味噌ラーメンが許せなくなった件。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:「ラーメン一杯1000円の壁」が言われる時代に、勝つラーメンの条件とは何か。最近ラーメン店で実感した、「こんなラーメンは1000円払う価値ないだろ」を書いてみました。
神は細部に宿る
全体におけるどんな小さな部分でもおろそかにしてはならない、それが
「神は細部に宿る」の意味です。
これは、今のラーメン界に当てはまる格言だなあ、と思ったのです。
東京駅で評判の味噌ラーメンというのを、食べてみたのです。
たしかにスープは美味しいし、麺もいい、です。
しかし、3つの細部が気になりました。
1.おはしがラーメンを不味くしている
2.冷たいチャーシューがラーメンを不味くしている
3.小さい器がラーメンを不味くしている
です。
箸にこだわる店がなぜ少ないのか
わかりますよ、エコの時代だから、森林伐採は環境に良くないから、割り箸を使わないで、出来合いのお箸を洗って使うというのは。
ほとんどのラーメン屋では、ご丁寧に箸入れまで用意して、ウォッシャブルな箸を使いまわしています。
でも、ラーメンに限りませんが、食事に箸は決定的に重要です。
ラーメンで最悪な箸は、麺をしっかり持ち上げず、ツルツル滑ってしまうハシです。
味噌ラーメンは熱々を食べるのが最も美味しいので、麺が掴んだ途端に逃げるようなおハシはどうなのか?
味噌ラーメンは特に、割り箸一択ではないでしょうか。
環境はもちろん大事ですが、その前に味を大事にしないと、ビジネスが消滅し、ラーメン店が利益を上げることでの社会貢献がなくなります。
冷たいチャーシューはラーメンの敵
味噌ラーメンで最悪なのは、汁がアツアツでないことですが、冷たいチャーシューも負けず劣らず最悪です。
スープがちんちんでも、冷たいチャーシューを天地返しして、ラーメン丼の底に入れて、3分たって元の位置に戻す頃には、味噌ラーメンの命である熱々が死んでしまっています。
いくら美味しい豚肉でも、冷たければ、ラーメン全体を殺してしまうのです。
器は快適に食べるための相棒
二郎系はマシマシで器からこぼれ落ちそうでも、「食べにくくてもう嫌だ」、とはならないのは、器がそれなりに大きいからです。
でも僕が昨日食べた味噌ラーメンは、器が小さい。
何かそのラーメンは文字通り「器の小さいヤツ」にように思えたのです。
仕事はできるんだけれど、何かとめんどくさいヤツ、みたいな。
うまいんだけれど、何かと気を使って食べなければならないので、食べるというよりも”作業”をさせられている感じ。
食べ終えると「おいしかった」という喜びよりも、「なんとか食べた」という義務を果たした感が強いんです。
ラーメンは競争過多時代の縮図
これだけモノやサービスが溢れる時代は、おいしいとか、上手とかは当たり前です。
しかし、だからこそ、人々は小さな欠点が気になるのです。
まさに現代における競争は「細部に神を宿らせること」がポイントではないでしょうか。
ラーメンのポイントは以下です。
1.スープ
2.麺
3.シナチク
4.サービス(接客)
5.価格
これに加えて、僕が申し上げた、ハシ、器、チャーシューが加わります。
人によっては、ネギの量、提供のスピードや清潔さ、混み具合、客同士の距離なども入るかもしれません。
細部に神が宿る、というのは、「画竜点睛を欠く」、と言い換えてもいいでしょう。
つまり、それがシナチクであれ、ネギであれ、たった一つの要素がしょぼくても、ラーメンという全体を殺すのです。
しかし、今までは一つ、ふたつ欠けているところがあっても、人々はそのラーメンを愛し続けました。
しかし、これだけラーメン店が増え、価格も1000円を超えると、人々は些細な欠点にも敏感になるのです。
もはや、ちょっと前まではアバタもエクボで許せた欠点が、急にうっとうしくなり、離れていくのです。
コーヒークリームにもこだわらないと
今日も新宿のカレーの名店で、チキンカレーとサラダ+アイスコーヒーセットを食べたのですが、とっても美味しかったです。
ただ、一つ気になることがありました。
コーヒークリームが、安いチェーン店で出すような出来合いの合成物を使った疑似クリームだったのです。
せっかくの美味しいカレーセットが台なしとまでは行かないまでも、僕は「惜しいなあ、画竜点睛を欠いてるなあ」と、ひとりごちたのです。
昔は味噌ラーメンやカレー一つに、こんなに文句は言わなかったのになあ。
でもこれは爺さんのたわごとなのでしょうか、それとも変化への自然な反応なのでしょうか。
野呂 一郎
清和大学教授
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