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カール・ゴッチの教訓

真夜中の電話

プロレスの経済学が書店に並んだ、その日の真夜中だった。電話がかかってきた。今日、プロレスの経済学を買って読んだという中学生からだった。出版社に連絡して僕の電話番号を教わりかけてきたという。

開口一番、「面白かった」というので、「えっ、わかったの?」と思わず聞くと「よくわかりました」というのだ。

一応プロレスの本だがでも、経済学と本のタイトルに謳ってある。中学生にわかるのか。だから少年の「よくわかりました」には衝撃を受けたのだ。

彼にしてみれば、よくわかったからこそ、著者にその思いを伝えたくで電話をくれたのだ。

彼のその言葉に眠気もすっかり冷めて、彼の言葉について考えたんだ。

経営学とは面白いことを言うこと

僕は学生に「経営学って何?」と聞かれると、いつもこう返す。
「経営学とは、面白いことを言える能力を身につける学問だ」。

面白いことを言えること。簡単なようでこれは相当むずかしい。

面白いことなんて、そうそうないからだ。面白いこととは、他人と違うことであり、新しいことであり、聞いたこともないことであり、感心することでもある。でもバカバカしいことではない。面白いとはわかりやすいことも求められる。

面白さ、とはそう簡単に実現できるものではないのだ。

もし面白い商品、サービスが開発できれば絶対に売れるだろう。また逆に、売れる商品、サービスは面白いに違いない。

プロレスはその「面白さ」を徹底的に追求したスポーツだ。

プロレスの歴史は「面白さ」の追求

しかし、プロレスはその誕生当初、面白くないスポーツだった。

プロレスの創成期、1908年に行われた初代世界王者を決める大一番、ジョージ・ハッケンシュミットvsフランク・ゴッチの試合は2時間を超えた。ロープワークもなく、地味な戦いに終始した。

プロモーターたちは「面白くなくてはビジネスにならない」と気づき、6メートル四方のリングにロープが張られたリングが誕生した。

総合格闘技はオクタゴン、つまり八角形の金網の中で戦うが、八角形も金網も観客が見て楽しむには邪魔だ。

30分一本勝負、60分一本勝負といった時間の制限を求めているのは、ゴッチvsシュミット戦の教訓だ。

カール・ゴッチの逆説

「プロレス悪役物語」という、梶原一騎の実弟でもある真樹日佐夫先生の傑作プロレス劇画に、”プロレスの神様”カール・ゴッチの巻がある。

カール・ゴッチ マンガ

冒頭のこんなシーンが印象的だ。

カール・ゴッチが試合開始のゴングの直後、相手レスラーのバックに回りジャーマン・スープレックスホールド一閃、相手をフォールした。しかし観客からは祝福どころかリングにモノが投げられた。観客はこう言った。

「やい、そんなに早く試合を終わらせるバカがいるかよ。ポップコーンも食えやしねえ」。

試合時間を30分、60分と区切るのは、「プロとして観客を楽しませろ」という、レスラーの無意識に強制的に働きかける巧妙な仕組みなのかもしれない。

顔面攻撃が禁止の理由

顔面攻撃をルールで禁止したのは、顔面は急所だから、一発で試合が終わりかねず、それでは観客が楽しめないからだ。

反則は5秒以内にやめればよく、試合のスパイスとして機能する。善と悪、ベビーフェイスと悪役というわかりやすい対立構図もファンの熱狂を誘う。神秘のベールに包まれた覆面レスラーは、地味なレスラーをメインに起用するしくみでもある。黒い魔神、鉄の爪などのおどろおどろしいニックネームもファンの興奮を一層高める。

すべてはプロレスを面白くする仕掛けだ。


極真カラテとプロレスの共通点


1970年代から90年代にかけて、日本中にカラテブームを巻き起こしたのが大山倍達率いる極真カラテだった。

極真カラテはこれまでの相手に直接当てないカラテを寸止めカラテと非難し、攻撃を直接相手に当ててノックアウトで勝敗を決める、フルコンタクト方式こそ最強だと主張した。

最強論争はともかく、極真カラテが見る側にとって面白かったのが、極真カラテ発展の最大の理由ではなかったか。このことは極真カラテと、考え方からスタイルまで水と油の伝統空手と比較してみるとよくわかる。

ノンコンタクトの伝統空手は、有効な攻撃が相手より早く入った時にポイントが入る。しかし、攻撃がゼロコンマいくつの誤差で交錯するので、専門家でないと判断できない。素人が見て勝敗が判断できない伝統派と、KO決着の極真カラテ、どちらが人気が出るかは明らかだった。

現在の格闘技の常識からすれば、顔面なしルールでは真の強者を決めることにならないが、面白さでは極真カラテが断然従来の空手を凌駕したのだ。

命がけで面白さを追求するプロレス

かつてプロレスと総合格闘技どちらが強いという論争が沸騰したが、顔面攻撃のあるなしが、その分岐点ともいえるだろう。

プロレスは顔面攻撃を禁止し、面白さをとったと言えるのだ。

しかし、それだからといって競技の危険性が減ったとは言えない。

顔面パンチは禁止でも、首から上を、後頭部をしたたかに打ちつける技のバリエーションは年々増えており、事故も後をたたない。プロレスリング・ノアの創始者、三沢光晴の死から今年で13年。面白さと引き換えにプロレスラーの怪我のリスクは増すばかりだ。

命がけで面白さを創り出そうとするプロレスが、面白くないわけはなく、面白さを追求する経営学と相性が合わないわけはない。

それは時に相乗効果をもたらす。

そう考えると、あの中学生からの真夜中の電話は、著者もわからなかった「プロレスの経済学」の本当の意味を教える天の声だったのかも知れない。

面白さは、わかりやすさ、だったのだ。

今日も読んでくれてありがとう。

また明日会おう。

                              野呂一郎

追伸:参考書籍



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