見出し画像

”怪奇経営学”とはなんだ

社会科学の致命的な欠陥

もう35年以上前だろうか、みのもんたの昼のワイドショーで真夏の恐怖企画となうって「あなたの知らない世界」(下。閲覧注意!)という番組が8月の1週間毎日やっていた。いわゆる心霊番組だ。昨日話した「怪奇経営学」で何度か取り上げたことがある。


そんな演出まみれの、エビデンスに基づかないものを教材とするなんて、社会科学を教えるものの態度とは思えない。そういう批判はもっともだ。

しかし、経済学も経営学もおよそ社会科学と名がつくものの欠点は、「再現性がない」ことだ。

アベノミクスを検証するといってもそれは過去の出来事で、現在の条件と安倍元首相が執政していた条件は違うので再現できない。ビーカー内の実験のように湿度、温度、水の量等を一緒にして、変数要素の条件だけ変えて比較する、という自然科学的な実験ができない。

経済学は科学ではない、と言われるゆえんだ。

サブリミナル実験は嘘だった?

経営学に至っては、理論を求めて実験したはいいが、予期せぬ心理的な要素が実験結果に影響を与えてしまった例もある。有名なホーソン実験である。

この実験は、照明が仕事の生産性に影響を与えるかどうかを証明しようとしたのだが、被験者の3グループが競争意識をむき出しにしてしまい、照明の影響などどこかに飛んでいってしまった。にもかかわらず生産性と照明の影響はアリと理論づけられてしまった。

画像3

サブリミナル理論というのもあった。消費者の潜在意識に前もってメッセージを入れると、メッセージのとおりに消費者はモノを買うというものだ。

映画館で上映前にスクリーンで「コーラ!」の0.01秒の映像を流したら、ほとんどの人がポップコーンとコーラを買って映画を見たというのだが、潜在意識という定義すらはっきりしてなかった。

画像2

権威に盲従しないという態度

もちろんすべての理論がこんな感じではない、しかし、エスタブリッシュ(確立)された”権威”に最初から飲まれるな、疑ってかかれ、と言いたいのだ。逆にいうと、権威と対極にある”心霊”もはなからバカにするな、ということだ。

教育とは態度を身に着けさせることだと言った。

大学とは権威にはじめからへいこらする態度を教えるところではない。また目に見えないから証明できない、とお化けを非科学的な存在と見下げる態度を教えるところでもない。怪奇経営学は、物事に対し偏見のない態度を取るべしという教育なのである。

”怪奇”こそ最後に残された市場

もう一つはエンタテイメントという観点だ。

経営学とは面白いことを言う能力を養う学問、とはいつも言っている。面白いことを見つける、ものごとを面白くする、人やモノの面白いところを発見する、面白い製品やサービス、言い換えれば”エンタテイメント”を創る。これこそが経営学の真骨頂だ。

怪奇経営学が扱うのは、心霊、おばけ、UFO、ツチノコ、河童、ノストラダムスなどの不思議、恐怖、謎、予言などの形而上学的なモノ・コトすべてだ。これは人間の欲望がすべて企業によって食い尽くされたように見えるこの世に残った、唯一の手つかずの楽園なのだ。

画像1

謎や恐怖や不思議こそが、価値創造の最後の砦(とりで)なのだ。価値とはおもしろいことだ、怪奇経営学はあらゆるビジュアルを用意して、恐怖や謎や不思議を精一杯演出している。野呂のたった一つの人気講義といっていい。

パーミッション・マーケティングも教えられる

しかし、ここで現代マーケティングの原則を学生たちに叩き込む。それは”パーミッション”(permission許可)という最新マーケティング原則だ。それは、これから見せるものに対し拒否反応が出るやもしれない時に、前もって「見せていいか、やっていいか」の許可を取るという原則のことだ。

「怪奇経営学やるけれど、お化けやUFO出るけれど、教育のためにまじめにやるんで、やっていいですか?」と聞く。全員OKが出てはじめてGoになる。パーミッションの原則、これを学生たちは確実に体で覚えた。この手応えがいい。こうして禁断の授業が始まる。

ただね、最近数年間は封印しているんだ。お客さん(学生)次第かなあ、封印を解くのは。

じゃあ、今日はこれまで。

また明日会おう。

                            野呂 一郎


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?