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ビッグデータの時代?大嘘だ。

止まっているデータに価値はない
15年ほど前、拙著「ナウエコノミー -新・グローバル経済とは何かー」に、ITじゃ差別化できない、と書いたことがあります。どこもIT装備をこれからは進めるので、ITスペックが同じになるだけとの主張で、これからはITの時代じゃなくヒューマンスキルの時代だとしました。

3回くらい前のこの連載で行間を読む、と言った趣旨のことを書きました。デジタル情報よりも文字情報のほうが使えるよ、との放言で、へそ曲がりの筆者らしいIT、デジタル信仰へのアンチテーゼです。

デジタルデータとは止まっているデータのことです。1,2,3の数字やabcの記号で表されるもので、それ以上の情報をくれません。誰が解読しても同じです。

デジタル情報vs足で稼ぐ情報
デジタル時代、情報はデジタルのほうがいいのでしょうか、それとも文章のほうがいいのでしょうか。

文章は文章の質や種類にもよるが、何通りにも解釈できるし、行間を読むこともできる。その意味で数字よりも情報量が多いと言えます。

例えば、部下がある企業のことを調べさせる。部下Aは日経テレコンでちゃちゃっと調べほぼ数字だけのデータを出す。部下Bは客を装って訪問、その印象を文章でまとめる。ネット全盛の世の中だからこそ、Bの文章情報のほうが価値が高いのではないでしょうか。

なぜ、原書にこだわるか
The Wall Street Journalも、Newsweekもそうですが日本語版もあります。でも僕はそれ薦めないのは、翻訳された時点で情報が固まり、動かなくなって”デジタル化”してしまうからです。

翻訳された洋書も同じです。なぜ情報が固まるのか。翻訳という作業を経ることによって、翻訳者がその一語一句の意味を自分で解釈、つまり自分の頭で固定してアウトプットするからです。

でてきた翻訳は文字通りで、それ以上の意味を持ちません。しかし、翻訳前の原文だと、様々なニュアンスが残っており、読むものの背景と力量により、様々な意味を読み取れます。そして、行間を読むといった付加価値も出てくる。結果、原書を読んで得られる情報の量と質は、翻訳を遥かに凌駕します。

翻訳されて固定された情報が怖いのは、訳者の力量や解釈の仕方によっては、しばしば間違っていることです。

行間を読めないビッグデータ

ビッグデータは現在のデジタル時代において主役級の扱いを受けています。

やれビッグデータの時代だとか、ビッグデータを使いこなせないと競争に勝てないとか、マスコミは喧しいですね。

The Wall Street Journal2021年5月24日号のJournal Reportという別冊特集のトップ記事は、ビッグデータに疑問符を投げかける内容で、我が意を得たりと感じました。

内容は、ビッグデータの時代で、企業はマクロデータばかり取ることに熱心で、ビッグデータに頼るあまり消費者の心理や行動原理の詳細まで踏み込もうとしない。今こそ昔のアナログ手法、に立ち返れ。それは「カスタマーに直接聞くことだ」、というものです。

ビッグデータに頼らず、直接お客さんに訊け

記事のタイトルは「今こそフォーカス・グループ(Don’t give up on focus groups)」とあります。

フォーカス・グループとは企業がマーケティング・リサーチで情報を収集するために集まってもらう顧客のグループのことです。このアプローチで企業はグループメンバーから開発している製品に関する意見や感想を聞いたり、インタビューを行ったり、実際に製品を使用してもらい、その様子を観察したりして、総合的に製品に対する顧客の反応という情報を集めようとします。記事はこのフォーカス・グループこそ、デジタル時代の差別化につながると主張しています。

「数字は嘘をつかない」はウソ

しかし、ビッグデータの時代、この手法は下火になっています。ビッグデータの根本理念は、最近この言葉は流行っていますが、「数字は嘘をつかないNumbers don’t lie」というものです。

Numberとは、何%が何を使っている、顧客の好感度は何%、駅前に店を構えた場合10人に一人来店する、といった情報のことです。

冒頭にあげた私の拙い「ITで差別化できない論」と同じで、みんながビッグデータを使って同じマーケティング行動をすれば結果は皆同じになり、やっぱり差別化できないのではないでしょうか。

AI利用で失っている価値

これはAIにも全く同じことが言えて、AIは人間の作業を代行するだけですが、プログラミングしている以上のことはできません。

いくらディープラーニングが進んでも、サービスを受けるお客さんの顔色や隣の子供の様子を見て、臨機応変に対応するなどということはできません。

企業にとって省力化のメリットしかなく、お客さんと直に接することから生まれる付加価値、例えば感じが良いという印象を与えたり、こちらがお客さんの様子を観察することからもらえる顧客情報を得る、そういう価値ある機会は犠牲になります。

止まっているビッグデータをもとにマーケティング戦略をたてるなら、その情報が同じならば似たような戦略になるはずです。金を払えば払うほど、詳細なビッグデータがもらえると言うならば、大企業が勝つでしょう。

しかし、そもそも動かないデータ、もっというと死んだデータをいくら使っても、クリエイティブな戦略は生まれないのではないでしょうか。

明日以降、もう少しこのテーマを深堀りします。

今日も読んでいただきありがとうございました。
また明日お目にかかりましょう。

野呂一郎


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