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「出世競争よりも子供の教育が大事」 コロナで目覚めた大人たち。


コロナで生き方を問われた会社員

英語でラットレース (rat raceネズミの競争。激しい出世競争を意味する)という言葉があります。ラットは卑怯者も意味し、このラットレースという言葉は、唾棄すべき価値のない醜い出世競争、というニュアンスが色濃くあります。

The Wall Street Journalでこの言葉を久しぶりに見たのは、2021年6月17日の読者欄でした。統計的な数字はありませんが、コロナの現状と符合するのでもう少し詳しく報告したいと思います。

記事の内容
多くの人が今の仕事をやめて引っ越しして、新しい天地で新しい仕事をし始めた。ラットレースを放棄して、より人間的な生活に切り替える決断をした人達が他州に移動を始めているのだ。

給料や条件が良ければ、優秀な労働者が集まるというのは嘘だ。

コロナで多くの人が仕事をやめて他郷に引っ越して、そこで新しい仕事を見つけている。給料は前の仕事より安いけれど、気分良く働けてプレッシャーが少ない。彼らはラットレースを捨てて、子供達と一緒に過ごすことを選んだのだ。

人生哲学の変換

データ的なことは言えませんが、僕はコロナで人々の意識が変わった表れだと思うんです。日本も本社を地方に移転したり、従業員も住まいを地方に移したりする流れが去年からあります。しかし、これはコロナでテレワーク普及し、コロナ後もテレワークで行くと決めた一部の企業と従業員が利便性の損得勘定で決断したことにすぎません。

しかし、今回のアメリカの一部の動きは、人生哲学のシフトといえるでしょう。ラットレースを放棄し、人間的なくらしを選んだ、ということです。

アメリカ労働市場の流動性を支える職務給

これを支えているのが、いわゆるアメリカの労働市場の流動性の高さ、つまり、転職に対して社会の偏見がなく、よりよい条件を求めて職場を変えることはごく普通であるという文化です。

給与システムも流動性の高さに一役買っているというか、いや、決定的な役割を果たしています。

日本でもジョブ給などという言葉がでてきましたが、アメリカは職務給、つまりどんな職についているかで給料がきまります。ウェイトレスならウェイトレス、ITエンジニアであればITエンジニアと、どこで働いてもその職業の給与の相場はほぼ同じです。州を移動しても給与はそうべらぼうに変わらないのです。

日本は最近ジョブ給などと言っていますが、それでは職務を固定するからローテーションができなくなり、日本的な人材育成と矛盾する考えだと思うんです。まあそれはおいおい論じていきましょう。

子育てに目覚めた父親

コロナでステイホーム、リモートワークで子供と過ごす時間が増え、お父さんたちは今まで事共たちと一緒にいる時間を十分取ってあげなかったことに、罪の意識を感じたのでしょうか。

子供達に毎日抱きつかれ、家族愛の尊さに改めて気づいたのでしょうか。子供達を学校にやらずに自宅で子供達を教える、ホームスクールを実践する父親も少なくないとか。

僕はポストコロナの世界で鍵を握るのは、子育てそして子供の教育だと思うんです。

こころある働くお父さん、お母さんたちは、親がしっかり面倒を見ると見ないとでは、子供の将来が変わってきてしまうと恐怖したのです。

何よりも子供と触れ合う時間が、つまり愛情こそが子育ての核だと気がついたのです。

そして、学校のリモート教育を目の当たりにし、学校の現実の教育や、学校の教育に対する姿勢も見えてきたのではないか。それに不満な両親が、子育て、教育に目覚めたのだと推測するのです。

期せずして僕も以下の別連載で高校生の教育について考えていますが、教育こそ問題山積の世界を照らす光明に違いないと、今更ながらに考えた次第です。

教育を学校に任せていいのか、こうしたムーブメントが早晩世界中で起こってくるのではないでしょうか。

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

ではまた明日お目にかかりましょう。

                              野呂一郎

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