にかかる時間だろうか?)の差についてふんわり理解した。
理解した、と言うよりは理解を少し進めた気がする、と言うのが適当な表現だろうが。
不変だと思っている時間さえも相対的なものだということが映像で、娯楽としてふんわり理解できる貴重なフィルムだと思う。
それと、細かいところなのだが、ロミリーのワームホールの説明(紙に点と点書いて合わせて鉛筆で穴開けるやつ)をわたしが幼稚園の時に聞いていたら、ひょっとすれば人生変わっていたなと思う。感覚的にわかりやすすぎる。
それと、余談だが、去年、ブラックホールの撮影に成功したニュースが流れた時にも、わたしは真っ先に「インターステラー」のことを思い出した。
史上初、ブラックホールの撮影に成功 ― 地球サイズの電波望遠鏡で、楕円銀河M87に潜む巨大ブラックホールに迫る/国立天文台 NAOJ
宇宙を見ること・知ること・読み解くことは人類の課題。それを身近なものに落とし込めてくれる映画本当に素晴らしいな。素晴らしい。
さて、高校では語学ばかり勉強して、その頃習うはずの物理学すらにわかの人間が拾えていないことを述べるのはあまりに愚かだ。これ以上ボロが出る前に終わりにしよう。
……”重力”についての内容が薄すぎる?
仕方ない。初見の時も散々ネットで調べて、図書館で本も読んで、分かった気になっただけでわたしは自分の言葉で自論を述べられるほど理解できなかった。
基礎が足りない。精進します。
さて次はIMAXの話だ。今更書かずに最初にしておけという話だが、羅列した話題をつまみつまみ伸ばしていたら後ろになってしまったのだ。
初めてnoteを書いているが、組み替える編集が面倒なので多めに見てほしい。
IMAXで見るべきは宇宙の映像
タイトルに「6年ぶり」と書いたように、わたしは2014年公開当初にも劇場に見に行ったのだが、その時はIMAXでは鑑賞していない。
撮影時もIMAXカメラで撮影していたそうだが、その映像を35mmのフィルム用にして世界中の映画館で上映していたらしい。それを見たのが初回だった。
わたしは今回がIMAX自体初体験だった。
IMAXとはよく聞くがそれが何かすらよくわかっていなかったので先程見た動画リンクを貼っておく。英語で日本語字幕も非対応なのだが、映像を用いてなんたるかを説明してくれている。
さすが公式、よくわかる。
要は、カナダのIMAX社が作ったこの技術で、世界最高の映像体験ができるということだそうだ。
我々が映画の世界により没入するために、映像(通常の35mm映画フィルムの倍の70mmフィルムを使って撮影し、さらにリマスタリングして最高の画質で)音響(通常のスピーカーより1オクターブ低い音まで鳴らせるんだって)空間(弧を描いた大きなスクリーン、椅子の配置など)について計算して設計し、技術力をフルに投じて作られている。らしい。
それでどうだったのかと言うと、初めてのIMAXはこの作品のために取っていたのだと後付けで言いたくなってしまうほど満足した。
宇宙映画を見るためにあるような技術じゃないか。
このIMAXカメラ、実際かなり重いそうだが、宇宙船内のシーンでは手持ちで撮影したとのこと。
特にそうして手持ちで撮影されたシーンのひとつ、エンデュランスが地球を発ち、大気圏を抜けて宇宙空間に出たあたりなどは、画面は小刻みに揺れ、僅かに画角が回転し、常に少しだけ揺れていた。わたしまでふわふわと浮遊感がして(揺れが苦手なので)心拍数が急上昇するのを感じた。
プラス500円の価値はあると個人的には思う。没入度が段違いだ。
日本の商業に侵されなかったポスターも魅力
ところで、またもや最初に触れろよという話題で恐縮なのだが、わたしはこのヴィジュアルが大好きだ。
そのままのデザインで日本版ポスターにも使われていたヴィジュアルである。
マーフとクーパーが肩を寄せ合って星を見上げている。上質な宇宙SFであると同時に親子の愛を描く映画でもある本作の良いところがこの画にギチッと詰められている。
輸入してもポスターがダサくないというのはなんということだろう。
普段から日本風にアレンジされた洋画のポスターを見ては苦しめられている(お隣の韓国の広報を見習ってほしい)のだが、有難いことに「インターステラー」はどの広報画像やポスターを見てもシンプルなデザインになっている。
そういえば「メメント」や「ダークナイト」もほぼそのままのデザインで来ているし、無駄な文言も比較的入れられていない。
そう考えるとノーラン監督作品はどれもそこまで毒されて(失礼)いないものが多いかもしれない。
しかしその中でも「インターステラー」には最高ポイントをあげたい。
なぜならこの記事は「インターステラー」爆ageのための記事だからね。
「TENET」もたのしみ
全てを語り尽くしてしまったように思う。燃え尽きた。
最後は、冬に予告を見てからわたしの今年一番の楽しみ、9月18日(金)に公開されるノーラン監督の最新作についてだ。今、「インターステラー」をIMAXで鑑賞すると、冒頭で6分間の「TENET」の予告も見ることができる。
緊迫感、臨場感満載で、期待度がグググ……と上がった。
踏まれたチェロが痛々しかったが。
これも輸入されているのに軒並みヴィジュアルが最高で堪らない。
手を加えないでくれて本当にありがとう。
はい。「TENET」については以上である。予告だけではベラベラ喋れない。
見て昂ったらまたこうしてブログを書くよ。
北米からの反響が届いて楽しみも増すね。いつ見に行こうかな。
あ〜、しかし大画面での「インターステラー」本当に本当によかった。
内容が薄いのには間違いないが、少しと言いながら大ネタバレをかましたので、未視聴者の視聴意欲を削いだかもしれない。
にも関わらず、ここまでスーパーウルトラ長文にお付き合いいただき感謝感激。
まだ映画館でやっているはずなので、まだ見ていない方も、見たことある方も、劇場で観れる今。まだ間に合うので是非。
明後日なんて宇宙の日なんだから、衝動に任せて見に行ってしまえばいいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?