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マーケティングの時代は終わり、アートの時代が来た。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:マーケティングの反対概念としての「アート」を考えると、マーケティングがわかる。マーケティングは手を変え品を変え、言葉巧みにあなたに買わせようとする。しかし、そのアプローチはもはや時代遅れだ。トップ画はアーティスト、ジュディ・シカゴさんhttps://qr1.jp/DK5DCc

マーケティングとは市場そのもの

昨日、マーケティング・コンサルタントなんて、大変だし、日本人は向いてないからやめちゃえ、などと暴論を述べました。

あくまで私見ですが、マーケティングとは、マーケット(市場)という言葉から生まれたので、市場という意味が中核にあります。

マーケティングは市場そのものであり、市場を動かすことです

市場は需要と供給で熱気をはらんだり、しぼんだりします。

でも、市場は大声や誘惑や評判、時としてウソで大きくなったり、熱狂したりします。

つまり、市場は人間の人為的な駆け引きで、動く存在であり、それを動かすのがマーケティングなのです。

https://qr1.jp/6f3Ner

誤解を恐れずに言えば、マーケティングは「ウソつき」なのです。

アートとは何か

マーケティングを理解するには、マーケティングの反対概念を考えてみるとわかりやすいと思うんです。

その答えは何か、これもまた勝手な私見なのですが、「アート」です。

アート、芸術とは何か、それは駆け引きのないことです、アートの価値を増幅しようとして、人為的な作為を仕掛けないことです。

アートは、その作者、創造者の美意識で創り上げるもので、創り上げて、そこで完成です。

あとはその評価を世の中に委ねるだけです。

アートはその本質において、ビジネスのはいる余地はないし、ビジネスを考えた作品はアートとは呼べません。

アートvsマーケティング

マーケティングとアートの拙い比較をしたわけですが、ちょっとこの比較でマーケティングが少しわかってきました。(僕が、ですけれど)

マーケティングは浮気者のイケメン、

https://qr1.jp/uktG0r

アートは一途な乙女、です。

https://qr1.jp/J7GL5R

マーケティングは、自分をかっこよく見せて、多くの女性にウィンクをすることに余念がありません、でもアートはそんなことには頓着せず、お化粧もせずに自分の気持だけを貫きます。

マーケティングの男性は、口がうまく、笑顔を振りまき、モテるためには茶髪にもするし、ピアスもつけるし、タトゥーだって、いや整形だって平気でします。

モテるためには、ウソだって平気でつきます。

一方、アートの女性は、お化粧してきれいなべべ着て飾り立てることには、全く興味がありません。

自分の考え、感性、価値観を大事にします。

ある女性アーティストの箴言

こんなことを考えていたら、共時性というべきか、以上のことをもっと上手に,説得力豊かに説明している記事に出くわしたんです。

それはBusinessWeek2023年12月4日号P64芸能欄Putting imagination to work(イマジネーションを動かす)で、84歳の遅咲きのアーティスト、絵描きであり、彫刻家であり、フォトグラファーの三刀流をこなす、ジュディ・シカゴさん(Judy Chicago)のインタビューです。

ジュディ・シカゴさんhttps://qr1.jp/enziay

彼女の芸術論を聞いてみましょう。

彼女は今、世界中から熱い注目を浴びてますが、逆にいうと、今まで何十年も評価されてこなかったということです。

今日の話の流れでいうと、それは、彼女がずーっと「マーケティングに背を向けていた」ということです。

彼女はこう語ります。

「ずいぶん遅咲きね、と言いたいのね。全然よ、そんなこと全く関係ないわ。私はね、ただ自分のアトリエで50年間ひたすら、作品を作ってきただけ。マーケットなんて一度も考えたことなんかないのよ」。

ジュディ・シカゴさん

消耗品になるな

彼女の言葉は、マーケティングというものに、そしてマーケティングが跋扈する現代社会にしんらつです。

「私にはアートとは何か、どうあるべきかという信念があるの。それはアートとは『気前がいいことan act of generosity』ということよ。いま、若い人見るとかわいそうになっちゃうのよ。持ち上げられた挙げ句、使い捨てにされてさ、株式市場の乱高下じゃないっての。芸術家なら、そんな世評におもねることは、はねつけるべきよ。」

BusinessWeek2023年12月4日号より 翻訳でなく、野呂の解釈です。

『芸術とは気前のいいこと』という彼女の言葉は、僕は時代を読み解くキーワードだと思っているんですよ。

要するに彼女は「ケチンボになるな、心の貧乏人になるな」と言っているんです。

気前がいいこと、とは、気前が悪いことを考えてみるとよくわかります。

気前が悪いとは、眼の前のおカネや名声を欲しがる態度です。

カネや名前などくれてやれ、芸術家は世におもねって、そんなケチなものを求めるな、ってことです。

これは、マーケティングの全否定です。

宣伝、広告なんて卑しいことをするな、芸術家は自分であることを貫く、それだけでいい、彼女はそう言っているのです。

いやしいマーケティングとはお別れ

マーケティングが卑しいわけではありません。

でも、マーケティングはよく効くから、手段として使われます。

その使い方は、ギリ詐欺まがいなこともできる、っていうことです。

僕はしばしば、「悪の経営学」「悪のマーケティング」なんて言う言葉を使いますが、チカラのあるものは常に、悪用されるのです。

そういう意味で、今日はちょっとマーケティングを悪役にしていることをご理解下さい。

でもジュディさんがおっしゃる、『芸術とは気前のいいこと』っていうのは、マーケティングに対しての辛辣な批判です。

つまり、彼女はこう言いたかったのです。

「もうビジュアルで、奇抜な言葉遣いで、セレブの威光を借りて、商品の価値をふくらませる詐欺はやめろ。

もう世の中は、それじゃ動かない。

アーティストは、「武士は食わねど高楊枝」で行け。

50年食えなくてもいい、ジタバタするとあんたの作品の芸術的価値が下がっちまう。

世間にお世辞やお追従を言った瞬間に、お前の作品はアートじゃなくなる。

武士たるべし。

しかし、時代は代わり消費者は真に賢くなった。

いいものは売れる。

下手にマーケティングを打つと、逆宣伝になる時代だ。」

野呂の勝手な解釈


武士は食わねど高楊枝 https://qr1.jp/dmPruQ

野呂 一郎
清和大学教授



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